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猿田彦大神

猿田彦大神

 豊臣秀吉も信仰した比叡山の山王信仰は滋賀県の日吉神社より始まり、その信仰となる山王権現は大山咋・大国主であり全国に3,800社と云われます。その使い猿とされますが、その関連性については不明とされています。

比叡山日吉神社 画像はお借りしました。

しかし猿との関係を証明する神社が福岡県那珂川市に存在するのです。

那珂川日吉神社

那珂川カワセミの里
一ノ鳥居
ニノ鳥居

境内

社名は日吉神社ですが、一ノ鳥居 二ノ鳥居共に山王宮とあります。

境内に入ると直ぐに目はいるのが猿の像です。

境内社

左は地蔵 右は大己貴
オガタマ

一円玉の裏に刻印されている植物です。

拝殿 本殿

西梁
方位は猿の方角

恵方盤に波乗り兎 これだけでも大幡主(埴安彦 天神 地録)海人族が祀られていることがわかります。

恵方盤
本殿

由緒

祭 神 天御中主神、大己貴神、彦火々出見命

日吉神社由緒記
猿田彦命は古事記の天孫降臨の条に最初に現われる国津神であります。天照大神から授けられた斎庭の稲穂を育てるべき水田を開拓して待ち給うた神と語られます。
「さるた」とは今も対馬と種子島に僅に保存されている陸稲の一品種なる赤米のことであります。春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、それに苗を植え夏の日照時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。
弥生より後の氏神の鎮守の社は部落を見わたす高台にあるのが普通でありますが、本社が低い川原にあるのは、日夜田廻りに生きてきた古代の農耕の本質を今に伝えているからであります。祭日は4月30日の水籠、8月31日の風籠、12月31日の大晦がありました。氏子一同が神前で会食する式例で一年を三季に分ける珍らしい暦法の名残でありますが、縄文時代の冬のない亜熱帯気候の風土もよくしのばせます。これに1月1日の年始祭、7月31日の輪越祭、11月23日の注連縄祭が加えられております。
猿田彦を祭神とする社は、伊勢二見の興玉神社で、夏至に駿河冨士の朝日を拝するところから、伊勢暦の編纂をもあつかった神であります。本社の拝殿の天井に描かれた十二月十二支に方位月日の神としての一面をうかがうことが出来るかもしれません。
伝教大師最澄は、延暦24年(805)、唐から帰朝の折に筑紫で最初の天台派寺院たる背振山東門寺を開基いたしました。そして、これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神として、ここの山王神猿田彦命を勧請して彼の地に日枝神社を創建したと言う伝説が残っております。(神社境内掲示板)

他に祭神が多く祀られていますが、元々はこの三神であったそうです。

祭 神 天御中主神、大己貴神、彦火々出見命
祭神大山祇神は字大浦及木の実坂に無格社山社として祭祀ありしを明治四十二年九月二十八日合祀許可。
八雷神、菅原神、大山祇神は同大字字黒に無格社八雷神社として、大山祇神は同大字字苗ヶ尾に無格社山神社として、宇賀魂神は同市の瀬字日吉前無格社宇賀神社として、高淤加美神、闇淤加美神は同大字字大谷無格社貴船神社として、宇賀神は同大字字黒木に無格社稲荷神社として祭祀ありしを明治四十四年四月十八日合祀許可。
大山祇神迦具土神は大字南面里字中の畝に村社山神社として大山祇神は大字南面里字山の口無格社山神社として大山祇神手力雄神は大字成竹字尾添山に無格社山神社として天御中主神大己貴神彦火火出見命は大字成竹上原に村社日吉神社として埴安神は大字成行竹字上原日吉神社境内神社地禄神社として天御中主神、大己貴神、彦火火出見命、八雷神、表筒男命、底筒男命、中筒男命、宇賀魂神、須佐之男命は大字埋金字埋金村社日吉神社として、天照大神は同社境内神社大神宮として、田心姫命は同背振神社として大山祇神田心姫命は大字五ヶ山字綱取村社山神社として宇賀魂神は同境内神社宇賀神社として、天御中主神大己貴神彦火火出見命は大字不入道字山中に村社日吉神社として祭祀ありしを大正四年八月二十一日合祀許可。

福岡県神社誌

分析1

つまり猿田彦とは彦火々出見命の別名であり、猿田とは今も対馬と種子島に僅に保存されている陸稲の一品種なる赤米のことであります。そしてここは伝教大師最澄は、延暦24年(805)、唐から帰朝の折に筑紫で最初の天台派寺院たる背振山東門寺を開基した地である。そして「この山王神猿田彦命を勧請して彼の地に日枝神社を創建したとあります。
つまり最初の祭神は猿田彦大神こと彦火々出見命(山幸)であったものが日枝神社に移された時 猿のみが残り祭神は何かしらの理由で大山咋 大国主に変わったというのが真相なようです。

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