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息栖神社

武甕槌命

 東国三社(鹿島 香取 息栖)の中でもしかしたら一番重要なのはこの神社かもしれません。

一の鳥居 画像はお借りしました

男瓶 女瓶

男瓶 女瓶 画像はお借りしました

まずこの神社の一の鳥居の横には男瓶(おがめ) 女瓶(めがめ)と呼ばれる井戸があり、この水を男女が飲むと結ばれるという言い伝えがあります。

参道

息栖神社説明
稲荷神社  宇賀之御霊
神紋
手水舎

拝殿 本殿

拝殿
本殿

拝殿の向きは南東 扁額には龍の彫刻 神紋は左三つ巴 千木は外削ぎ

由緒

祭神
岐神 天鳥船神 住吉三神(表筒男 中筒男 底筒男)
息栖神社の由緒について
息栖神社は久那戸大神(くなどかみ)を主神として天鳥船 住吉三神を相殿の神として祀られており古くから国史にも見え(三大実録に書かれてある於岐那説神社)が今の息栖神社です。鹿島、香取の大神と共に東国三社の一社として上下の信仰の篤い神社です。
 久那戸神(くなど神)は厄災招福・交通守護の御霊格の高い神で鹿島、香取の大神と共にその先頭に立たれ国土の経営にあたられた。
天鳥船神は航海・航空の守護のの御霊格の高く古事記に(天鳥船を建御雷神に添えて遣わす云々)とあり御霊格の高い神様である。
鹿島の大神の御先導を務められた神であります。
(住吉三神)は海上守護・漁業関係の御霊格の高い三柱の神であります。このように五柱の神々を祀られているので息栖五所明神と称された。以下略 案内版より

境内

力石

この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し 芭蕉

礎石
鹿島神社
香取神社

分析

国譲り神話では息栖の神は鹿島香取を先導した神と記されています。現在は(いきす)と読みますが古くは「於岐都説」(おきつせ)と読み鹿島・香取が台地なのに対し息栖は島の上にあります。

神社の廻りかたは鹿島→息栖→香取の順が正式だそうです。

主祭神は岐(くなど)神、一説には気吹戸主(きぶきどぬし)。配神は天乃鳥船、住吉三神。くなどは「来なと」。悪霊邪気の侵入を防ぐ神です。

①岐岐(くなど)神
『古事記』では、伊邪那岐神が死の国(黄泉国)から戻って禊祓をした際、 身につけているものを脱ぎ捨てると、それらから十二の神々が化生した。杖より化生した神が、衝立船戸神。

『日本書紀』の一書には、黄泉の国で妻・伊奘冉尊の姿に驚き逃げる伊奘諾尊が、 追ってくる雷神に対し、杖を投げて「ここからこちらへ来るな」と言った。 これを岐神。元の名は来名戸祖神という。

『延喜式』道饗(みちあえ)祭(陰暦六月十五日に、京都で邪気の入らぬよう都の四方の路上に供物をする祭)の祝詞の中で、 禍を塞ぐ神として登場するのが久那土神(久那斗神)。

那斗神は現在出雲大社の摂社の出雲井社(出雲路社)に祀られている。

出雲井社の境内案内板にはこう記載されています。「この神は勇武にして地理に明るく、大国主大神が国譲りの際 大神の命によって経津主神に随伴して諸国をめぐり不逞の者を平げ帰順 せしめて天の下を統一せら れた功神であります。

大甕神社 天香香背男 画像はお借りしました

この神は長脛彦のことで本当の父は須佐之男命 母は櫛稲田姫 日本書紀「神代下」第九段一書第二には
「天に悪しき神あり。名を天津甕星(あまつみかほし)という。又の名は天香香背男(あめのかがせお)。請う、まずこの神を誅(ほろぼ)して、その後に下りて葦原中国を撥(おさ)めよう。」とありましかしたらこの神と同神であるかもしれません。

②気吹戸主神(いぶきどぬし)
江戸時代には息栖の「息」からの連想でしょうか(息吹=いぶき)、祭神は気吹戸主神と考えられ芭蕉の句にも気吹戸主神の名が残っています。気吹戸主神は大祓詞に登場する祓戸大神(はらえどのおおかみ)の1柱ですから、祓いの神として意識されていたのは間違いないでしょう。

通常 気吹戸主神は祓戸大神で金山彦が当てられますが、長脛彦の場合 父である素戔嗚が当てられるのが多いようです。

静神社

③天乃鳥船 (あめのとりふね)
出雲の国譲り神話(古事記)において、天照大御神の命により、武甕槌神(鹿島の大神)の副神として出雲に降下した神。

④住吉三神
上(表)筒男・中筒男・下(底)筒男
「海の神」であることに加えて「祓いの神」でもあります。伊邪那岐神が黄泉国から逃げ戻り、河口の海水で禊ぎをした際に生まれた神です。

③④の神が重要な神で個人的には建葉槌命(武神)の別名ではないかと想像します。
つまり「高良玉垂神秘書」でいう住吉大神 事代主 鸕鶿草葺不合尊のことで八咫烏の後継者 建御雷の実の息子になります。

新撰姓氏録』には角凝魂命の三世孫が天湯河桁命で後裔が鳥取連、美努連とされ[1]、『先代旧事本紀』には少彦根命が鳥取連の祖神とされる一方、『斎部宿祢本系帳』には角凝魂命の四世孫・天日鷲命の子である天羽槌雄神が鳥取部連、美努宿祢の祖とされている。これらのことから少名毘古那神と天日鷲命と同一神であると考えられる。

wikiより

平安時代に編纂された歴史書である「文徳天皇実録」によれば斉衡三年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗の海岸に御祭神大名持命・少彦名命が御降臨になり、塩焼きの一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」(現代意訳:私は大名持、少彦名命である。日本の国を造り終えてから東の海に去ったが、いま再び民衆を救うために帰ってきた。

酒列磯前神社由緒より
大洗磯前神社 荒磯の鳥居
東国三社

東国三社の社殿の向きは(但し、香取のみ奥の院から見た場合)図のようになっており、鹿島神宮が押さえる北に天津甕星(あまつみかほし)が祀れれているようです。

弥彦神社

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