姪浜住吉神社

福岡県

姪浜住吉神社

住吉神社は数多くありますが、博多 豊浦 宮崎とどちらも最古であることをうたっています。その中でも最古であると考えられるのが姪浜の住吉神社です。

由緒

住吉神社(すみよしじんじゃ)

住吉神社は、奈良時代天平年間(729~749年)に建てられたといわれ、古くは、北側の海岸近くにありました。室町時代の応永23年(1416年)に現在地に移転しました。航海の神様として地域の人々に厚く信仰され、境内には早船神社・埴安神社などの末社が数多くあります。

 また、伊耶奈岐の大神が「みそぎ祓い」をされるとき、河童が現れ道案内のお手伝いをしたことにより、除災招福の神の使いになったという伝承があります。 案内版より

境内

手水舎の水口は龍です。

この銀杏は本殿の身代わりになった樹齢700年の古木だそうです。また漁師の目印となっていたとあります。

狛犬

河童面の由来
 神代の昔、小戸の檍原(海岸)で伊邪那岐の夫神(住吉神社の父神)が禊をされる時、海が荒れて困っていたところ河童が現れ、波静かな所へ導いてゆき、神様が安全に禊をされた雫から住吉三神を始め多くの神々が生誕され神様も大変喜ばれました。
これを知った人々は、とても御神徳の高い河童と云うことで、河童面をお守りとして祀るようになりました。                 以下略

拝殿

神紋は右三つ巴 大幡主 豊玉彦の紋です

摂社

須賀神社

早舩神社

厳島神社

宇賀神社

事代神社

大神宮

伊耶奈岐が上陸した場所は現在の姪浜の住吉神社ではなく以前住吉神社があったとされる場所なのでそちらを御紹介します。

事代神社

元の住吉神社はこの場所で、ここから小戸の阿波岐原に河童が案内したというのが真実のようです。

拝殿・本殿

こちらの御神体は石 神紋は三ッ柏 恵比須の神紋です 

玉せせり

現在では1月3日 二つの木の玉を取り合う玉せせりと云われる祭が事代神社と住吉神社の間で行われます。現在この祭はここと筥崎宮で行われていますが、歴史はこちらの方が古いと聞いています。
 実はこの玉 男玉と女玉であることはあまり知られていませんが、意味は御想像にお任せします。画像はお借りしました。

小戸大神

伊邪那岐が向かった小戸の檍原と云われるのが、現在の小戸公園内にある小戸大神宮です。

海中から引き上げられた銅鉾が神宝とされ享保10年(1725年)福岡六代藩主黒田継高が社殿を建立しました。木製の剣や矛を奉納すると癪(熱病)がなおると信仰されました。この地を、伊邪那岐の神が「みそぎ祓」をして、天照大神を生んだ「小戸の橘の檍原」(「日本書紀」)の地とする説もあります。境内とその周辺には、神功皇后伝説にまつわる御腰掛石(安産石)や御膳立ての海岸などあります。近くには元寇防塁の跡も残っています。

由緒

小戸大神宮

御祭神
 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
 手力雄命(たぢからおのみこと)
 拷幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
祭日
 一月一日 元旦祭(初詣一日~二日)
 四月第一日曜 例大祭(午前十一時)
由緒
 小戸大明神は神代の昔、伊邪那岐命が御禊祓の神事を行われた尊い地であり皇祖天照皇大神を始め住吉三神、他神々が御降誕され、神宮皇后の御出帥及凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。

以下略

姪の浜 地名の由来


 神功皇后が三韓遠征の帰途、上陸の際、下着の袙(あこめ)がぬれたので砂浜で乾かした浜を「あこめのはま」と云っていたのがのちに訛って姪浜になった。

小戸の阿波岐原と言うと伊邪那岐命が御禊祓を行った場所のはずですがなぜか祭神に伊邪那岐命の名前が無く 天照皇大神と手力雄命そして拷幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)となっています。

拷幡千々姫命
葦原中津国平定・天孫降臨の段に登場する。
『古事記』および『日本書紀』本文・第二・第六・第七・第八の一書では高皇産霊神(高木神)の娘としている。『日本書紀』第一の一書では思兼命の妹、第六の一書では「また曰く」として高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子(すなわち高皇産霊神の孫)、第七の一書では「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子で玉依姫命というと記されている。天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ。

参道

拝殿・本殿

千木は内削ぎ 通常ですと女神です

 余談ですが、ここでお掃除している方に内削ぎのことを聞きましたが「判らない。」とのことでした。しかし、少し前に三人の女性が来て「ここをあまりいじらないでほしい。」と云われて去ったという話を聞きました。不思議なことにその女性達は直ぐ見たときには消えていたそうです。
三女神でしょうか?

摂社

安産石

帰りには、今日も禊をする家族がいました。

分析

 住吉神社と事代神社の名前 小戸大神宮の祭神などから住吉三神の父 鸕鶿草葺不合尊(住吉大神)の上陸地ではないかという印象を受けます。しかし鸕鶿草葺不合尊が伊邪那岐の別名であったなら玉依姫と別れたあとここで禊を行ったということになるのかもしれません。

しかし住吉神社としては博多 豊浦 住吉より一世代前であることから最古と考えられます。

多岐都比売命 大島の祭神です。通称は玉依姫 宇佐に降臨したと伝わるのはこの姫のことで最初 鸕鶿草葺不合尊の妻でしたが後に大山咋(おおやまくい)の妻になりました。

神話を旅する 宗像大社


彦波瀲武鵜草葺不合尊は住吉大明神なり、その御子住吉五神といい二人は女子 三人は男子 二人の女子の名前は表津少童命 中津少童命と申すなり。男子の名は長男大祝先祖の名は表筒男と申すなり 次男神武天皇の名は中筒男 三男高良大菩薩の名は底筒男

「高良玉垂神秘書」第一章より

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