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継体天皇

磐井の乱

継体天皇21年(527年)に 朝鮮半島 南部へ出兵しようとした 近江毛野 率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井 (『 日本書紀 』は 筑紫国造 だったとする)がはばみ、翌 528年 (継体天皇22年)11月、 物部麁鹿火によって鎮圧された反乱...
天日鉾

継体天皇

506年に大変な暴君と伝えられる武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大君・巨勢男人ら有力豪族が協議し、まず丹波国桑田郡にいた14代仲哀天皇の5世の孫である倭彦王(やまとひこのおおきみ)を推戴しようとしたが、倭彦...
継体天皇

継体擁立前夜(5~6世紀半島情勢)

5世紀後半倭国倭王武倭王武は興の弟と「宋書」に記載があることから「記紀」に記される雄略天皇のことである可能性が高い「記紀」に記される雄略天皇(大泊瀬幼武天皇)は気性が荒く独裁的であったことが記されている。478年の武の上表文には大和政権の国...
聖徳太子

真説 聖徳太子

聖徳太子聖徳太子の本名については同時代史料には残っておらず、『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)」とされている。『日本書記』推古天皇紀では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)」用...
福岡県

武蔵寺(蘇我日向伝承地)

菅原道真公が京に帰ることを祈願しに毎日通った天拝山の麓に九州最古の仏跡と伝わる寺がある。武蔵寺武蔵寺跡武蔵寺は創建が奈良時代に遡ると考えられている古代寺院です・境内から出土した寛治八(一〇九四)年が発見されていることや、「今昔物語」「梁塵秘...
豊玉姫

天照大御神

『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書記』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日孁...
大分県

妻垣神社 足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)

足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)とは?豊の国の宇沙に着いたとき、宇沙の住民の宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)が足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って大御饗(=食事)を献上しました。そのとき菟狹国造(ウサノクニノミヤツ...
大分県

三女神社

三女神社参道由緒書遠く神代に、天照大神が宇佐島に三女神を降臨させたと伝わる地が安心院に存在します。一の鳥居扁額一の鳥居には二女神社とあります。二の鳥居扁額二の鳥居は二から三に直した跡が見られます。境内山門水沼井水沼井高良大社の水沼氏が奉仕の...
福岡県

高良御子神社(坂本命・王子宮)

高良御子神社高良大社の高良玉垂宮神秘書には次のように記されています。高良大社 高良御子神社 阿志岐九躰皇子の本地のこと 同真言の秘密である。1斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒 さ光天皇千万人に勝つ 2朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢 南...
福岡県

莵道稚郎子命

莵道稚郎子命春宮宇佐八幡宮の応神天皇の皇子達を祀る若宮神社のとは別に春宮と呼ばれる社が存在します。宇佐八幡宮 春宮春宮とは東宮つまり皇太子のことで本来ならば大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命:仁徳天皇)に使われるべき尊称のはずですが、莵道...
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