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「草書体で解く邪馬台国の謎」レポートNO1

豊玉姫

 おかげさまで先日北九州市立文学館において「間違いだらけの邪馬台国」の著者 井上悦文先生の講義が無事終了しました。
講義の内容をご紹介いたします。

漢字の歴史について
実は漢字は通説では「楷書が先に生まれ 楷書を崩した行書が次に生まれ 更に崩した草書が生まれたとされていますが、現代では紀元前4千年頃刻符から甲骨文字(こうこつもじ)→金文(きんぶん)・石鼓文(せっこぶん)→篆書(てんしょ)→隷書(れいしょ)→草書→行書→楷書→簡書の順で推移したことが判ってきた。

楷書体の正式書体の確立は隋・唐なってからである。

 陳寿の「魏志倭人伝」
「魏志倭人伝」を書いた陳寿は 中国明初期の官吏。朱高煦の讒言を受けて獄に下され死んだ(陳寿伝) 中国西晋の官吏。本項で解説する。 陳 寿(陳壽、ちん じゅ、建興11年(233年) – 元康7年(297年? ))は、中国の三国時代の蜀漢と西晋に仕えた官僚。字は承祚(しょうそ)。『三国志』の著者である。自身の伝は『晋書』にある。

「三国志」は彼の死から四年後に書かれたもので、その本の元は魚豢(ぎょかん)の「魏略」と王沈の「魏志」に接続詞を付けたものであることは三冊を並べると明らかである。

「三国志 」は六万五千字からなり四年で宮仕えをした陳寿が記載したとすると楷書では不可能である。

更にその中の「倭人伝」は一九八五字で草書を書き写す時に間違いが生じた可能性が高いと考えられる。

「魏志倭人伝」の距離は一日の移動距離を千里と記載しており倭国の国名は全て九州から瀬戸内海にある国の名前である。
 例 末慮国=松浦 伊都国=糸島 不弥国=宇美国 狗奴国=熊国 投馬国は殺馬国(さつまこく)の誤写であり邪馬壹國は邪馬臺國(やまだこく)の誤写である。

ちなみに畿内の国は黒歯国 裸国と掲載されているそうです。

中華思想
また 「魏志倭人伝」には「中華思想」が入っている。「中華思想」とは中国が花つまり世界の中心で東西南北は北狄 南蛮 東夷  西戒 つまり野蛮人と考えられていたそうで倭国は東夷つまり野蛮な異民族という考えであったそうです。

山田長田大塚古墳 画像はお借りしました

邪馬臺國の場所
朝倉の山田長田大塚古墳は邪馬臺御田(やまだおさだ)であり「魏志倭人伝」の卑弥呼の墓は徑百餘歩とも合致し 周りには壱百基以上の円墳があり、東の麻底良山には斉明天皇の崩御の原因となった。麻底良布神社も存在します。
ちなみに麻底良布神社の麻底良布は中国語では「あまてらす」と読み 読みを変えると「あさくら」と読むこともできるそうです。

麻底良布神社

この行宮を建てるとき「朝倉の社の木を伐り除けて造ったために、神の怒りにふれ宮殿は毀され、側近に侍する者多く病に死す」と「目本紀」に記されてある。

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