天比登都柱は伊邪那岐と伊邪那美が国生みで生んだ壱岐島の別名 中国の史書である『三国志』魏書の魏書東夷伝倭人条、いわゆる『魏志倭人伝』においては、邪馬台国の支配のもと、「一大國」が存在したと記されている。また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。また長官を卑狗(ひこ)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。広さは約三百里四方ばかり。竹や木のしげみが多い。三千ばかりの家がある。田畑が少しあり、農耕だけでは食料には足らず、また、南や北に海を渡って穀物を買い入れているとある。
志々岐神社
錦浜 この浜の名前の由来は、「神功皇后が三韓出兵の時に、この浜で錦の衣を干した」という言い伝えに由来しています。その錦浜に面してひっそりと神社が建っています。 境内 龍のような狛犬のような石像と鷹と三猿 由緒 志自岐神社祭神十城別王 武加比...
天手長男神社・天手長女神社
壱岐一の宮とはこの神社のことを指すそうです。 参道 寶滿宮の鳥居 天手長男神社の鳥居 由緒・沿革 壱岐一の宮天手長男神社 式内社(名神大)正哉吾勝勝速日 天忍穂耳尊祭神 天細女命 天手力男命天手長男神社 武内式(名神大)天手長比売神社 ...
白沙八幡宮
壱岐で一番大きな神社といえば、間違いなくこの神社になります。 参道 この神社の参道は巾は狭いですが長さが長いのが特徴です。 壱岐白沙八幡社社叢「社叢」とは神社の森のことをいう。白沙八幡神社は壱岐の南東海岸に位置する筒城浜の背後にある旧郷社で...
国津意加美神社
その神社は壱岐のフェリー発着所 郷ノ浦からすぐ近く郷ノ浦町役場の向かいにある、盈科小学校の北隣に目を見張るような石段があります。 由緒 国津意加美(くにつかみ)神社(旧称妙見宮)式内社 旧村社祭神 素盞嗚尊 配祀 大己貴命稲田姫命闇袁加美神...
本宮八幡宮
猿石 黒崎砲台 聖母神社から猿石を廻り黒崎砲台を見た後に向かった神社は 境内 長い参道です。 非常にシンプルな狛犬です。 由緒 本宮八幡宮御祭神西殿 八幡大神中殿 住吉大神東殿 聖母大神(神功皇后)『壱岐国神名記』に「本宮村八幡宮三所、大、...
聖母神社
壱岐ではフェリー発着所からみると最も遠い対馬寄りの海に向かって1つの鳥居が建っています。 馬蹄石 出兵の際に神功皇后が乗っていた馬にその力が伝わり、馬の蹄の跡が岩に残ったものだといわれています。 石垣 この場所は豊臣秀吉の前線基地でもありま...
國片主神社
月讀神社から壱岐の中心部に向かって行くと二つの石の目印が目に入ります。 史跡 へそ石 江戸時代に書かれた壱岐名勝図誌に「女夫石」として記載があり、壱岐の中心を表す標石として道しるべとなったとあります。 史跡 顎掛け石と六面十二菩薩 月読神社...
住吉神社
フェリー発着所の郷ノ浦から国道を行くと古い鳥居が見えてきます。 由緒 住吉神社一、御祭神 底筒男神 中筒男神 表筒男神御相殿八千戈神(大国主命)一、御由緒 當社は神功皇后 新羅御親征御凱旋の時 三韓鎮護の為 軍越神事を定めて御親祭あらせ給い...
月讀神社
月讀神社 壱岐には古代より多くの古墳が点在し倭と倭国を往復するうえでも対馬と同様重要な地点にあったことは間違いありません。 画像はお借りしました 壱岐には倭国でも発見されていない一世紀の鉄の溶鉱炉跡が発見されており日本古代史を知る上でも重要...