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唐津神社

豊玉姫

平成27年にユネスコ無形文化遺産にも 登録された。唐津くんちで有名な唐津神社をご紹介します。

由緒

唐津神社
佐賀県唐津市南城内
祭神
一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公(こうだむねつぐこう)
相殿  水波能女神
由緒
神功皇后三韓を征し給ふや、西海茫々として一望際なく舟師向ふ所を知るに由なし。時に皇后「願くば一条の舟路を示せ」と住吉の三神に祈り給へば間もなく風波治まり、凱旋の後神徳著しきを感じ松浦の海浜に鏡を捧げて三神を祀り給ふ。然るに其後数百年を径て漸く衰頽し社殿自ら廃滅に頻せんとする時恰も孝謙天皇の御宇地頭神由宗次一夕神夢を得て海浜に至れば、一筐の波に浮び来るあり。之を採りて開けば一宝鏡なり。これ正しく皇后の祀り給ひし宝鏡ならんと驚き敬ひて時の帝に奏聞す。朝廷神徳を感じ詔命を下して「唐津大明神」と賜ふ。時に天平勝宝七年九月二十九日なり。爾来郷党の崇敬加はり文治二年神田広に至り社殿を再建し、祖先神田五郎宗次の功を追慕し其の霊を合祀して二の宮とす。文安六年領主波多三河守親田地を寄進して尊崇す。
 慶長七年寺沢志摩守広高唐津築城に際し現在地に社地を設定し、社殿を改築し領内守護神として崇敬せり。且つ城下の火災鎮護として水波能女神を相殿に勧請す。その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、広く領内の総社として益々崇敬せり。
 明治六年郷社に列し唐津神社と改称す。其の後境内拡張、社殿の総改築成り昭和十七年県社に昇格す。
 戦後杜他社殿旧に変ることなく四時祭礼も怠ることなく、杜頭愈殷賑なり。
三韓征伐の凱旋の帰路風雨にあい 神功皇后が松浦の浜に鏡を捧げ祈ったところ風雨がおさまった。
その後孝謙天皇の時代御宇地頭神由宗次がこの鏡を見つけたことに由来するそうです。

境内

手水舎
水天宮

唐津在住の筑後人会が筑後地方の総氏神である水天宮の御分霊を勧請。

粟島神社

少彦名命を祀まつる和歌山市の御本社の勧請

廿日恵比須神社

江戸後期頃、刀町の各家で恵比須講が組織され、毎年宮座を定めて尊崇されていました。

火伏稲荷神社

御祭神は蜆貝(しじみがい)に乗って着いたと伝わっています。
火除の霊験有りとされています。

鳥居天満宮

太宰府天満宮から天満宮を勧請し、鋳造場では鳥居天満宮と称して祀りました。

白玉神社

江戸末期ごろ黒崎坊が町内安全のために奉祀

寿社

少彦名神、国安命、神亀之霊の三柱の神を祀っています。蜆貝を好み、首より上(顔・目・耳・喉・鼻・歯・口等)の病気に霊験がありとあります。

狛犬

拝殿

神紋は左三つ巴ですので安曇磯良のものです。

本殿

千木は縦削ぎですので実態は男神 やはり安曇磯良かもしれません。

絵馬

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