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産宮神社

福岡県

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)は「記紀」に彦火々出見と豊玉姫の息子として記載されているにもかかわらず誕生以外の説話はほとんど残っておらず。彼を祭る神社は、ほとんどありません。

糸島市前原に珍しく鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を祭る神社が存在します。

由緒

産宮神社
御祭神 奈留多姫命 玉依姫 彦波鸕鶿草葺不合尊
例祭日 二月二十五日 百手的射神事
    毎月二十五日 安全祈願祭
略縁起  御祭神奈留多姫命は御懐妊に当り祖神をお祈りし「月満ちて生まれん子端正なれば永く以て満世産婦の守護神とならん」と仰せられて無事皇子を安産された由 以降産宮と称え安産守護の神様として広く崇高を集めてきました。又神功皇后三韓征伐に際し当宮に産期の延びん事を祈られ、御帰朝後皇子を安産せられた由、その奉賽の為百手的射神事を奉納され、この故事にならって二月二十五日には的射の神事が修行されている。
社前に梅樹あり「子安梅」と云う その神水は神功皇后が韓土より持帰り 初めてこの地に植えられたものと云う。                         案内版より

この略縁起を見る限り鸕鶿草葺不合尊の妻は奈留多姫初代神武天皇の母でであるかのような印象を受けますが、ここには奈留多姫が皇子を生んだと記されているのみで、神武天皇とは記されていません。

また社伝では「奈留多姫は懐妊に当たり、大いに胎教を重んじ、玉依姫命、豊玉姫命両神の前にて、「月満ちて生まれん子は端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓いて、出産に臨んで苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、以後、「産宮」と称えて安産守護の神と祭る、とある。(略)

しかしこの社伝も全くの作り話で初代 神武天皇の母は「記紀」では玉依姫と記されており 二代綏靖天皇の母は「媛鞴五十鈴媛命(ホトタタライススキヒメミコト)」であり、記紀によれば「大和国」で結婚し子を産んでいる。

ここの伝承では玉依姫もしくは媛鞴五十鈴媛命の別名が奈留多姫のように見えますが、奈留多姫天忍日雨宮姫の娘別名 八坂刀売神( ヤサカトメ )後の諏訪大社の建御名方の妻に当たる人物のようです。

ではこの鸕鶿草葺不合尊と奈留多姫の間に生まれた皇子とは誰のことかというと

息子では日本武尊に誅殺されたと伝わる川上梟帥 皇女では神功皇后の妹と伝わる佐賀の河上大明神(水沼の君) 淀姫なのです。

「記紀」では悪人のように記載されている川上梟帥は祖父 彦火々出見 祖母 豊玉姫 父 鸕鶿草葺不合尊 母 八坂刀売神の由緒正しい血統であったようです。

境内

手水舎

狛犬

子安梅
この御神木は神功皇后が韓土より持帰り 初めてこの地に植えられ妊婦がこの実を裁けば産が安いっと言われています。  

拝殿

神紋は桜 桜の紋は糸島では桜井神社 大宰府では竈門神社で確認しました。

千木は外削ぎですので鸕鶿草葺不合尊か川上梟帥ということになります。

摂社

宮地嶽神社

天神社 庚申社

分析

鸕鶿草葺不合尊と玉依姫の息子と記される神武天皇というのは、別の人物のことを言っているようです。彼らの息子は、高良大社の伝承通りなら志賀海神社と高良大社の祭神のこと 安曇磯良 高良玉垂命 開花天皇と同一人物で父違いの兄弟が東征した崇神天皇(神武天皇)であるはずです。
鸕鶿草葺不合尊の血統は他にも数か所確認され大己貴と共に国を造っていったようです。


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