これまでの事を次第に竜王に申し給えば、応えていわく、この世界に三年逗留されれば、その間に願いを達して申すと云いければ、彦火々出見尊そのとおりに致す、と仰せられる。
高良玉垂神秘書 第一条
この物語に出てくる豊玉姫の父 竜王こそが豊玉彦なのです。
蟻通神社
この人物は実在の人物であり記載もあり、その伝承を伝える神社が大阪府に存在します。
参道
紀貫之冠の関の由来
平安時代の歌人紀貫之は、紀州からの帰途、馬上のまま蟻通神社の前を通り過ぎようとします。するとたちまち辺りは曇り雨が降り、乗っていた馬が、病に倒れます。そこへ通りかかった里人(宮守)の進言に従い、傍らの渕で手を清め、その神名を尋ねたところ「ありとほしの神」と言ったのを聞いて歌を詠んで献上します。その歌の功徳で神霊を慰め、霊験があらわれたため、馬の病が回復し、再び京へと旅立ちます。実は里人(宮守)は、蟻通明神の神霊だったという伝承です。このお話は、枕草子「社は」の段に記載されています。 案内版より
つらゆき
かきくもり あやめも知らぬ大空に ありとほしをば 思うべしやは紀貫之の故事伝承のお話の後、神社に「蟻通(ありとおし)」と名をつけた由来のお話が続きます。 昔、唐土(もろこし)の国が日本を属国とするため提示した三つの難題に対して主人公の中将が老いた父の助言に従い帝に進言し、問題が解決されます。この三つ目の難題の答となった蟻に糸を結んで七曲りの玉に緒を通したという説話が「蟻通神社」の縁起、社名伝説となりました。智恵のある中将の父によって日本は難を逃れることができました。帝は、褒美を下賜しようとしますが、中将は、老いた両親を助けて欲しいと答えます。 当時、老人は都払いにするという決まりがあったからで、これを聞いた帝は感心して、この習わしを改め、世の人々に親孝行を奨励したといわれています。 後に、この孝養の深い中将と智恵のある両親は、蟻通明神として祀られました。
蟻通神社について
歌の意味は、「七曲がりに曲がりくねっている玉の緒を貫いて蟻を通した蟻通明神とも人は知らないでいるのだろうか」
日本に出された三つの難題と答
一、削った木の元(根)と末(先端)の見分け方?
答・・・川に投げ、方向変えて先に流れる方が木の末(先端)である。二、蛇の雌雄の見分け方?
答・・・尾の方に細い棒を指し寄せ、しっぽを動かす方が雌である。三、うねうねと中が折曲がっている玉に糸を通す方法
蟻通神社について
答・・・蟻の腰に細い糸を結んで、玉の出口になる方に蜜を塗ると蟻は、蜜の香を嗅ぎつけて、出口に出てくる。
足神神社
祭神 宇麻志阿斯訶備比古遅神
通称・足神様 御神徳・健脚・足の病の癒やし云々とある
拝殿 本殿
拝殿前に神楽殿がありますが、謡曲「蟻通し」を演じる為のものでしょう。
由緒
祭神
大己貴命 蟻通明神
社伝によれば第9代の開化天皇の御宇勧請により、弥生時代中期にあたる紀元93年に、五穀豊穣・国土開発を祈る目的で祀られたのが始まりである。
摂社
智恵神社 思兼神・蟻通明神分霊
愛宕神社 迦具槌命
多賀神社 伊邪那岐命・伊邪那美命
住吉神社 底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命
和泉五社 大島神社・穴師神社・聖神社・積川神社・日根神社
分析
蟻通明神は別名 中将と呼ばれています。紀貫之 清少納言以前に中国で中将の位を拝領した人物の記載があります。
景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都
『三国志魏書』東夷伝・倭人条 – 古代への扉
景初二年(238)六月、倭の女王は大夫難升米らを帯方郡に遣わし、天子に拝謁し朝献したいと求めた。郡太守の劉夏は役人を派遣し、魏の都に送らせた。
帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米次使都市牛利奉汝所獻男生口四人女生口六人班布二匹二丈以到
帯方郡太守劉夏が使者をつかわして、汝の大夫難外米と次使都市牛利を送り、汝の献上した男の奴隷四人、女の奴隷六人と班布二匹二丈を持って到着した。
汝所在踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假金印紫綬裝封付帶方太守假授
汝の国は、はるか遠くにあるのに、使者を遣わし貢献してきたのは、汝の忠孝である。
私は汝を大変慈しみ、いま汝を親魏倭王とし金印と紫綬を装封して帯方郡太守に託し授ける。
汝其綏撫種人勉爲孝順 汝來使難升米牛利渉遠道路勤勞 今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀印青綬引見勞賜遣還
汝は倭人を綏撫し、我に孝順をつくせ。
汝の使者難升米、年利は遠路を苦労してやって来た。
いま難升米を率書中郎将、年利を率善校尉とし、銀印青綬を与え、彼らに会って、ねぎらって送りかえす。
其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授 其八年太守王?到官
その六年、王は詔して、倭の難升米に黄幢を帯方郡に託して授けた。
その八年、帯方郡の太守王?が任官した。
政等以檄告喩壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還
張政らは激文を発し、壱与に告諭した。
壱与は、倭の大夫率善中郎将掖邪狗ら二十人を派遣し、張政等が帰国するのを送らせた。
熊野の別の伝承では、高野山天野の丹生都比売神社の第三殿の神を蟻通神とし、別名 大食津比売(おおげつひめ)伊勢の外宮です。
当たらずとも遠からずで この「魏志倭人伝」にある難升米こそが中将であり豊玉彦と伝わります。この難升米が卑弥呼にとって重要な役割りをしていたことは書からも伺えます。
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