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高良御子神社(坂本命・王子宮)

福岡県

高良御子神社

高良大社の高良玉垂宮神秘書には次のように記されています。

高良大社 高良御子神社

 阿志岐九躰皇子の本地のこと 同真言の秘密である。1斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒 さ光天皇千万人に勝つ 2朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢 南無阿皇天皇一日の難を逃れる 3暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)薬師 くまる天皇一切作物虫食い逃れる 4渕志ノ命神(ふちし)文殊 南無徳達天皇生類眷属難産逃れる 5谿上ノ命神(たにがみ)釈迦 南無らし天皇半死の難を逃れる 6那男美ノ命神(なおみ)観世音 たつつかつ天皇丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる 7坂本ノ命神(さかもと) 阿弥陀南無しんしょう天皇ふくひょうの難を逃れる 8安志奇ノ命神(あしき)地蔵 南無たくしょうしん天皇わう難を逃れる 9安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)大日 南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け 斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子である。

高良玉垂宮神秘書 第一六〇条 九躰皇子

この中で単独で多く祀られているのが斯礼賀志命と坂本命で地図に落とすと次のようになります。

斯礼賀志命を祀る神社
  1. 高良御子神社 福岡県久留米市山川町596-1
  2. .玉垂御子神社 福岡県久留米市野中町745
  3. .玉垂御子神社 福岡県久留米市藤光町241
  4. 天満宮 福岡県久留米市善導寺木塚(木塚)664
  5. 玉垂御子神社 福岡県久留米市北野町金島(南宮司)725
坂本命を祀る神社
  1. 高良御子神社 福岡県久留米市山川町596-1
  2. 王子神社 福岡県朝倉市下浦796
  3. 坂本神社 福岡県太刀洗町春日(平田)753
  4. 坂本神社 福岡県久留米市北野町金島(鏡)82
  5. 高良坂本神社 福岡県八女郡広川町新代(古賀)1987

斯礼賀志命は朝日豊盛命 暮日豊盛命と共に神功皇后の嫡子と記され宮地嶽神社の阿部丞相と共に祀られていることから一族と考えられますが坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子と記されていますので九躰皇子でも別系統と考えられます。

坂本神社・王子宮

比較的高良御子について縁起が残っているのが、高良御子神社(坂本宮 王子宮)です。

高良御子神社・王子宮
一の鳥居扁額 王子宮
二の鳥居扁額 坂本宮 
二つ並んだ社

王子宮

王子宮

由緒

由緒書

祭神
斯礼賀志命神 朝日豊盛命神 暮日豊盛命神 渕志ノ命神 谿上ノ命神(たにがみ) 那男美ノ命神 坂本ノ命神 安志奇ノ命神
~中略~
創建
 高良御子神社祭神は高良玉垂命の御子にて九躰の皇子あり、人皇二十代允恭天皇の御字(四一一~四五一)、高良の神の御託宣(おぼしめし)により安志岐山上に九躰の社を、大宮司孝成造立す。(古宝殿)
 四八代称徳天皇神護景雲二年(七六八)安志岐山上(古宝殿)より現在地へ遷宮された。~以下略

摂社

境内社
神社配置図

坂本宮

九躰皇子の中に坂本も祀られていますが、別に坂本宮があります。

坂本宮

由緒

東・西両坂本神社

創建
不明であるが、高良大社社蔵嘉歴(一三二八)の文書に、「高良山・留王・両坂本」とあるものに相当しよう。
祭神
東坂本社 櫛岩窓命 西坂本社 豊岩窓命
注=両祭神は、太玉命の御子で「殿(みかど)」を守衛(まも)る神、高良参道入口の守護神である。
寛延記 (寛延二年)(一七四九)
一 西坂本社 社一宇 栗林名 神体木像 開基の儀不相知、従前々所の産神と祭来 書き上げ者 安志岐庄屋八兵衛(赤司姓) 
神社調帳 (明治八年)(一八七五) 高良社蔵
東坂本社 在本社酉三町栗林名 
祭神 櫛岩窓命 末社 素釜鳥社 祭神 素戔嗚命 同 佐田社 猿田彦 同 八柱社 祭神 高良玉垂命・外七柱 八柱社は元治二年(一八六五)建立
西坂本社 在本社酉三町栗林名
祭神 豊岩窓命 末社 隼鷹天神社 祭神 高皇産霊神 同石川宿弥社 祭神 不詳 注=境内に佐屋神明神の石碑あり。
 明治四三年九月二六日 郡役所の勘定により、王子山五九六ー一高良御子神社境内に全末社とも移転遷座す。
王子宮境内に祭祀してある坂本神社の社殿は一つだが、正面祭壇上に素木の厨子が二つ並んでいる。それが東西坂本本社の御神体である。中央に不明の御神体一柱あり。~以下略

御神体

御神体
東坂本御神体
西坂本御神体
不明の御神体

少年のようですね。

分析

留王

不明とされる中央の御神体: 高良大社社蔵嘉歴(一三二八)の文書に、「高良山・留王・両坂本」ですが、留王とは通常 高句麗の始祖 東明王(通称 朱蒙)の孫 第3代王 大武神王(通称 無恤(ぶじゅつ、ムヒュル))のことで高句麗が扶余から攻められたとき、王の命に従って、無恤は奇策を以て扶余軍を防ぎ、却って撃退した。この功績によってに11歳で太子に立てられ、高句麗の軍事権限を与えられたとあります

東坂本

  1. 櫛岩窓命:『古事記』の天孫降臨の段に登場する。瓊瓊杵尊が天降る際、三種の神器に思金神(おもいかねのかみ)天手力男神・天石門別神を添えた。別名 天石門別神(あまのいわとわけのかみ)大国栖玉命、大刀辛雄命、櫛石窓神、豊石窓神、天石都倭居命御門の神であると記されている。
  2. 紀氏 大伴氏の祖神と云われる。

西坂本

  1. 豊岩窓命:『古事記』の天孫降臨の段に登場する。瓊瓊杵尊が天降る際、三種の神器に思金神(おもいかねのかみ)天手力男神・天石門別神を添えた。別名 天岩門別神 御門の神
  2. 紀氏 大伴氏の祖神と云われる。

櫛は素戔嗚の妻 櫛稲田姫 天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊を祖とする物部氏が多く使用し 豊は蘇我氏の一族がよく使用する名のようです。

また櫛と豊は神名によく使われる名で元の語源は筑紫 豊国が語源という説があるようです。

高良大社で櫛と豊といえば底筒男 武内宿禰 そして留王にたとえられる人物で少年と云えば応神天皇のことを表しているのかもしれません。

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