櫛田神社

福岡県

福岡で警固神社と並んで親しまれている神社が博多山笠で有名な櫛田神社です。

飾り山笠 海幸 山幸

博多櫛田神社

参道

狛犬は青銅製
干支恵方盤

毎年その恵方に方位を向けるそうです。

門には大幡主の神紋
不老長寿の御神水
牛は素戔嗚に関係するのかもしれません
手水舎

由緒

祭神
正殿大幡主大神(櫛田大神)
左殿天照皇大神
右殿素盞嗚大神(祇園大神)

櫛田神社縁起略記
中殿に大幡主大神、左殿に天照皇大神、右殿に素盞嗚大神を祀る。
大幡主大神は天平宝字元(七五七)年に鎮座し、素盞嗚大神は天慶四(九四一)年、藤原純友の反乱の鎮圧に当たった小野好古が神助を祈願し山城(京都)祇園社から勧請した。天照皇大神についてはあまりに古くて記録にない。
中世、兵火に遭って度々、荒廃したが、天正十五(一五八七)年、秀吉公が博多町割(復興)の実施とともに現社殿を建立、寄進した。古来、商売繁盛、不老長寿の”お櫛田さま“として篤い信仰を集めている。

櫛田神社であるにもかかわらず櫛稲田姫は祭られておらず。櫛田大神とは大幡主のことを示すとあります。この大幡主については元宮があるのでそちらでご説明します。

境内 拝殿

神紋 五木瓜 三つ亀甲に五三桐 桜紋
風神 雷神
中心は波乗り兎

大幡主のトーテムで彼を祭る神社には必ずと言っていいほどあります。

素戔嗚尊 大幡主 天照大神

摂社

花本大神

一応花本大神は表面上は松尾芭蕉の神号となっていますが、実は芭蕉の先祖 豊後大神氏の始祖 大神惟基(おおがこれもと)を祭っています。

豊後国の山里に住んでいた娘の許に、身元の知れぬ男が毎夜通ってきて、娘は子供を身ごもってしまった。母に唆されて娘が男の狩衣に糸を通した針を刺し、その後をつけると、男は祖母山の麓の岩穴へと入っていく。娘が姿を見せるように請うと、男はついに大蛇の本身を現す。そして、狩衣に刺したと思った針は、大蛇の喉元に刺さっており、大蛇は、生まれてくる子供は男児で、武芸で九州二島に並ぶ者はないであろうと告げ、息絶える。

やがて生まれた子は、大蛇が言うとおりの男児で、祖父から名を取って大太と名付けられた。成長が早く7歳で元服し、手足があかぎれでひび割れていたため「あかがり大太」と呼ばれたという。これが後の大神惟基である。

Wikipedia
白龍権現
白龍権現

白龍とは白族(ぺーぞく)のことで大幡主はこの一族になります。

恵比須神社

もちろんこのこの人も大幡主の一族で孫にあたります。

石堂宮

大幡主 素戔嗚尊の神紋は五木瓜でいいのですが、天照大神の神紋が桜紋なのはこの本殿の真後ろの石堂宮のせいでこの石堂宮は市杵島姫命 田心姫を祭っています。

それはつまりこの二人の主人である大己貴のことであり、本来の祭神は大幡主 素戔嗚命 大幡主という形であった可能性が強くなります。

(松尾神社) 大山咋神(諏訪神社) 建御名方神(金刀比羅宮) 大物主神(皇大神宮) 豊受氣比賣神(竈門神社) 奥津彦命 奥津姫命など

そのほかについては特に不思議な神社はありません。

鳥居の前には、山留と書かれた石碑があります。

山留とは、博多祇園山笠のスタート地点のことを言うようです。

博多祇園山笠には、素戔嗚と大幡主の神紋しか使用しないようで 祭りの最中は素戔嗚の神紋に習って木瓜は食べないようです。

実は本来の櫛田神社の元宮と考えられる神社が早良区の野芥という場所に存在します。

野芥櫛田神社

境内

手水舎
狛犬

拝殿 本殿

拝殿
本殿

神紋は博多と同じ三つ亀甲に五三桐 千木は外削ぎです

由緒

野芥 櫛田神社
 一,祭神
天照皇大神 大若子命 天児屋根命
手力男命 倭姫命
 一,由緒(古事記 續風土記拾遺、神社誌より抜粋要約)
皇譜十二代景行天皇十八年此の地方に強賊蟄居してあり即ち勅して大若子命に征誅せしめられる縁起にて当地(能解)に勸請せられ後ち天慶二年再建ののち早良六郷の郷社として鎮座し給へり博承す 即ち往古に算すれば其の創祀は実二千三百年の昔大和時代なりと。
 一、境内神社、末社
恵比寿神社 稲荷神社
地録神社(鳴神 庚神)社日社
 
一、主ナ祭祀ト行事
~以下略~由緒書より
 
由緒書によると
景行十八年にこの地方に強賊が住んでいたが大若子が征誅したということのようです。
 
大若子命というのは
伝承上の伊勢(いせ)神宮の初代大神主。天日別命の子孫。度会(わたらい)氏の祖先神。倭姫(やまとひめの)命が天照大神を伊勢神宮にしずめまつったとき,南伊勢(三重県)の豪族として協力したため,神国造(かみのくにのみやつこ)と神宮の大神主に任じられた。別名に大幡主(おおはたぬし)のことです。
 
大幡主とは一説では八幡大神のことで、大若子命はその昔朝廷より越の国(北陸)の賊徒阿彦を討伐することを命ぜられ、大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので、大幡主命(おおはたぬしのみこと)の尊称を与えられました。

祭神は天照皇大神 大若子命 天児屋根命 手力男命 倭姫命 博多の櫛田神社の祭神と少し違います大若子は大幡主の別名で手力男命は素戔嗚尊の別名ですが本来ここの祭神は天照皇大神 大若子命 天児屋根命だったそうです。

景行天皇の話に関しては時代を無視した全くの作り話で、大幡主の別名は塩土翁 地録 天神 埴安彦として古代から祭られていることからも判るように福岡 伊都国 奴国の王でありました。「記紀」はこの人物の存在を隠し天照のみを記載しました。理由はわかりませんが彼を記載すると地域がわかってしまうせいかもしれません。

しかし彼の存在を完全に抹殺することは不可能な為 塩土翁として彦火々出見や神武天皇に重要なアドバイスをする役割りを与えました。

彼らの一族は名前に「主」と憑くのが特徴です。「大幡主」「天御中主」「大国主」「事代主」など

「以前は山笠ありて盛なる祭ありしが、今は名残の棒のみありて山笠なし」とあるように昔は山笠があったことを語っています。

摂社

恵比須神社 
稲荷神社
地録神社 大幡主
社日社 大幡主 大山祇

境内に地録神社 一番高い所に社日社としてに大幡主を祭ってあります。

こちらの神社が櫛田神社の元宮ということになるようです。

荒江櫛田神社

更に荒江にも櫛田神社が有りますが、こちらは時代も新しく由緒も特に珍しいことは無いので画像のみでご勘弁願います。

次郎丸埴安神社

一の鳥居

天照大神と大幡主の関係を知る上で埴安神社としては最も古いと伝わる二郎丸の埴安神社の縁起をみることで関係が判ります。

手水舎
拝殿
神紋は梅鉢
千木は外削ぎ

由緒

埴安神社縁起
埴安神社は次郎丸の氏神様である。
 この地は南に背振山 東に油山 西に飯盛山を望み 室見川に接し、早良平野のほぼ中心部に位置している。
 埴安神社がいつごろから祀られ、今日に至ったかについて 埴安社明細書には「埴安神は各鎮座、年代は不明なれども最初次郎丸字庄ノ町百九十番地の一に鎮座したることは棟札により明らか。」とある。この地は今も「古宮跡」といって石碑が残っている。(社より北西に約三百米)現在のような神社になったのは、今から三百三十五年前、江戸時代寛文年間に宝殿一宇を建立したことにはじまる。
 又、天明年間には「拾陸天神社」として祀られたことは定か。この古額は今も神殿にまつられている。神紋が「梅鉢」であり「牛の石像」があることからもうかがい知ることができる。以下由緒について「棟札の写し」を抜粋しここに記す。
一、御祭神 埴安大神 
埴安大神は天照大神のご兄弟で土神様である。以下略

この縁起からも判るように埴安大神は天神 地録として祀られており天照大神の縁者であることが判ります。

牛像
古い扁額

分析

博多の櫛田神社は名前が櫛田であるにもかかわらず櫛稲田姫は祀られておらず。素戔嗚尊も主神ではありません。では櫛田大神とは誰かというと大幡主のことであり、その縁起は野芥の櫛田神社に求めることができます。大幡主と天照大神との関係を知る上で次郎丸の埴安神社があげられます。
これによると兄弟と表記されていますが、「高良玉垂神秘書」では夫婦と記されており近い関係であったと想像されます。

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