聖母神社

壱岐島

壱岐ではフェリー発着所からみると最も遠い対馬寄りの海に向かって1つの鳥居が建っています。

馬蹄石

出兵の際に神功皇后が乗っていた馬にその力が伝わり、馬の蹄の跡が岩に残ったものだといわれています。

石垣

この場所は豊臣秀吉の前線基地でもありました。その時兵士達は狼藉を働き多くの寺や神社が焼かれました。熊本藩主加藤清正は兵士達の勢力のはけ口としてこの聖母宮の周辺に石垣を造らせたと伝わります。

由緒

聖母宮
旧号  香椎大明神 聖母大菩薩
鎮座地 壱岐郡勝本町勝本浦正村
祭神  息長足姫尊(神功皇后)
    足仲彦尊(仲哀天皇)
    誉田別尊(応神天皇)
住吉大神
配祀  天照大神
由緒 『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は 肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐 に向けて三、二七〇艘の軍船を出発させた。
 この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ 東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。
 壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて 出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利 を祝い勝本を改められたという。
 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿は その後放置されてしまった。
 しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので 里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてしまつったのがこの神社で あると伝う。
 また、一説には異敵の首一〇一、五〇〇を持ち帰った皇后は、風本の 浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に 宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
 文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名  壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちや いれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗靏沙門(花押) 天正廿年 敬白』の銘がある。
 その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣 秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進 されたと伝えている。
 この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこると いう馬蹄石がある。
-境内案内

この神社は壱岐国二宮で『延喜式神名帳』に載せる壱岐島壱岐郡名神大社、「中津神社」の有力論社であるが、現在その社名の別神社(中津神社)が存在している。

境内

手水舎は大きなシャコガイ水口は龍です。

狛犬

末社 大国 恵比須

摂社

拝殿

拝殿の中には神功皇后と武内宿禰の肖像画

千木は横削ぎ神紋は三ツ星 三つ星は将軍星といわれるそうです。
一般に神功皇后の神紋は三五の桐ですのでもしかしたら神功皇后の神社ではない可能性もありますね。

ちなみに松浦党が三ツ星を使用していたのでその影響かもしれません。

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