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宗像大社

福岡県

宇佐神宮を説明する前に予備知識として数社ご紹介したおかなければならない神社があります。

宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮ともいえる。裏伊勢と称される。

宗像大社は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 宗像大社辺津宮として2017年世界遺産に登録されました。

史跡 宗像大社境内

史跡 宗像大社境内 
 宗像大社は沖津宮 中津宮 辺津宮からなり、宗像三女神を奉斎したいる。
 ここに祀られる宗像大神については、記紀、風土紀にも詳らかに述べられており、沖津宮のある沖ノ島からは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神宝(国宝)が多数出土している。
 また宗像大神を奉祀する宗像氏は古代の有力な氏族であり、中世には院庁、鎌倉、室町幕府らとその地位を守り抜いた豪族であった。
 旧境内の概要は、現存する天正六年(一五八七年)の造営絵図により想定できるが、現境内もなお当時の形状を保っている。               文部省
昭和四十六年四月二十二日指定                案内版より

参道

御祭神について
田心姫神  沖津宮
湍津姫神  中津宮
市杵島姫命 辺津宮
の三女神が日本書紀に伝えられているように天孫降臨にさきだち天照大神の御神効を奉して鎮座されました。
この九州北辺の要所の地三柱の女神が勅祭された意義は誠に尊く・・中略・・全国六千余ある・・・当社はその総本宮であります。 宗像大社社務所勤誌 案内版より

宗像三女神は天照大神と素戔男がたばさんでいる剣を天の真名井ですすぎ、口で噛みくだいてキリとして吐き出したうけいにより生まれたとされる神です。「古事記」では神代上巻に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり「日本書紀」では降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山で、筑紫国造の田道命の子孫の、長田彦(小狭田彦)が、天照大神の神勅をうけて神籬を建てたのが祭祀の始まり。『宗像大菩薩御縁起「筑前国風土記逸文」』『香月文書』『六ケ岳神社記』『福岡県神社誌』など。天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。

祓社
手水舎

境内

狛犬

昔来たときは工事中でしたが、現在は拝殿まで屋根が掛かっています。

拝殿

拝殿

奉助天孫而 為天孫所祭意味 意味としては汝三神 宜しく道中に降居して 天孫を助け奉り 天孫に祭かれよ 日本書紀記載

両側には三十六歌仙の歌が飾られています。

市杵島姫命

千木は外削ぎです。本来ならば男神です。

千木は外削ぎ、この社は市杵島姫命の社で三女神で須佐之男命の娘で英彦山の伝承では天忍穂耳命(草壁吉見)の妻ですがのちに大国主に嫁いだと記されています。大国主は入婿に入った形になります。

これが外削ぎの一つの理由の可能性と考えられます。

末社

末社由緒
本殿を囲んで二十三の社殿に一二一の末社が鎮まっております。現在の社殿は延宝三~四(江戸時代前期)にかけて整備されたもので、その由緒は古代律令制度の時代まで遡ります。
 大化の改新(六四五)に公民地民となりますが「神郡」と定められた地域のみ神社の私有が認められました。神郡は全国の有力神社七社(伊勢神宮①内宮②外宮③阿波神社⓸熊野大社⑤鹿島神宮⑥香取神宮⑦日前 国懸神宮⑧宗像大社)のみ許され「八神郡」と称されました。                      以下略

御神木と神紋について

神社の神紋は椚で、この木は樹齢五五〇年のものと書かれています。

高宮参道

蛭子社(八重事代主)
松尾社(大山咋)

やはり市杵島姫命と田心姫の息子達です。

第二宮 第三宮

第二宮 田心姫

第二宮 田心姫ですが海北の道主貴と呼ばれ沖の島の祭神です。通称は豊玉姫 以前ご紹介した赤司八幡宮には「遠瀛宮(おきつみや)の田心姫は、筑紫胸肩君が祭る神、筑前国宗像郡宗像神社これなり。」と記されています。

最初の夫は彥火々出見でしたが、のちに大己貴に嫁ぎました。豊玉姫には連れ子がいて通称 鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) 高良玉垂神秘書には住吉大神と記されています。高宮参道にあった蛭子社のことです。高良大社はこの血統と記されています。

第三宮 多岐都比売命

第三宮 多岐都比売命 大島の祭神です。通称は玉依姫 宇佐に降臨したと伝わるのはこの姫のことで最初 鸕鶿草葺不合尊の妻でしたが後に大山咋(おおやまくい)の妻になりました。阿蘇の国造神社の祭神とは大山咋のことです。丹波の大物主 日枝大神 松尾大神はこの血統と記されています。

ちなみに第一宮の市杵島姫命ですが降臨地は宗像 大山咋(おおやまくい)の母になります。最初の夫は天忍穂耳(草壁吉見)ですが連子で大己貴に嫁ぎました。

高宮斎場

宗像大社では最も神聖な場所で神殿が構築される以前からの神籬(樹木)形態です。


ここに本来祀られていたのが大国主命です。

祭礼の様子

行きは無かったのですが、帰りには茅の輪ができていました。

今年のポスターもかっこいいですね。

分析

市杵島姫命の社が外削ぎの理由は市杵島姫命のみが婿養子をとった神であること
大伴坂上郎女の宗像を詠んだ歌
おおなむち すくなひこなの かみこそは なづけそめけめ なのみを なごやまとおいて あがこふる ちえのひとえも なぐさめに
平安時代ここでは宗像大社は大己貴と少彦名を祭っていたことがわかります。三十六歌仙は暗にそれを示しているのかもしれません。

神殿横に蛭子神 松尾神が祀られていることより田心姫の本当の名前が豊玉姫 田端姫の本当の名前が鴨玉依姫であると判断できます。

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