鴨居住吉神社

対馬

豊玉姫の出産

やがて妻の豊玉姫命が臨月を迎え、お産のために夫のもとを訪れた。 いよいよ出産が迫ったときに、豊玉姫命は夫に「決してお産をする姿を見ないでくださいね。」と言い置いて産屋へと入った。 しかし山幸彦も好奇心いっぱいの若者。 そんなことを言われて黙っていられるはずがない。 彼がこっそりと産屋を覗くと、そこには身をもがく八尋(ヤヒロ:一尋=180㎝)のワニの姿があった。 出産後にこのことを知った豊玉姫命はこれを恥じ、夫を恨んで我が子を置いて海へと帰っていった。

http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/

最初に山幸がたどり着いた鴨居瀬で山幸と豊玉姫は新居を構えたそうです。

鴨居住吉神社一の鳥居


この神社は別名 津口和多女御子神社というそうです。

狛犬

由緒

社号 住吉神社 旧村社
祭神 彦波瀲武鸕鷀草葺不合命(神武天皇ノ父神) 三筒男命(住吉神)
例祭日(旧暦) 九月十二日 前夜祭 九月十三日 御神幸祭 例祭

本社の創建ハ橿原ノ朝ニシテ彦波瀲武鸕鷀草葺不合命 斎キ祀リテ津口和多女御子神社ト云ヒ 彦火火出見命津島海宮ニ降ラセ給ヒ豊玉彦命ノ姫豊玉姫ヲ娶リ、海宮ニ住ヒ給ヒシコト、三 年豊玉姫胎妊ノ身トナリ産室ヲ此ノ地柴瀬戸 神浦ニ造ラシメ給ヒテ皇子彦波瀲武鸕鷀草葺不合命 ノ御誕生御抱育シ玉ヒシ古跡ナリ神功皇后 三韓御征伐ノ時、海神ヲ斎キ祀リ玉ヒシヨリ住吉神社ト云ヒシナリ。
延喜式神名帳所載対馬島下縣郡住吉神社 名神大ノ社ナリ舒明天皇弐年八月遣唐使 犬上耜ノ参拝アリ代々国司国主ノ崇敬アリ 治承四年対馬守源親光社殿ヲ補修ス文治年 神社帳ニ津口和多女御子神社トシ貞享年 神社誌ニ柴瀬戸住吉大明神ト云フ、明治三 庚午年十一月十四日住吉大明神ノ社号ヲ改メ 和多女御子神社ト稱セラル明治七年五月 十八日村社ニ列セラル昭和十八年一月十一日神社 名変更ヲ許可セラレ住吉神社ト号スルニ至レリ。
-境内案内より-

神話では豊玉姫の出産は山幸の国に帰ってからですが、和多津美の宮に三年滞在後、豊玉姫は山幸と共に宮を離れ出産したのではなくここに産室を造り彦波瀲武鸕鷀草葺不合命を出産したそうです。

山幸は豊玉毗賣が八尋和邇の姿で出産したのを目撃し、豊玉姫は国に帰ったとありますが、ここではその話は無いようです。

千尋藻六御前神社

「古事記」「日本書紀」における神話では、豊玉姫が出産の際に本来の姿八尋鰐(大きな鮫)の姿を見られて海に帰って行くことになっていますが、ここに伝わる伝承は少し違うようです。

一の鳥居

千尋六御前神社
祭神
山幸
鸕鶿草葺不合尊を養育した六人の乳母達

ここで山幸と鸕鶿草葺不合尊が豊玉姫と引き離されて乳母達に養育されたようです。

六御前神社のイチョウ

六御前神社のイチョウ

対馬の親木と謳われた琴(上対馬町)の大イチョウに次ぐ対馬の代表的なイチョウです。琴のイチョウは老木で、朽ちた洞穴が大きく開いていますが、このイチョウはまだ壮年期で、今も旺盛な成長を続けています。
大火で焼けて二代目と伝えられていますが、それでも樹高およそ21メートル、幹囲6メートルを越します。
大木はうめくといいますが、この木も春の芽立ちの時には泣くといいます。これは無風の夜に聞こえるというので養分を吸い上げるときの音であるかもしれないと言われています。対馬は長崎県の名木として大切に育て、郷土の誇りにしたい思いから町ぐるみで数百年の生命を尊び、未来への活力を学びたいとしています。
案内版より

出産後母と引き離されるのは、古代対馬の風習であったのかもしれません。
それを別の表現で「古事記」「日本書紀」は表したのかもしれません。

分析

「海幸 山幸」では帰国後 豊玉姫の出産を見た山幸が豊玉姫の本当の姿 八尋鰐に驚き息子を置いて帰っていきますが、対馬では産屋を設け、出産した後 乳母により養育されたという伝承がの残っていました。


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