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大鷦鷯命

豊玉姫

大鷦鷯命

阿志岐九躰皇子の本地のこと 同真言の秘密である。1斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒 さ光天皇千万人に勝つ 2朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢 南無阿皇天皇一日の難を逃れる 3暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)薬師 くまる天皇一切作物虫食い逃れる 4渕志ノ命神(ふちし)文殊 南無徳達天皇生類眷属難産逃れる 5谿上ノ命神(たにがみ)釈迦 南無らし天皇半死の難を逃れる 6那男美ノ命神(なおみ)観世音 たつつかつ天皇丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる 7坂本ノ命神(さかもと) 阿弥陀南無しんしょう天皇ふくひょうの難を逃れる 8安志奇ノ命神(あしき)地蔵 南無たくしょうしん天皇わう難を逃れる 9安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)大日 南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け 斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子である。

高良玉垂宮神秘書 第一六〇条 九躰皇子

「高良玉垂宮神秘書」に記載がある九躰皇子とは,高良玉垂命の皇子であり、その実態は武内宿禰に当てられることが多く以下のように伝わっています。

  • 高良九躰皇子  「古事記」の武内宿禰の子
  •    1 斯礼賀志命   長男・波多八代宿禰
  •    2 朝日豊盛命   次男・許勢小柄宿禰
  •    3 暮日豊盛命   三男・蘇賀石河宿禰
  •    4 渕志命     四男・平群都久宿禰
  •    5 谿上命     五男・木角宿禰
  •    6 那男美命    長女・久米能摩伊刀比売
  •    7 坂本命     次女・怒能伊呂比売
  •    8 安志奇命    六男・葛城長江曽都毘古
  •    9 安楽応宝秘命  七男・若子宿禰

大分県立歴史博物館において令和4年10月14日(金曜日)~11月27日(日曜日)の間 令和4年度特別展 「宇佐神宮」についての展示が公開されましたので、初公開の若宮神社の木像を見ながら九躰皇子をご紹介したいとおもいます。

大鷦鷯命

 筆頭の斯礼賀志命ですが、応神天皇の第四皇子 誉田天皇の崩御後、最も有力と目されていた皇太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに皇位を譲り合ったが、太子の薨御により即位したという。『日本書紀』では皇位を譲るための自殺と伝えられる。この間の3年は空位である。武内宿禰の子では武内宿禰の長男 波多八代宿禰に当てられます。「高良玉垂宮神秘書」では、阿部丞相(開化天皇)と神功皇后との間の子供 斯礼賀志命大鷦鷯命 仁徳天皇)のことではないかと云われています。

大鷦鷯命

大葉枝皇子

記・紀にみえる応仁天皇の第7皇子。
母は日向泉長媛(ひむかの-いずみのながひめ)。異母兄に仁徳(にんとく)天皇,同母弟に小葉枝(おはえの)皇子がいる。「古事記」では大羽江(おおばえの)王。武内宿禰の子では武内宿禰の次男 許勢小柄宿禰に当てられます。「高良玉垂宮神秘書」では、阿部丞相(開化天皇)と神功皇后との間の子供 朝日豊盛命 宮地嶽神社の祭神 勝村大神 阿部勝村のことではないかと連想されます。

大葉枝皇子

小葉枝皇子

「日本書紀」には応神天皇と妃・日向泉長媛との間に生まれた子と記されています。武内宿禰の子では武内宿禰の三男 蘇賀石河宿禰に当てられます。「高良玉垂宮神秘書」では、阿部丞相(開化天皇)と神功皇后との間の子供 暮日豊盛命 宮地嶽神社の祭神 阿部勝頼のことではないかと連想されます。

小葉枝皇子

雌鳥皇女 

雌鳥皇女

「記紀」では応神天皇の皇女。母は和珥臣(わにのおみ)の祖先の日触使主(ひふれのおみ)の娘である宮主宅媛(みやぬしやかひめ)(『古事記』では宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえ の ひめ)。武内宿禰の子では久米能摩伊刀比売怒能伊呂比売に当てられます。「高良玉垂宮神秘書」では、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子とあるように那男美命安楽応宝秘命ではないかと推測されます。

隼総別皇子

隼総別皇子

5世紀頃の応神天皇の皇子。仁徳天皇の異母弟。母親は『古事記』では桜井田部連垂根(さくらい の たべ の むらじ たりね)の娘、糸井比売(いといひめ) で、『日本書紀』では桜井田部連男組(さくらい の たべ の むらじ おさい)の妹、糸媛(いとひめ)。「隼総別皇子」とも表記する。『古事記』では速総別命。武内宿禰の子では不明です。「高良玉垂宮神秘書」では、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子とあるように坂本命は阿部丞相(開化天皇)と神功皇后との間の子供ではなく応神天皇のことではないかと推測されます。

隼総別皇子逸話

仁徳天皇は雌鳥皇女(めとりのひめみこ)を妃にしようとして、結婚の仲立ちを頼まれた。しかし、隼別皇子は、密かに彼女を妻にして復命せず、さらに皇位への野心をうかがわせる、不敬の言動が本人からも周囲からも相次いだ。このため、一度は二人の仲を許した天皇の怒りを買った。

古事記には次のように、まず女鳥王(めとりのひめみこ)が速總別王(はやぶさわけのみこ)に、天皇を討つべしと促したことが記されている。

分析

「高良玉垂宮神秘書」に記されている系図では、応神天皇と仁徳天皇は高良玉垂命の子と記されています。そしてその記述には、「斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子である。」図にすると以下のようになります。

高良玉垂宮神秘書

「記紀」において応神天皇と仁徳天皇の関係は親子でその皇子は、26人です。

応神天皇系図

 「高良玉垂宮神秘書」の高良玉垂命とは、住吉三神のことを表しており九躰皇子とは、武内宿禰(鏡山 表筒男) 中臣鳥賊津(中筒男 崇神天皇) 阿部保蓮(底筒男 開化天皇)三人の子供達のことを云っていることは、「高良玉垂宮神秘書」を読んでも明らかです。

 高良大社と宇佐八幡宮の関係は、第二八一条 「九州の宗廟の司を譲る 高良 九州のこと 天平勝宝元年牛巳 宇佐八幡宮建立により高良 九州の宗廟の司を譲った。」とあるように宗廟の司を譲った関係にあります。

 今回の宇佐八幡宮の若宮神社の木像五体は、「記紀」の皇子に見立て住吉三神の九躰皇子の五皇子を表していると考えても差し支えないように考えられます。

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