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元伊勢 外宮

京都府

京都丹後には元伊勢と呼ばれる二つの神社があります。

画像はお借りしました

元伊勢内宮皇大神社(祭神・天照皇大神 京都府福知山市大江町内宮217)

天照皇大神が笠縫邑から伊勢に移られる前に、丹波又は丹後に一時遷座されたことによります。その後、天照皇大神が伊勢に移られ、さらに、その後、豊受大神も伊勢の山田原に遷座になったことによります。

もう一社が元伊勢籠神社 京都府宮津市大垣430

元伊勢籠神社

参道

三の鳥居
文化財の狛犬
手水舎
神門

拝殿 本殿

拝殿
本殿

拝殿の向きは南千木 鰹木共に横削ぎ 神門は左三つ巴 彦火明命(彦火々出見命)に関係ある女性です。

由緒

祭神 彦火明命(彦火々出見命) 元の祭神は豊受大神
相殿 豊受大神 天照大神 海神(わたつみ) 天水分神(天鈿女命)
由緒 古昔より奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りしてきましたが、崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑から御移りになり、これを吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました。その後、天照大神は垂仁天皇の御代に、豊受大神は雄略天皇の御代に、それぞれ伊勢にお移りになりました。それゆえ、当社は元伊勢と云われております。
両大神がお移りの後、養老三年、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を吉佐宮から籠宮と改め、元伊勢の社として崇敬を集めてきました。

祭神を見ても 外宮候補は二人考えられます。天細女 海神(豊玉姫)

猿田彦大神 春日社 天照大神和魂 眞名井稲荷
倭宿禰命像 画像はお借りしました

別名 椎根津彦 珍彦 一番有名な呼び名は長脛彦 天細女の兄です。

恵比須社

豊玉姫の息子 鸕鶿草葺不合尊の別名です。

奥宮に向かってみましょう。

眞名井神社 匏宮大神宮

こちらの一の鳥居は久志日沼大神宮と書かれています。

境内

由緒

眞名井原縁起
上古ノ世丹後國未ダ分レズ丹波(たにわ)ト稱ス 造化ノ霊勝天梯立眼下ニ連ナリ 内ハ阿蘇海ヲ抱キ外ハ与謝海蒼々トシテ日本海ニ開ク 東ノ海中ニ冠島沓島神容ヲ現シ 天神ノ示現日子日女ヲ祀リテ常世嶋トモ稱ス 此処東北ニ神体山ヲ背負ヘル奇(くす)シキ一劃(いっかく)アリ 即チ原初ノ天神降リ來マセル処真名井原ニシテ今太古ノ磐座存ス 東座ハ地上僅ニ現ハルト雖モ生命根源ノ神又御饌ノ神トモ申ス豊受大神鎮マリ給フ 大神ハ宇宙ノ一氣発スル大元(たいげん)ノケ(※)ノ神ニシテ 時ニ月神ニ化シ或ハ海神トモ現ジテソノ働キ変幻ス 之(こ)ノ神ハ籠宮祝部海部直(このみや はふりべ あまべのあたい)ノ丹波道主ノ娘八乙女ガ斎キ祭リシトゾ伝フ 瑞兆機ニ応ジテ表ハレ背後ノ山峡ニ狭霧立タバ水氣根源ノ玄妙ヲ思フベク 真名井ノ水ヲ手ニ結ビ 又之ノ山ニ藤ノ花咲カバ神霊ノ氣醞醸(うんじょう)化現シテ芳秀現世(うつしよ)ニ寄サシ給フヲ知ル 真名井原ニ神氣発スル時東ヨリ西ニ吹クト云ヘリゲニ大神(豊受大神のこと)ヲ祭る神事(第4代)懿徳天皇四年甲午(きのえうま)ニ始マリテ古へ(いにしえ)藤祭ト稱シ 欽明朝以降ノ葵祭ノ濫觴(らんしょう =始まり)タリ 之ノ(この)山ヲ天香語山又藤岡山或ハ比沼ノ真井(ひぬのまない)トモ云フハ命名ノ深秘アリテ其ノ心ハ御生レ(みあれ)ノ神事ナリ 豊受大神東正中ニ鎮マルニ対シ 西座ニ鎮マル雄大ナ磐座ハ大八州國生ミノ元神伊射奈岐伊射奈美ニ神ノ体ニシテ 日神此ノ処ニ所生スト伝ヘテ日之小宮(ひのわかみや)ト云フ 伊射奈岐ノ神ハ天浮橋(あめのうきはし)ヲ樹テテ(たてて)磐座ノ女神ニ通ヒ 以来之ノ磐座ヲ鶺鴒石(せきれいいし)トモ申シ岐美ニ神和シテ坐ス 即チ天橋立ハ神人通行ノ梯ニシテ古へハ籠宮(このみや※)ノ境内参道ト爲ス 神代ニ天上ナル天真名井ヲ挟ミテ日神素尊(スサノオ神)誓約(うけひ)シテ三女五神ヲ生メリ 其ヲ地上ニ求ムレバ之ノ真名井原ナラムト伝フ 実ニ此ノ処両個ノ磐座ハ天地日月水火陰陽併祭ノ源基ニシテ 民族ノ霊覺ノ象徴大和心ノ発祥ナリ崇神帝ノ御宇天照大神倭ノ笠縫邑ヨリ真井原ニ遷移シ 豊受大神ト同殿ニ鎮マリ吉佐宮ト申ス ニ神ハ高天原ノ幽(かくれたる)契ニ依リテ離ル可カラザル事 一神ニシテ座ニ神ニシテ一座ノ秘傳嚴トシテ籠宮ニ存ス 是籠宮ヲ元伊勢ト申ス事ノ元(はじめ)ナリ 中書ニ曰ク天子ノ大社ハ必ズ霜露風雨ヲ愛ク以テ天地ノ精氣ニ達センガ爲ナリト 真名井社今ニ神代ノ風儀ヲ遺ス(のこす) 天下萬民心アラバ来リ詣デテ世界平和ヲ祈リ灼然(いやちこ)ノ霊氣ニ浴サレン事ヲ


要約
丹波丹後がまだ分かれていない時代 天の橋立に連なる内海阿蘇海と外海与謝海~中略~真那井古代磐座に豊受大神が鎮まり神は籠宮祝部海部直(このみや はふりべ あまべのあたい)ノ丹波道主ノ娘八乙女が祭り伝えてきた。豊受大神を祭る神事は(第4代)懿徳天皇四年甲午(きのえうま)に始まり欽明以降天香具山又藤岡山あるいは比沼ノ真名とも日之小宮(ひのわかみや)という。伊邪那岐の神は天浮橋を立てて磐座ノ女神に通ひ 以来之ノ磐座ヲ鶺鴒石(せきれいいし)といい籠宮の参道となす。崇神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑から御移りになり、これを吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました。その後、天照大神は垂仁天皇の御代に、豊受大神は雄略天皇の御代に、それぞれ伊勢にお移りになりました。それゆえ、当社は元伊勢と云われております。
両大神がお移りの後、養老三年、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を吉佐宮から籠宮と改め、元伊勢の社として崇敬を集めてきました。とあるようです。

天の真名井の水

左右には龍が配置されています。

拝殿 本殿

拝殿
本殿

神紋は左三つ巴 千木は横削ぎ

眞名井古代祭祀場

五十猛 彦火出見 饒速日 猿田彦は同一人物であり豊玉彦の娘 豊玉姫と素戔嗚の娘 天細目は共にこの人物に嫁いで海部氏 尾張氏の祖となっています。

この二人が伊勢神宮の内宮 外宮であることは明確です。

分析

眞名井神社が外宮であるならばこの祀り方は豊玉姫を祀っています。

眞名井

天津彦々火瓊々杵尊、下界に降臨の時、天忍石(あめのおしほい)長井の水を持降り、天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)を使い、その元(はじめ)の水を日向の高千穂藤岳山の神代川瑠理井(たまのい)と筑紫の道中の神代川蚊田の渟名井に遷す。天祖の神の教を言壽鎮曰(ことぶきよざして)、道主貴に進供(そなえまつり)き。これにより、御井の縣の名が起こりけり。
又、丹波の與佐の真名井石井(いわい)に移し鎮め、以て豊食神の饌水(とよけのかみのみけのみず)に献(たてまつ)りぬ。

日本書記に、素戔嗚尊、その頸に所嬰(うなげる)五百筒の御統(みすまる)の瓊を以て、天真名井、またの名、去来の真名井(いざのまない)に濯(ふりそそ)ぎ・・・云々。
これ、蚊田の渟名井と與佐の真名井と誓約(うけい)の中、天真名井と混同に伝え云う

天渟名井は蚊田の渟名井の転語で、去来の真名井は與佐の真名井の転語である。
又、蚊田の渟名井の所に「道主貴」が在(あ)り。
 與佐の真名井を守る神を「道主」と号し、また、水沼君が所祭(いつきまつる) 道主貴を訛りて、伊勢の大物忌の祖(おおものいみのかみ)を「氷沼の道主 ひぬまのみちぬし」と謂うは「」と「」の字を誤れるものなり。

蚊田の渟名井の地に「道主貴」と「伊勢天照御祖神」(いせあまてらすみおやのかみ)が在まして、水沼君等が所祭(いつきまつる)ゆえに、「丹波の豊受宮」と「伊勢の豊受宮」を混同付会せり。
蚊田は筑紫の中瀛海(なかつうみ)に秀(ひい)でたる潟の地なり。故に、「潟」と「蚊田」は同訓なり。古歌に詠めるに「筑紫の潟はこの地に起これる言葉なり」。
この潟の渟中より湧き出でたる霊水ゆえに、「蚊田の渟名井」と号(なづ)けたり。この筑紫の潟神代川は当国の名所なり。

後人、石畳を敷いて「筒井」と名づく。この霊水を酌みて出産に祝梼るときは、生み子容顔端正異例聡明にして長寿なり。
この潟の地が連なる水沼に秀で、広く遠くして、村里数多く興して、ここに水沼の縣の名が起これり。

天真名井

この眞名井が元々の眞名井であり、この眞名井を護る者は「道主貴」つまり「伊勢の豊受大神」通称豊玉姫となります。

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