高良記之項
- 第一条 天神七代 地神五代
- 第二条 下宮創立
- 第三条 三韓
- 第四条 聖母大井
- 第五条 水神の娘 竜神の娘
- 第六条 安曇磯良
- 第七条 皇后の妹
- 第八条 異国退治の装束
- 第九条 八幡大井
- 第十条 籠坂王 忍熊王
- 第十一条 犬の面
- 第十二条 皇后乗船
- 第十三条 八幡大菩薩御託宣
- 第十四条 仁徳天皇
- 第十五条 仲哀天皇の后
- 第十六条 筑紫で御祭礼
- 第十七条 総祭の準備
- 第十八条 精察の書の様に
- 第十九条 徳田町新譜の地頭
- 第二〇条 大祝精進
- 第二一条 三所明神の整え
- 第二二条 抱き奉るの項一
- 第二三条 抱き奉るの項二
- 第二四条 一の大工
- 第二五条 八人の神官
- 第二六条 総の神人
- 第三三条 大宮司
- 第三四条 座主
- 第三五条 神人
- 第三六条 神馬
- 第三七条 住吉の神馬
- 第三八条 八幡の神馬
- 第三九条 大井の神馬
- 第四〇条 住吉の鎧
- 第七四条 大井の御供の人数の項
- 第七七条 神訴神法の次第の項
- 第一二四条 八葉の石畳
- 第一二五条 八ヶ寺
- 第一二六条 七堂
- 第一二七条 朝妻七社
- 第一二八条 留主七社
- 第一二九条 神籠石
- 第一三〇条 中島の伊勢は大井
- 第一三一条 三明神の片江
- 第一三二条 二の宮
- 第一三三条 三の宮
- 第一三四条 四の宮
- 第一三五条 五の宮
- 第一三六条 六の宮
- 第一三七条 七の宮
- 第一三八条 巡り堂
- 第一四〇条 九州七社
- 第一四一条 同五社
- 第一四二条 彦権現
- 第一四三条 高良山
- 第一四四条 住厭
- 第一四五条 仮社
- 第一四六条 順改装
- 第一四七条 殺生禁断
- 第一四八条 逆改装
- 第一四九条 高良の官は有符の社
- 第一五〇条 順改装
- 第一五一条 順改装 逆改装
- 第一五二条 宮の御所
- 第一五三条 左宮
- 第一五四条 中宮
- 第一五五条 右宮
- 第一五六条 善神王
- 第一五七条 坂本
- 第一五八条 留守七社
- 第一五九条 朝妻七社
- 第一六〇条 九躰皇子
- 第一六一条
- 第一八二条 高良内
- 第一八三条 大宮司職
- 第一八四条 小祝職
- 第一八五条 下宮御倉出納職
- 第一八六条 御貢所鰚贄人職
- 第一八八条 物部御同姓大祝職
- 第一八九条 五姓
- 第一九〇条 帝皇御願 諸国国分寺
- 第一九一条 香椎宮
- 第一九二条 志賀海
- 第一九三条 住吉
- 第一九四条 筥崎宮
- 第一九五代 宇佐宮
- 第二〇〇条 御神秘を他姓知ることがあれば
- 第二一二条 香原岳
- 第二一三条 竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)
- 第二一四条 当山の一火
- 第二一五条 麓の一火
- 第二三七条 大善寺 風浪宮 黒崎
- 第二八一条 九州の宗廟
- 第二九五条 菰の座
- 第二九六条 出家
- 第二九七条 大井御記文 咎真
- 第二九八条 大工内の許可
第一条 天神七代 地神五代
- 第一 国常立尊 男神
- 第二 国狭槌尊 男神
- 第三 豊斟淳尊 男神
- 第四 泥土瓊尊 男神 娑土瓊尊 陰神
- 第五 大戸之道尊 男神 大戸間辺尊 陰神
- 第六 面足尊 男神 惶根尊 陰神
- 第七 伊弉諾尊 男神 伊弉冉尊 陰神
伊弉諾 伊弉冉尊、彼の二神天之浮橋の上で、此下国が無いので、天の逆鉾を差し下し探られる海原に無いので、引き上げられた鉾のしたたり固まる嶋あり。
その島に彼の二神降り降って夫婦でまず大八嶋を次に草木を、次に无らん国の為主なものを生まれた。一女三男 大日玉尊 月弓尊 蛭子尊 素戔嗚命、その後淡路の国に宮を造って御隠れになったという。
四代より六代までは夫婦は定まったが、伊弉諾 伊弉冉尊 天之橋立で「我余るところがある、あなたは足りないところがある さし合わせてみよう」その時鶺鴒をみて読んだ歌がある。「世の中にいなうせ鳥がいなければ人は恋路に迷わざるもの」と読まれた。
また歌いわく、「法を説くはもめ事あるので いしたたききわれに儚き道な教えそ」と仰あり、その後、一女 三男を生まれた。
一女とは天照大神、月弓宮は伊勢の国にあり、という、蛭子は西宮の蝦夷という、素戔嗚尊は出雲の国大社、天照と素戔嗚尊は仲が悪く、日本総表を争われた。
天照大神に素戔嗚尊は色々当たられた。アメノフチと云う馬を生け取りにし皮を剥ぎ、天照大神、布と云うものを織られる時 その馬を追い入れ馬に落ちさせ銀のヒオノを血の下に突き立て、これによりヒヲする時には日神のおそれへヒノ先を包むことがあった。
天照大神異説では西天竺の生まれとも伝わる、千八人の女 西天竺より来る。人間を創り、倭国の倭の字はこれによって千八人の女と書く。
天照大神 素戔嗚尊を持て余して天岩戸に籠られた。元々日神の化身なので、日本が暗闇となった。その時神達が集まられて、五人の神楽 八人の八乙女 笛を吹き 鼓を打ち 拍子を揃えて神楽を奏する時 面白いといわれ扉を少し開かれた。人の面が白く見えた。常陸国戸隠明神(手力男)が扉を引き破られた。その時から面白とは面が白いと書くようになった。
素戔嗚尊 神達集まって追い失う間 出雲国斐川の奥へ追い入れられた その川上より箸が一つ流れてきた。人がいると考え川を上って行くと傍らに在家が見えた、立ち寄り見ると夫婦と姫が見えた。非常に泣き悲しんでいる。素戔嗚尊が尋ねると、「この浦は三年に一度生贄が必要で、今年は我が娘に当たりました。その旗ある女を生贄に供えなければなりません。」と云う、素戔嗚尊「それならば、その悪竜を退治してやる。」と答えた。
喜んで答えた老夫婦の名は手ナズチ 足ナズチ 姫の名は稲田姫といい、素戔嗚尊承知して、まず矢やはしり酒という酒を造り、舟一艘に乗り 上に社を構え、姫の形の人形を造られた。
風水龍王 八尾八頭の竜である、わずかの間の月明かり 人形の形が酒に映って、酒の下に人があると思い、毒酒を飲み干す。思惑通り、川岸に酔い臥した。素戔嗚尊、これを見て十柄の剣を抜き、散々に切った。八の尾をこなごなに切ると。その中の一つに切れない尾があり、見ると、氷のような剣あり。取って見ると、後の天照大神の三種のうちの宝剣。この剣は近江国の伊吹山で無くなった。
その竜は風水竜で元は伊吹山の池に住んでいた竜で進東で出雲の川に下り、風水竜となった、素戔嗚尊、その宝剣を取って元の斉所に出られた。神達集まって天照大神へ話された。
大神は喜んで褒美として出雲一国を素戔嗚尊に贈った。十月一日 日本の神達が集まって大社に供えるという。日本国の神無月とは十月となった。
高良大菩薩は訳あって参加しない ゆえに築後国では十月を神在り月という、その三種の内 宝剣は風水竜の八つの尾の中に集まった剣である剣より煙が立って村雲のようなので天の村雲の劔という、その後 猛虎草木に火を付け国土を焼こうとした時 その剣を祓う時 四方四十里草木を薙ぎ払いその時より草薙劔となった。
地代五代
- 第一 天照大神
- 第二 正哉吾勝々天忍穂耳
- 第三 天津彦々火瓊瓊杵尊
- 第四 彦火々出見尊
- 第五 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
天照大神の子は四人いる 三人は、天照大神より四代まで継がれた。正哉吾勝々天忍穂耳尊の弟 天津彦々火瓊瓊杵尊、その弟 彦火々出見尊、その弟 ソソリノ尊という。ソソリノ尊は神代に付かずに海の遠くに行かれた、その時ソソリノ尊に借りて兄 彦火々出見尊海原に出て、針を海にいれ赤目口という魚に針を取られた。
弟ソソリノの釣り針なので兄の彦火々出見呆然と呆れて立っていると、塩土ノ翁というものが現れ そのことを話すと「私はあなたの恩徳を忘れていません。今来たのはそのお礼にしようと思います。」と言い、メナシ籠に彦火々出見を入れ海中に入ると、ほどなく竜宮界に入った、そして竜王に伝えると、竜王は「この世界に三年間逗留するならば願いをかなえる。」と答えた。彦火々出見は「承知しました。」と答えた。竜王魚達を寄せ集め、赤目口を呼んだ。赤目口の口の中を開けると針があった、その針を取り出し竜王に納めた。
竜王の娘と彦火々出見尊は夫婦となり、三年に当たる時釣り針を渡した。釣り針を受け取り夫婦で竜宮を出て海上に上がった。そして釣り針を弟ソソリノ尊に還した。
その後豊玉姫は懐妊し産所を造ってくれと頼まれたので、鵜の羽で屋根を葺いた、葺いているうちに産まれたので彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊という。
豊玉姫が云うには百日して御覧下さいと言ったが待ちきれず九十九日に当たる時、彦火々出見隙間から見ると豊玉姫は大蛇となって七又の角の上に子を持ってあやしていた。
豊玉姫は彦火々出見が覗いたことを責め子を置いて海中に還っていった。
百日たたずに子を残したので心残りなので尾を隠した狩衣はその時より始まった。彦火々出見尊は嘆き悲しんでいるところに玉依姫の妹玉依姫が竜宮より現れてその子を養育された。その玉依姫は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の脇にいた。玉依姫と彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊はやがて夫婦となった。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は住吉大明神である。その子は住吉五神と言う。二人は女子 三人は男子である。二人の女子の名は表津少童命 中少童命 男子は三人いて嫡男大祝の先祖 表筒男 次男 神武天皇の名は中筒男 三男高良大菩薩の名は底筒男という。次男中筒男はその地に留まり神武天皇となり皇代となった。
住吉大明神は明星天子の垂迹 大祝先祖の表筒男は日神の垂迹 高良大井底筒男は月神垂迹である。天神でいる間 兜率天に住み三光と現れ国土を照らした。
ここに皇代十五代神功皇后の時異類日本に渡った。その時筑前国四王寺の峯に上り虚空を祈った。東の空に白雲が現れその白雲が開いたのは四天王という 四つ桙はその中に光って見え白雲に乗り現れ四王寺を下った これによりその場所を四王寺の皇子と高良大井の文にある。そのことわりを云うと異国征伐の時 幕の文のことである。四方に光る光を放つので門光といい 月神が現れ 半時して明星天子の垂迹住吉明神 七旬老翁と現れた その御子嫡男日神垂迹表筒男尊 二人現れた 前の天皇三男月神垂迹底筒男 四王寺の皇后の前に三人現れ住吉明神は「我が子三男月神の垂迹底筒男は、応作天将軍の生まれ変わり、天下の大力士 大将軍である。」と云った。住吉高良大将軍と定めると 皇后は「日神垂迹表筒男 両将軍を決めて三韓を責め従う叓。」その後住吉明神は皇后の前から消え昇天された。三男月神底筒男 皇后夫婦となり 嫡男日神垂迹表筒男は皇后の妹豊姫と夫婦となりその御子は、大祝日徃子という底筒男 表筒男二人は皇后と共に皇宮におり 三男月神垂迹底筒男は皇宮に住んでいる間位を譲り 太政大臣物部保蓮となった。」
大臣は干珠 満珠を借りている間 藤拝かかる下で定める間 その名線を取り藤大臣といい 嫡男表筒男をどうするかと言うと 皇后は「天照大神の日孫なので玄孫大臣物部大連とすればよい。」と云った。玄孫大臣と書き玄孫の大臣と読む、皇后 高良に来てしばらくして御子が何人か生まれた。
四人は仲哀天皇の皇子 五人は高良大井の皇子である。先の四人と後の五人を合わせて九躰皇子という。
皇代十七代仁徳天皇の時、皇后は崩御された。高良明神 豊姫 玄孫大臣 その子大祝日徃 武内大臣 皇宮を出られた。
武内大臣は因幡国立草の郡の辺に靴を脱ぎ棄て衣を木の枝に掛け山の奥に入って行った。残り四人は皇宮よりはるばる行き 豊姫 玄孫大臣は肥前国に留まり 姫は河上大明神となられた。
高良大明神 大祝日徃子は 九月十三日に山に還り 皇宮で三種の神器を納め、神壐は高良大明神が預かり 宝剣は神功皇后 内侍は玄孫大臣が預かった。
大祝 本名鏡山という 大祝は職について名 秘すべし皇代四十代天武天皇の時、大祝道麻呂男子美濃理麻呂に御託宣があり斗藪のひく密かに来て 天下の万法は遂に仏海に帰する 当社の明神は仁王経の文の如くを持って御法心有 大祝に大明神から大井御垂迹を束帯を付いた。高良明神から高良大井と名を変えて 異国征伐の時 干珠 満珠で国土を治められる。また皇宮で神璽を持っている間 鳥居玉垂宮と打ち 大祝家の鳥居は大祝大明神第一位と打つ。 大祝家は高良に御遷幸以来今までに並ぶ家が無かった。
高良大井の御紀文にも五姓をおさめること神部物部が為である。天神七代 地神五代よりこのかた、大祝の系図定まった。
第二条 下宮創立
天武天皇四十代 即位二年託宣あり下宮創立
第三条 三韓
異国三韓とは、新羅 高句麗 百済国
第四条 聖母大井
神功皇后は玉水を持って退治された 文永には火を持って退治 弘安には大風を吹かせ 水 火 風これ三つで退治 神功皇后は聖母大井となられた。
第五条 水神の娘 竜神の娘
水神の娘 竜神の娘は二人いる 竜神の娘は厳島大明神 水神の娘は宗像大明神である。
第六条 安曇磯良
安曇磯良とは筑前国では志賀 常陸の国では鹿島大明神 大和の国では春日大明神 一躰分身 同体異名のことである。
第七条 皇后の妹
皇后の妹は二人いる 一人は宝満大井 一人は河上大明神 豊姫のことである。
第八条 異国退治の装束
異国退治の装束 異国退治の時 旗 九選は大安寺 衣は宇佐の弥勒寺に伝え 三万八千の表具を普子無山(藤無山)と名付けた 兵庫国にある。
第九条 八幡大井
皇后后帰朝の後 十日して 仲哀天皇九年十二月十四日 筑前の宇美の宮で安産 皇子お誕生 第十六代応神天皇 神明と現れ八幡大井という。
第十条 籠坂王 忍熊王
籠坂御子 忍熊皇子兄弟を武内宿禰が撃った。
第十一条 犬の面
大井百済を召し来る人 百済人に犬の面を被せ 犬の姿を作って三韓の皇は日本の犬となって本朝の門を廻り、毎年正月十五日に努める 犬の舞今も絶えず 年中行事六十余りの一つである。
第十二条 皇后乗船
皇后は志賀より乗船された。
第十三条 八幡大菩薩御託宣
八幡大菩薩 他の国より我が国 他人より自分と御託宣あり 天平宝勝年のことである。
第十四条 仁徳天皇
仁徳天皇 今は平野大明神と云われ 宇佐の宮では南桜の上に居ると云われる。
第十五条 仲哀天皇の后
神功皇后二十三より仲哀天皇の后となった。
第十六条 筑紫で御祭礼
上代には、天下より筑紫で御祭礼あり その後国を下人に遣わされてより 四頭へ仰せつけ国司を一人任命し検反として御祭礼を取り行うこと
第十七条 総祭の準備
十二月十三日に上宮に寺社同心相談し 今後国を下人に遣わされてこの方 榊を二本 両頭人して九州を分割して整え 総祭の準備 島津に任命した。
第十八条 精察の書の様に
四頭より田米 人へ渡す舟は魯櫂を用まで 馬は蹄の通うまで整えの省察を頭人に渡し 要所要所に立てること精察の書の様に
第十九条 徳田町新譜の地頭
徳田町新譜の地頭 人棟東駒至西船津留迄所栓の項 一銭一舛きりである。御祭礼の時、当山四方を固め神代武勢丸より始まった。
第二〇条 大祝精進
大祝百二十日の精進は六月十一日より 朝の釜百二十 一日一つづつ 精進物は百石百貫 (百貫より勅使百貫 ある時は千石千貫 公房よりは五百石五百貫 大伴 菊池より)七日廻りは上着一重 片平一つ 百二十の間は銭再也 朝五百 昼五百 夕五百の食い残しを七尺 穴を掘り納める。木ちのこきはもちろん もしくは土器(かわらけ)
第二一条 三所明神の整え
何事においても三所明神の整え 大祝より 三子までも家督を継ぐ人には伝えること くれぐれも四の家よりいろ始まりなり 昇進の時 市で野菜たききを取らすこと定まっている。
第二二条 抱き奉るの項一
覆面の巾一疋 手袋の巾二疋 前垂の錦一段 大井の御子に三段 御神輿の周りに張る幕九段 これを御輿巻きという。
第二三条 抱き奉るの項二
大菩薩抱き奉る時 大祝は厳しいものである 精進物もいつの時代も変わらず。
第二四条 一の大工
右の坊の分は一の大工 左の坊の分は二の大工が持つ 右 左以外は三の大工が持つこと
第二五条 八人の神官
八人の神官へは十石十貫づつ これは二十日の精進である。神輿役の神人である。
第二六条 総の神人
総の神人 銭千貫 大祝受取り神人一人づつ分けること
第三三条 大宮司
大宮司 先に立つこと八丈はかりおいて
第三四条 座主
座主 八丈はかりおいて
第三五条 神人
神人 その次次第の項
第三六条 神馬
神馬三疋曳かせ 三丈置いて
第三七条 住吉の神馬
住吉の神馬かけふち 三丈置いて
第三八条 八幡の神馬
八幡の神馬葦毛 三丈置いて
第三九条 大井の神馬
大井の神馬栗毛ふち
第四〇条 住吉の鎧
住吉の鎧 白糸 八幡の鎧 黑糸 大井の鎧 緋落とし 甲は三 羽は鎧の先に刺し 鎧は板に絵を付けて 据えて持つこと
第七四条 大井の御供の人数の項
祭において人数 皆御遷宮に居なくとも黒木 河崎 星野 蒲池 西牟田 田尻 溝口 上妻 酒見 田中 隈 井手 森部 三原 赤司 大城 本河 長田 山北 姫野 日方 稲積 両西泉 大石 野中 安竹 麦生 三潴 (クン代) 本司 大隈 国府 津福 弓削 上津荒木 藤吉 三池 神代 これは大祝同姓 元来一家の分かれである。
掛け立干白梁 同半集 同白銀や 当国内の菰の座 同四十物座 土器 烏帽子裃十人 同アラフ 同三町座別当 榎津座
上三十六人 下三十六人 高一揆庄内衆 国衆 その他所職の者迄も大祝に従い大井の御供である 第四〇代天武天皇白鳳二年に 御の御達しあってより 大祝かたじけなくも 大井垂迹にて束帯をつくので御祭の時も 御遷宮の時もいつでも大井の御供の人数 大祝に従うこと
第七七条 神訴神法の次第の項
人皇四十代天武天皇白凰二年 父保続 令嫡男保義家督を継ぐ 高良山社職惣官 大祝 奉守護明神 明神の前に剣 神器 武器 系図 重書を供え 次男武勢麻呂良続 保続 武臣の為武器を与え 神代邑構城館明神を御守りする。処伝の武器 建三社 祖神代々続くもので 武賀丸保通 三男保続 成法師 隆慶 妻帯社僧 当社大宮司の子孫 宗崎氏 良摩丸 保続五男 草壁氏 後の稲員氏 これより本司 川口 安曇二氏に分れ 鎮志丸保良 吉津丸続定 わけ合って平武士になった
十月十日の丑の刻に 神輿に移す 十三日丑の刻の 内殿に移す 本躰所より御供をはり 酉の刻 如上宮に登り丑の刻迄は 礼殿に座る 大祝は左座 座主は右座 大祝の手衆は大祝の下に従え 座主の下は大宮司があり酒を大祝座って振る舞う 大宮司の座にある酒を大祝振る舞う 国司の座は少し中座し 国司の座にある酒も大祝 座主 大宮司の座より振る舞う 十日の夜移した 三職の時も同項である。これも酉の刻より登り座る順は同じ 御遷宮にも座る。
第一二四条 八葉の石畳
八葉の石畳は八葉の蓮を表す。
第一二五条 八ヶ寺
八ヶ寺は、仁王経 八の文を表す
第一二六条 七堂
七堂は玖ハコの七仏を表す
第一二七条 朝妻七社
朝妻七社はけんさいの七仏を表す
第一二八条 留主七社
留主七社は未来の七仏を表す
第一二九条 神籠石
神籠石は八葉の石畳を積み始めて また積み治める時 しばらく神立をすることにより神籠石と書いて「こうごいし」と読む
第一三〇条 中島の伊勢は大井
中島の伊勢は大井、天照大神を九品将と名付けた場所である
第一三一条 三明神の片江
一の宮は上の屋敷にあり又向かい合わせに三明神の片江が左右に分けてある
第一三二条 二の宮
二の宮は山田にある
第一三三条 三の宮
三の宮は御手洗橋の上の左にあり
第一三四条 四の宮
四の宮は神籠石の前にある その石を守る神ゆえ石守神という
第一三五条 五の宮
五の宮は大見堂前にあり
第一三六条 六の宮
六の宮は巡り堂の向かいにある
第一三七条 七の宮
七の宮は坂本の上にある
第一三八条 巡り堂
巡り堂は大善薩の隣
第一四〇条 九州七社
九州七社は 天神七代を表す
第一四一条 同五社
同五社は地神五代を表す
第一四二条 彦権現
大菩薩 仁徳天皇の時 高良の山に登る道 皇宮を出 舟に乗り まず大善寺に上がり舟をあらため 古船は乗り捨て 大菩薩乗り捨てた船の瓦を取り大善寺大菩薩と改めた。高良大菩薩は新船に乗り酒見に上がり 異国討伐の九品将に任せ風浪九十九社を祝い 又船に乗り 黒崎に上がり住まわれる方を見ると舟の先に山有り 我住むべき所と云い 御旗三流れ投げさせ 旗はしばらく行き上宮の上になびいた。旗の先をやがて籏崎と名付け又異説には三流れ降るともいう 裏の固めにまかせ登ると瀬高いちかわらえ馬を控え山の景色を見ていちかわらと名付けた。その後遠くに人が見えたので異類が来たといい見先鳥を飛ばした ほどなく人は高良が云った。「人の形を 人形」と名付けた。彦権現が異国人でいる間 彦権現はかりごとを巡らす間 それゆえ国を司ることは無かった。諸国旦那はツオモツハラとする。彦権現はモツハラの敵神である第十七代仁徳天皇九月十三日幸い山に還った。
第一四三条 高良山
大善薩山に還幸あって住厭(すみあき)に登り記文に「善き高山にしばらく住んだ。」とありこの記文により高良山と名付けたとある
一、良続 山上 山下の城を守ることもあるが、惣領の大祝を背き 当山禁止を怠るのは武勢丸子の体 平武士に降格する 並みの社家の役割を務める。
第一四四条 住厭
高良住厭(すみあき)には三年居て 四方の八葉の石畳を一夜にして構え 住厭(すみあき)であるとと云い今の所に至る
第一四五条 仮社
第十八代履中天皇の時初めて仮社を造った。その後二十六代武烈天皇の時 社を造り変えた これも仮社である。第三十六代孝徳天皇の時 宮が無い時仮社を異国征伐の大将軍の印となった
第一四六条 順改装
四五代聖武天皇神亀二年丑乙より 天平九年丑丁の年まで十三年 順の改装の御桑栄である。
第一四七条 殺生禁断
四十八代称徳天皇の時 社内に手負鹿走り入ったことにことごとく改め順の改装の御桑栄の時より 当山は殺生禁断となった。
第一四八条 逆改装
五十九代宇多天皇の時 逆改装があり上宮より下に造った 第一四九条 高良の官は有符の社であり 五色に彩る社である 符を少々変えた 五間に定めること五仏を表す 妻五間に定めること 五躰尊である 八尺間は仁王経二句のケ 八ケの文を表す 一間に十六本の垂木は 十六戦神を表す 組み入れ天井の組みれ以下は 金胎両部を表す 貫 板 楔 釘以下までも三世の諸仏を表す 藁葺きは神代の鵜茅を表す たとえ逆に改装しても 順改装のように柱三十六本は地の三十六神を表す
第一四九条 高良の官は有符の社
高良の官は有符の社であり 五色に彩る社である 符を少々変えた 五間に定めること五仏を表す 妻五間に定めること 五躰尊である 八尺間は仁王経二句のケ 八ケの文を表す 一間に十六本の垂木は 十六戦神を表す 組み入れ天井の組みれ以下は 金胎両部を表す 貫 板 楔 釘以下までも三世の諸仏を表す 藁葺きは神代の鵜茅を表す たとえ逆に改装しても 順改装のように柱三十六本は地の三十六神を表す
第一五〇条 順改装
七十代冷泉天皇の時 又 順改装があった 勅使には太政大臣頼道公を差し遣わした 改装の次第の項 第一五一条 朝妻 下宮 伊勢 本躰所 印鑑 一の宮より七の宮まで 七堂八ヶ寺 阿志岐 妙見一の鳥居より三の鳥居まで両坂本本躰所 阿志岐 門は三間社であり その外はことごとく一間社である五社山王 天神 留主七社 社内にあり 一間社である その次に本社を造り 左右百八十間の端郎四方に有り 百八十仏を表す 灯篭 聖羅符 フラフ門を建て 四十八間の渡り廊を造った これは四十八漕の船を表す 三十三間の間ラフ 三十三天を表す 朝妻より上宮を造ることを順改装といい 順改装の祭ことごとく小社を招集させる為 逆の改装という 上宮より朝妻に造ることは逆改装という
第一五一条 順改装 逆改装
朝妻 下宮 伊勢 本躰所 印鑑 一の宮より七の宮まで 七堂八ヶ寺 阿志岐 妙見一の鳥居より三の鳥居まで両坂本本躰所 阿志岐 門は三間社であり その外はことごとく一間社である五社山王 天神 留主七社 社内にあり 一間社である
その次に本社を造り 左右百八十間の端郎四方に有り 百八十仏を表す 灯篭 聖羅符 フラフ門を建て 四十八間の渡り廊を造った これは四十八漕の船を表す 三十三間の間ラフ 三十三天を表す 朝妻より上宮を造ることを順改装といい 順改装の祭ことごとく小社を招集させる為 逆の改装という 上宮より朝妻に造ることは逆改装という
第一五二条 宮の御所
宮の御所 二戸改装を造った 一戸は順 一戸は逆
第一五三条 左宮
左宮 宇佐八幡大菩薩
第一五四条 中宮
中宮 玉垂大菩薩
第一五五条 右宮
右宮 住吉大明神
第一五六条 善神王
善神王 左本地 大日 右本地 不動毘沙門
第一五七条 坂本
坂本 左本地 不動尊 右本地 毘沙門天
第一五八条 留守七社
留守七社 本地七仏の薬師
第一五九条 朝妻七社
朝妻七社 神功皇后 国長神 古父 古母 乙宮 妙見 両妙見 本地七仏薬師
第一六〇条 九躰皇子
阿志岐九躰皇子の本地のこと 同真言の秘密である。
- 斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒 光天皇千万人に勝つ
- 朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢 南無阿皇天皇一日の難を逃れる
- 暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)薬師 クマル天皇一切作物虫食い逃れる
- 渕志ノ命神(ふちし)文殊 南無徳達天皇生類眷属難産逃れる
- 谿上ノ命神(たにがみ)釈迦 南無ラシ天皇半死の難を逃れる
- 那男美ノ命神(なおみ)観世音 タツツカツ天皇丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる
- 坂本ノ命神(さかもと) 阿弥陀南無しんしょう天皇ふくひょうの難を逃れる
- 安志奇ノ命神(あしき)地蔵 南無たくしょうしん天皇わう難を逃れる
- 安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)大日 南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け
斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子である。
第一六一条
阿蘇十二宮 本地十一面 九州七社とは五社に宝満大菩薩 本地十一面 大善大井 千栗八幡大井を天満大自在天神 本地十一面 逢い添え申す 九州七社 志賀大明神 本地文殊 河上大明神 本地十一面
第一八二条 高良内
大菩薩 その山を結界の地とし八葉の石畳を付かせ その時高良内を外に貼り 大善薩御法心があってから御託宣にまかせ高良山に三百六十余坊を建て 三百六十余坊日をかけ三百六十余坊の内 十五坊を高良内に建て 座主の屋敷とした その時より高良内と名付けられた。
神訴神法の次第の項
人皇四十代天武天皇白凰二年 父保続 令嫡男保義家督を継ぐ 高良山社職惣官 大祝 奉守護明神 明神の前に剣 神器 武器 系図 重書を供え 次男武勢麻呂良続 保続 武臣の為武器を与え 神代邑構城館明神を御守りする。処伝の武器 建三社 祖神代々続くもので 武賀丸保通 三男保続 成法師 隆慶 妻帯社僧 当社大宮司の子孫 宗崎氏 良摩丸 保続五男 草壁氏 後の稲員氏 これより本司 川口 安曇二氏に分れ 鎮志丸保良 吉津丸続定 わけ合って平武士になった。
五姓の次第の項
第一八三条 大宮司職
丹波氏 大宮司職
第一八四条 小祝職
安曇氏 小祝職
第一八五条 下宮御倉出納職
前田氏 下宮御倉出納職
第一八六条 御貢所鰚贄人職
草壁氏 御貢所鰚贄人職
第一八八条 物部御同姓大祝職
高良大菩薩氏 物部御同姓大祝職である 大善寺大祝 神代 大祝家より出た 座主 大宮司 系図に同じと伝わる 八人神官は田尻 小祝 外湯 所司代 印塚 福成 稲員 皆保続御子衆である。
大そ善寺御紀文曰く 五姓定めることは物部を隠す為である
第一八九条 五姓
大善寺御紀文曰く 五姓定めることは物部を隠す為である
第一九〇条 帝皇御願 諸国国分寺
帝皇御願 諸国国分寺 諸社祈祷始まりである
第一九一条 香椎宮
四五代聖武天皇の時 香椎宮 神亀元年甲子神社創立
第一九二条 志賀海
皇子児宮 天平元年己巳 志賀の前社創立
第一九三条 住吉
四六代孝謙天皇 住吉の宮創立
第一九四条 筥崎宮
六十代醍醐天皇延長癸未 筥崎宮創立
第一九五代 宇佐宮
第四五代聖武天皇天平元年己丑 宇佐宮創立
第二〇〇条 御神秘を他姓知ることがあれば
大井御記文 物部を背き、三所大井の御神秘を他姓知ることがあれば、当山滅亡する
第二一二条 香原岳
豊前国に一峰二峰あり 異国より異類攻め来れば三峯へ 高良三所大菩薩要綱合って異類退治を誓い 三峯異類征伐の時 高良山に登り異国異類の様子を見たことにより高良峯と名付けられた 彦権現図り事で高良峯を攻め尽くそうと並びの山より樋っを掛け攻めるところに高良大菩薩が現れ大水で彦嶺三百余丁を攻めた そのことにより彦権現樋を掛けた山を樋嶺と名付けた。仲哀天皇崩御 香原垂迹留まることから香原岳ともいう
第二一三条 竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)
異国征伐の時 船を造られた神功皇后 阿弥陀如来の変化である間 六十八中背の引く幡を起し 四八帆船を求め四十八船造った 船長 天神七代 地神五代十二代を表し 十二丈と定め 五色とした これは五仏を指す。舳先の五色は五躰尊不動を表す 中の船梁は四つは四天王 供の船張りは舳先の船梁は金の大日 舳先の船梁は胎蔵界の大日である。以上船梁は六本である。三軒柱は過去 現在 未来を表す 船の名は竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)と名付けた。
第二一四条 当山の一火
当山の一火は 大井神事の玉を異敵攻めるおり皇宮に至るまで預かった 又干珠満珠竜宮に借りる時異国を平らげてこの三つの珠の威力高良山一火と照らし上宮御殿より八寺を巡り鷲尾を下り瓦磔場を渡り八葉を巡り元の上宮御殿を廻る もしこの火が消えることがあれば当山は滅ぶ 二三日照らせば必ずくせつくものである。
第二一五条 麓の一火
麓の一火は大祝屋敷より南の丘を下りて松壽邦馬場上り 下宮本躰所を巡り 阿志岐不開にを行き 朝妻を渡り矢取の前を行き瓦磔場に上がり元の丘に留まり このいわれ謙遜耐震 異国を攻める時に至るまで内待所を預かり この子 日徃子命へ譲り 当山までも睡蓮あれば今に大祝職の家に伝わり この鏡威力あらわれて麓の一火となった。衰退するので出入りは人目つかぬようにする かの丘とは大祝職日徃子命の火なり 参照の一火は金剛界 麓の一火は胎蔵界 火と水を表すのは秘密である
第二三七条 大善寺 風浪宮 黒崎
黒崎 大善寺となること高良山寺社始まっってその次に大井の言葉に大きな善い寺なので大善寺と名付けたとある 大井高良山へ明かりが無いので 九月三日に対戦し五日逗留し御船を改め御船のの瓦を捨てたので御船山という七日の丑の刻より御船致し酒見へ上がり 波風の神を納め 天の二十八色 地の三十六 二十五あり九十九尊を納めた 後に風浪貢献と云われる九十九尊を やがて九十九社と呼ぶようになった 酒見とは老人は酒を飲むので酒見と名付けた。四日逗留して、十日とりのおはりより御船に行き 月が沈んだむと早く黒崎になると云ったので黒崎と名付けた 三日して築後の指図をし住むところを定め 九月十三日に高良山に御遷幸した 黒崎より高良山の道筋 へちのところにかけた
第二八一条 九州の宗廟
高良 九州の古荘ひうたるか、天平勝宝元年丑己の年 宇佐八幡宮の創立により 高良 御ままこたるにより 九州の宗廟の司を譲られた
第二九五条 菰の座
彦火々出見尊の弟ソソリノ尊は、海の遠くへ行かれた その弟ササリノ尊は山の遠くへ行かれた今の菰の座 その二神を重んずるゆえ 住吉 高良兄弟は皇代が始まって以来兜率天のように上がり 三光日々に現れ 三時山海総黙とうしなびき従うところなり これにより海山の遠くをみると菰の座 四十物座の別当 今ここに現れ 伴いその両座 市を立て 売り買いを定めた また古の蛭子も西宮の恵比寿となり商い堅固の守護神となり ゆえに市別当をはじめとして 諸職避けぬ礼位である 秤や御託宣によって払う記文である 油屋は 大井の御前に燈明明らかにして 懈怠あることの無いように 土器はおよそ六十余角の祭に 土器三昧の祭の為である 金屋は 三所大井の日のみ刻を かしく故である 白銀屋は金物 釘 宮造る故である、その他 こういつきクンショウ内衆 国衆御供は 大井の御領の国へおわしますことはかりを背かず なへての御供たるべし 大祝につく
第二九六条 出家
上宮 三井寺 三明神 三霊地ゆえ 出家は大本三家中の模範となること 侍 家人に至るまで 牛 馬の首を切りたいとい えども その咎は無い
第二九七条 大井御記文 咎真
大井御記文 咎真であると言うとも その三霊地に居れば 皇位を背くとも致すことない
第二九八条 大工内の許可
大工内の許可なのこと、絵 創作ことごとく途道ゆきて 住吉の内は一の大工 八幡の内は二の大工 大井の内は三の大工 許可なおかけ 後退りに去ること 許可なおり 三貫 五間に十五貫 金のこいのぬの 五間に五反とする
高良玉垂神秘書 訳文弐 https://kouratamadare.com/%e9%ab%98%e8%89%af%e7%8e%89%e5%9e%82%e7%a5%9e%e7%a7%98%e6%9b%b8%e3%80%80%e8%a8%b3%e6%96%87%e5%bc%90