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厳島神社

広島県

平清盛が三女神の市杵島姫命を祀ったことで有名なのが 福井の気比神宮 奈良の春日大社と並び日本三大鳥居の一つと云われる安芸の厳島神社です。

平清盛像

嚴島神社(いつくしまじんじゃ、厳島神社)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。
古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。

参道

一の鳥居
手水舎

由緒

厳島神社御由緒

厳島神社由緒
一、 御祭神
   御本社      
   市杵島姫神(いちきしまひめのかみ) 田心姫神(たごりひめのかみ) 湍津姫神(たぎつひめのかみ)  客社
   天忍穂耳命  天穂日命  天津彦根命  活津彦根命  熊野櫲樟日命
一、 沿革
 厳島は太古より山容に霊気を感じ 島全体が神として信仰されてきた。
嚴島神社の創建は、推古元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。平安時代後期の仁安3年(1168年)には、佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営。本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、弘治元年(1555年)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、その年安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)建立を命じています。
嚴島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、また永い歴史の間には幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。

宮島公式ホームページより

境内

まず客(まろうど)神社から

由緒書

厳島神社の参拝の際、ここから参拝するのがならわしだそうです。

この池は干潮の時に現れる鏡の池というそうです。

鏡の池

干潮の時以外はふつうの穏やかな瀬戸内海の海であり、潮が引くとそこだけ水が湧き出ていることがわかります。厳島神社の東回廊の側にある丸い水溜まりのことをさし、潮が引くときれいな丸い池があらわれます。「鏡池秋月(かがみいけのあきのつき)」と称 し、
この池の水面に映る秋の名月は美しいもとして和歌や俳句に読まれている。

拝殿

狛犬
拝殿
拝殿の神楽殿

厳島神社の神紋は二十亀甲に花剣菱で日本には、海亀が卵を産んで海に帰るときに酒を飲ませて帰すという。これは亀がめでたい動物で、海の化身と考えられていたと有りますが、亀甲の神紋を持つ神社は出雲や大幡主の櫛田神社に使われているようです。

二十亀甲に花剣菱

拝殿をあとにして進みます

神楽殿
天神社

別名連歌堂と言い,明治の頃までここで連歌(れんが)の会が催されていた。弘治2年(1556)毛利隆元によって建てられた。丹塗(にぬり)の建物群の中で素木(しらき)造の繊細な木割をもつ住宅風建築で,また,この建物だけが板壁でなく漆喰壁であることからも,この時代の住宅風工法の影響を受けたと思われる。室町時代(1333~1572)に盛行した連歌会所(かいしょ)の遺構としても珍しい。

広島ホームページより

太鼓橋

太鼓橋

境内

厳島神社は、どうしても清盛の神殿に目が行きがちですが、他にも注目すべき社が有ります。

大元神社
祭神
国之常立神(クニノトコタチ)、大山祇神(オオヤマヅミ)、佐伯鞍職(サエキノクラモト=大和時代の豪族)
この神社は、厳島神社が出来る前からあるとされる神社で佐伯鞍職は大元神社の最初の神主だそうです。

金刀比羅神社
祭神:大物主神、佐伯鞍職

三翁神社 (さんのうじんじゃ)
中央:大綿津見神、安徳天皇、佐伯鞍職、二位尼、所翁(ところのおきな)、岩木翁(いわきのおきな)
左殿:大己貴命、猿田彦神
右殿:御子内侍(みこないし)、徳寿内侍(とくじゅないし)、竹林内侍
近江坂本の日吉大社(山王社)からの勧請で、明治維新までは「山王社」と称した。

荒胡子神社 (あらえびすじんじゃ)
祭神
素戔嗚尊、事代主神。例祭:11月20日
本殿は国の重要文化財。

豊国神社

この道を登っていくと弥山の中腹に出ます

ここには大聖院と呼ばれる寺院が有ります。

伝承では、大同元年(806年)に空海が宮島に渡り、弥山(みせん)の上で修行し開基したといい、鳥羽天皇勅命の祈願道場となったという。ただし、空海と宮島の結びつきは、史実としては確認できない。

ここに消えずの火と呼ばれる火があります。

消えずの火(きえずのひ)
大同元年(806年)、弘法大師が弥山山頂で百日間に及ぶ求聞持(ぐもんじ)の秘法を修して以来、今日まで途絶えることなく燃え続ける霊火。この火で沸かした霊水は万病に効くと言われています。また、明治34年(1901年)に操業を始めた八幡製鉄所の溶鉱炉の種火や広島市の平和記念公園の「平和の灯」の元火にもなりました。弥山の七不思議より

更に頂上まで行くと

画像はお借りしました

御山神社
祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)

平清盛が厳島神社を造営した際、奥宮として建立したと伝えられる。
江戸時代までは三鬼神(追帳鬼神・魔羅鬼神・時眉鬼神)を祀る三鬼堂であったが、 神仏分離令により宗像三女神を祀る御山神社となり、三鬼堂は弥山本堂近くに新たに建立された。WIKIより

その他にも弥山には多くの興味深いものがあるようです。

写真 宮島観光ホームページより

分析

厳島神社は宗像三女神の市杵島姫命を祀る神社と考えられていますが、推古天皇の時代に創建され伊都伎島神社もしくは厳島大明神と称されていました。平安時代 平清盛により三女神に定められましたが、伊都伎島神社もしくは厳島大明神を検索すると伊吹戸神の妻のことと出てきます。

伊吹戸主神とは倭姫命世記では「伊吹戸主、またの名を神直日神・大直日神と曰う」といわれますが、通常 金山彦 別名 加具土命をさします。
そしてその妻というと大宜都比売(オオゲツヒメ)つまり伊勢の外宮 豊受姫 もしくは宇賀の御霊のことをいいます。

つまり厳島神社で最も重要な場所は弥山の大聖院のであり 火の神 加具土命を祀る火 消えずの火(きえずのひ)であることがわかります。

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