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彦権現

福岡県

「高良玉垂宮神秘書」に記されている彦権現とは何者であろうか?

彦権現は異国人

 彦権現は異国人で敵神なり 大菩薩 仁徳天皇の時 高良山に登る道 皇宮を出 船に乗り 先に大善
寺へ行き 船を乗り換え 古い船は乗り捨てた 船のカウラを取り 大善寺大菩薩と改めた 山側を御船
山 寺側を大善寺と名付けた 高良大菩薩は新しい船に乗り酒見にあがり異国追伐を任せ 風浪九十九
社に寄り 船に乗り黒崎にあがり往玉ふへき方を見ると山があり 私の往壁所と仰った。御旗三流を
かけると旗を上宮の上に立てた 風になびく旗先をやがて旗崎と名付けた またいつせでは三流れと
もいう 裏のかためにまかせ登ると瀬高一高良へ馬を控え 山の景色を見て一高良と名付けた。その
後遠くに人が見え異類が攻めくると思いミサキ鳥をつかわすと、ほどなく行ってその人に行っ
た。高良が言うには人形なのでひとかたと名づけた。彦権現 異国にいる間 彦権現とは仮のこと そ
れより諸国彦権現をツオモイハラとした。高良の彦権現はモツハラの手先神で 一七代仁徳天皇 九
月十三日にその山に帰った。

「高良玉垂宮神秘書」 第一四二条 彦権現
英彦山神宮

英彦山縁起

 英彦山縁起には英彦山の闘争と思われる文章が残っていました。

英彦山中宮

昔、大己貴命が、宗像三女神の多紀理毘売命 多岐津毘売命を連れ出雲の国から英彦山北岳にやってきた。早速、作業にかかり馬把を作って原野を開き田畑にし、山の南から流れ出る水が落ちている所の水を引いて田に注いだ。二つの川が合流する所を二又といい、その周辺を落合といった。大己貴命は更に田を広げたので、その下流を増田(枡田)といい、更に下流を副田(添田)といい、この下流の流域は更に開けていき、田川と呼ぶようになったという。

 ところがその後、天忍骨尊が英彦山に天降って来たので、大己貴は北岳を天忍骨尊に譲り後 許斐山に移った。天忍骨尊は八角の三尺六寸の水晶石の上に天降って鎮座し、尊が天照大神の御子であるので、この山を「日子の山」から後に、「英彥山」を呼ぶようになった。 更に天忍骨尊と市杵島姫命は夫婦になり市杵島姫命が中宮に鎮座したとあります。  

添田HPより

 元々ここは大己貴達の土地であったのですが、 天忍骨尊が立ち退きを迫ったので三女神の田心姫(豊玉姫)や息子の事代主達が英彦山を明け渡し宗像の許斐山に移り住んだことが記されています。

壮大な出雲神話の世界♪ NO.3 国譲り神話 : なべや便り
国譲り神話

 つまりこれが「記紀」で言う国譲りの話の元になったと考えても不思議はありません。

香原岳

 更に 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊を祭神とする香原神社の由来を見ると昔 「新羅の神が香春に住んだので鹿春神」と云ったとあります。

香原岳

 こちらには香原には新羅の神が住んだと記されています。これを 「高良玉垂宮神秘書」 で検索してみると次のような文が見つかりました。

豊前国に一嶺二嶺あり。異国より異類攻めくれば三峯へ 高良三所大菩薩八日あって異類だいちあり誓いあり。またその三峯へ異国征伐の時、高良登り異類の様を観たことから高良峰と名付けられた。彦権現は仮のことで高良峰をあらいくつすべき並びの山より樋をかけて表せる間 彦嶺三百余丁 白河原にその水を持って洗い尽くす。今ではそれにより樋嶺といわれている。仲哀天皇崩御 香原垂迹(菩薩の事)とどまることから香原岳ともいう。

「高良玉垂宮神秘書」 第二一二条 香原岳

 そこにはかつて香原岳は高良峰と呼ばれており異国より異類と闘争があったことが記されていました。

天忍穂耳命

 「高良玉垂宮神秘書」には彦権現は異国人で異敵 英彦山縁起では天忍骨尊 香原神社の由来 では 新羅の神と記される彦権現とは誰のことを指すのかというと天忍穂耳命のことを指すようです。

 では 天忍穂耳命 は「高良玉垂宮神秘書」にどのように記されているかというと

 第一 天照大神 第二 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 第三 天津彦々瓊杵尊 第四 彦火々出見尊 第四 彦波瀲武鵜草葺不合尊
天照大神の御子は、四人いる。三人は天照大神より四代まで継がれた。 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の御弟は 天津彦々瓊杵尊 此御弟は彦火々出見尊 此御弟を彦ソソリノ尊(火酢芹尊)という。このソソリノ尊は神代を継がずに海の遠くへ行った。

「高良玉垂宮神秘書」  第一条 地神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊

 なんと高良玉垂宮神秘書において  正哉吾勝々速日天忍穂耳尊は 彦火々出見尊の兄で天照大神の嫡男であると記されています。

 この正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 百嶋神社学においては阿蘇の草壁吉見つまり日子八井耳こと天児屋根のことであると考えています。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の出自

   天津彦々瓊杵尊と彦火々出見尊の二神の父は大幡主ですが 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の父母が誰かというと母は天照大神ですが父に関しては百嶋神社学では神八井耳となっています。「高良玉垂宮神秘書」を見ると 諸国彦権現をツオモイハラとした。高良の彦権現はモツハラの手先神 と記しています。このモツハラは誰をさすかというと英彦山を囲む大行事社に手掛かりがあるようです。

 つまり彦権現の父 モツハラとは、高良山の以前の神で英彦山の廻りを囲む大行事神社の祭神である高木大神である可能性が高いという結論が導き出されます。

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