天神々の社
ここで、塩椎神が、「私があなた様のためによい計画を立てましょう。」と言って、すぐに竹で編まれた小船を造り、その船に火遠理命を乗せて教えて言ったことには、「私がこの船を押して流したら、しばらくそのままお行きなさい。良い潮の流れがあるでしょう。すぐにその潮流に乗って、行きなさると鱗のように建物が作られている宮殿があり、それはわたつみの神の宮殿です。
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釣り針を探す旅に出た山幸彦は、古代の港があったと云われる美津島町鴨居瀬(みつしままちかもいせ)に到着したそうです。
対馬紀事によると釣り針を探しにきた山幸(彦火々出見尊)が住んだことから「潜(しのぶ)の里」と云われ後に濃部となったと云われています。
わたつみのいろこの宮
すぐにその潮流に乗って、行きなさると鱗のように建物が作られている宮殿があり、それはわたつみの神の宮殿です。その宮殿の門に着きなさったならば、そばの井戸の所に神聖な桂の樹があるでしょう。そこで、樹の上にいらっしゃると、海の神の娘があなた様を見て、相談してくれるでしょう。」と言った。
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濃部に潜んでいた山幸が訪ねた先が
内海のひじょうに美しい場所に建つ「記紀」でいう「わたつみのいろこの宮」です。
玉の井
この水中鳥居の右横にひっそりとある井戸が「玉の井」でこの横の樹にのぼって待っていたそうです。
そこで、火遠理命は、塩椎神の教えのままに少し行きなさると、完全に塩椎神の言葉どおりになっていたので、すぐにその桂の樹に登って待っていらっしゃった。そこに、海の神の娘の豊玉毘売の侍女が美しい器を持って、水を汲もうとする時に、井戸の中に光が見えた。侍女が仰ぎ見ると、端正で美しい勇壮な男がいた。侍女はとても不思議だと思った。
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参道
そこで、火遠理命は、その侍女を見て、「水を手に入れたい。」と求めなさった。侍女はすぐに水を汲んで、美しい器に入れて、火遠理命に差し上げた。この時、火遠理命は水をお飲みにならず、首飾りの宝玉をほどして、口の中に入れて、美しい器に吐き入れなさった。すると、その宝玉が器にくっ付いて、侍女は宝玉を引き離すことができない。そこで、宝玉がくっついているまま、器を豊玉毘売命に差し上げた。さて、豊玉毘売命はその宝玉を見て、侍女に尋ねて言った。「もしかして、誰かが門の外にいるのですか。」と言ったところ、侍女が答えて申し上げた。「人がいて、私どもの井戸ほとりの桂の樹の上にいらっしゃいます。その人はとても端正で美しい勇壮な男性でいらっしゃいます。我が王にも勝して、とても高貴な方です。それで、その人が水を求めなさったゆえ、水を差し上げたところ、その人は水をお飲みにならず、この宝玉を吐き入れなさいました。これを引き離すことができません。そこで、入れたままで、持ってきて差し上げました。」と申し上げた。この時、豊玉毘売命は、不思議に思って、外に出て見て、すぐに心ひかれて、目くばせをして、父に申し上げて言った。「我らの門の所に端正で美しい人がいる。」と申し上げた。
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この神社で最初に出迎えしてくれるのは、豊玉姫です。少し着衣の時代が違いますが・・・
豊玉姫は神職ですのでイメージとしては垂髪でイメージしたいですね。
参道横にひときわ目をうばわれるものがあります。
わたしも何度か三柱鳥居を見ましたが、ほぼその中は磐座であったり神聖な場所の場合が大半ですね。
背面の亀裂がみられるこの岩は今なお神聖に霊場として祭られている、これは磯良の墓とした伝承があるが、これは社殿が営まれる以前の古い祭祀における磐座か、それとも御神体だったのではないかとおもわれる。 和多都美神社(案内版より)
柱鳥居(みはしらとりい)は、鳥居を3基組み合わせたものをいう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
由緒
名神大社 和多都美神社
御祭神
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
御由緒
当社の所在地表示は、現在「下県郡」であるが、以前は「上県郡」 であった。平安時代の律令細則である「延喜式」の「神名帳」の中 に「対馬国上県郡和多都美神社(名神大)」とあるのは当社である。 貞観元年(八五九年)に清和天皇から従五位上の神階を賜り、また、 「三代実録」によれば、永徳元年(一三八一年)に、更に従一位を叙 せられ、往古より島内は言うに及ばずわが国の名社大社の一つ に数えられた。
縁起を辿れば、神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を 造り、宮を「海宮」と名づけ、この地を「夫姫」と名付けた。その宮 殿の大きさは、高さ一町五反余り、広さ八町四方もあったという。 そして神々しい神奈美「夫姫山」のさざ波よせるこの霊地に彦火々 出見尊と豊玉姫命の御夫婦の神を奉斎したと伝えている。
豊玉彦尊には一男二女の神があり、男神は穂高見尊、二女神は 豊玉姫命・玉依姫命という。ある時、彦火々出見尊は失った釣り 針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること三年、そして 豊玉姫を娶り妻とした。この海幸彦・山幸彦の伝説は当地から生 まれたものである。
満潮の時は、社殿の近くまで海水が満ち、その様は龍宮を連想させ、 海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡や満珠瀬、干珠瀬、磯良恵比須 の磐座などの旧跡も多く、また本殿の後方に二つの岩がある。これ を夫婦岩と称し、この手前の壇が豊玉姫命の墳墓(御陵)である。 また、西手の山下に、石があり、それが豊玉彦尊の墳墓(御陵) である。このように当社は古い歴史と由緒を持ち、時の国主や藩 主の崇敬も篤く、たびたびの奉幣や奉献それに広大な社領の寄 進があった。現在でも対馬島民の参拝は勿論のこと全国各地か らの参拝が多い。 -境内由緒-
拝殿
豊玉姫の神社に来るとかなりの確率で不思議なことが起きます。
今回は人もいないし風も無いのに鈴の音が聞こえました。
なるほど千木が縦削ぎ(男神) 横削ぎ(女神) ですから夫姫(おとひめ)ですね。
摂社
豊玉姫墳墓
拝殿脇の三柱鳥居も神聖な場所なのでしょう。
言い伝えでは豊玉姫はここに眠っているとあります。
分析
通常我々が神話として聞かされている「海幸 山幸」の舞台は宮崎ですが、ここは長崎県対馬になります。話と少々ちがうのは、山幸が対馬に来てしばらくの間隠れ住んで機会を待っていたことです。
ここには豊玉姫の墳墓と伝わる磐座も残されており今後の調査が必要かとおもいます。
めずらしい三本鳥居も必見です。
近くには旧日本軍の基地もあるので合わせて見るのもいいかとおもいます。
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