樋口一葉の小説の指導者であり、恋人でもあった半井桃水(なからいとうすい)の生家跡に建つ半井桃水館
厳原は古代対馬の交通の要所であり、近くには飛鳥時代の白村江の戦いの対朝鮮半島への最前金田城 宗氏の菩提寺 万松院がある場所としても有名な地です。
厳原八幡宮
そこに対馬国一宮 厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)が存在します。
この神社は配置が変わっていて一の鳥居を入ると扇のように摂社と八幡宮と分かれています。
では八幡宮からご紹介しましょう。
由緒
社号 八幡宮神社 (厳原八幡宮神社)旧県社
祭神 神功皇后 仲哀天皇 應神天皇 姫大神 武内宿禰
例祭日 旧暦八月十三日 前夜祭 旧暦八月十四日 前夜祭 旧暦八月十五日 本祭 神幸式放生会
本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて永く異國の寇を守り給へと祈り給ひて神籬磐境を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日県社に昇格す。
-境内由緒よりー
境内
神功皇后の三韓征伐の際の寄港地とあります。
拝殿
神紋は折入れ菱に五七の桐
千木は縦削ぎ(男神)
最近判ってきたことから云うと、花菱も五七の桐も安曇磯良(開化天皇 藤大臣)の神紋です。
そうするとこの宮は連保を祭っていた可能性があります。
これだけでも安曇磯良の神社であるものを神功皇后に変えたことが判ります。
平神社
摂社を見てみましょう。
平神社
祭神 天穂日 仁徳天皇 日本武尊 兎道皇子
本社は瓊々杵尊の朝天日神命津島県主たりし時に祖神天穗日命を祭られしなり其の後日武尊仁徳天皇莵道皇子の三神を加祭す。
延喜式神名帳にのる下県郡平神社是なり。
-境内由緒ー
この神様は元々天日神(おひでりさま)に中臣氏が祖神の一人である天穂日と合祀してその後あとの神を加えたようです。
宇努刀神社
宇努刀神社 (祇園社)旧村社
祭神 須佐男命
例祭日 旧暦六月十五日
本社は神功皇后新羅征伐畢らせ給ひ凱還の時上県郡豊村に着給ひて島大国魂神社を拝し夫より佐賀村に着せられ此の地に島大国魂神社の神霊を分つて皇后親から祭り給ふ。
是延喜式神社名帳に載る上県郡宇努刀神社定なり延徳三年六月十四日佐賀村より下県郡厳原町八幡神社境内に遷し祭る。
明治十三年十一月十二日 社格村社に列せらる。
-境内由緒-
天神神社
社号 天神神社
祭神 安徳天皇 菅原道真
例祭日 旧八月十四日
本社 安徳天皇文治の乱を避け都を出させ給ひて筑紫の吉井より当社に下り給ひて久根村大内山皇家の地に蟄居し給ふ 是を信御所と称す帝終に対馬に崩ず因つて八幡宮神社境内に神祠造り祭りし天神神社と称す。
貞治元年 菅原道真公の霊を加え祭る。
-境内由緒-
分析
この神社は神功皇后寄港地となっていますが、おそらく船団の寄港地であり本当の祭神は安曇磯良と中臣鳥賊津使主を祀る神社のようです。安徳天皇の生存説はここの他に鹿児島にも存在しており実際に安徳天皇は対馬から鹿児島に逃れた軌跡が残っていいることから対馬での住居であった可能性があります。
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