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継体天皇

磐井その後

「日本書紀」「古事記」によると、磐井は物部麁鹿火に斬られたとされているが『筑後国風土記』逸文には、磐井が豊前の上膳県へ逃亡し、その山中で死んだ(ただしヤマト王権軍はその跡を見失った)と記されている。 その後磐井の領地の一部と考えられる日田の...
武内宿禰

高良玉垂宮神秘書 武内宿禰

寛文一 〇年(一六七〇)には、祭神の高良玉垂命は武内宿禰であると定めた有馬藩の 藩論が明治に至るまで主流となったが神社側では、明治には武内宿禰説から、六国史時代の高良玉垂命へと還ることになった。 高良玉垂命(住吉三神) 表筒男 日神垂迹 安...
福岡県

彦権現

「高良玉垂宮神秘書」に記されている彦権現とは何者であろうか? 彦権現は異国人  彦権現は異国人で敵神なり 大菩薩 仁徳天皇の時 高良山に登る道 皇宮を出 船に乗り 先に大善寺へ行き 船を乗り換え 古い船は乗り捨てた 船のカウラを取り 大善寺...
聖徳太子

日本書記対照年表

飛鳥時代年表 注:この年表は「日本書紀」と「隋書」「三国史記」他 神社に伝わる書等を参考にし私年号 法興を多利思北孤 聖徳を舒明と想定しています。 日本書記(継体~敏達) 507年(継体元年)継体天皇 河内国樟葉宮(くすはのみや、現大阪府枚...
人代(成熟期)

葛城氏

「高良玉垂神宮秘書」によると阿部保蓮(開化天皇)と神功皇后の子である仁徳天皇は最初九州にいたと記録されることから仁徳天皇の皇后 磐之媛命の父と記される葛城氏の祖 長江曽都昆古(ナガエソツヒコ)後の葛城襲津彦(カツラギソツヒコ)も九州にいたこ...
人代(成熟期)

火(肥)の君

聖徳太子と面会した人物として百済の聖明王の王子 阿佐太子を招いた人物として火の君の記録が三か所に残っている。 稲佐山累縁記により、百済聖明王の王子阿佐太子は、欽明天皇の勅命により、火ノ君を頼り稲佐に妻子従房数十人、八艘の船にて来航、座所二カ...
豊玉姫

和風諡号の意味

諡号 諡号、あるいは諡は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。 漢風諡号 鎌倉時代に成立した『日本書記』の注釈書『釈日本記』に引用された元慶~承平...
継体天皇

新帝擁立

継体天皇は即位から19年間倭入りせず526年磐余玉穂宮に還ったと云われる。この年の翌年 磐井の乱が起きたことは偶然と考えにくい。 継体天皇の崩年 継体天皇の崩年は「日本書紀」によれば531年に皇子の勾大兄(安閑天皇)に譲位し、即位の同日に崩...
継体天皇

磐井の乱

継体天皇21年(527年)に 朝鮮半島 南部へ出兵しようとした 近江毛野 率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井 (『 日本書紀 』は 筑紫国造 だったとする)がはばみ、翌 528年 (継体天皇22年)11月、 物部麁鹿火によって鎮圧された反乱...
天日鉾

継体天皇

506年に大変な暴君と伝えられる武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大君・巨勢男人ら有力豪族が協議し、まず丹波国桑田郡にいた14代仲哀天皇の5世の孫である倭彦王(やまとひこのおおきみ)を推戴しようとしたが、倭彦...
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