天照神社

福岡県

馬見山の直ぐ麓に饒速日の降臨に関する神社が存在します。

参道

金毘羅様
所在地 福岡県鞍手郡宮田町大字磯光字浮州
祭神 大物主神
犬鳴川右岸のその地に祀られている自然石は、舟の運航や交通安全を守って下さる金毘羅様です。
一七〇〇年頃に遠賀川流域で始まった焚石採掘は犬鳴川の水運を利用して川舟(川艜または五平太舟という)で運んでいました。
昔の磯光村うちで生産された石炭は、荷車などで運ばれ来て、その直ぐ先の犬鳴川の舟場(底を水越という)で川艜に積みかえられて運ばれていました。
犬鳴川を下る川艜の石炭は、直方市植木の天神橋下流にある花ノ木木堰の所で、更に大型の川艜に積みかえを行い、下りは四日ほどで、帰りの上りは約半月をかけて遠賀川の川口付近まで往来していました。
このように犬鳴川を通る川艜の降雨通安全と焚石生産輸送の繁栄を祈って祀られたのがこの金毘羅様です。
金毘羅様の右側に祀られれたのが猿田彦大神(庚申様)は更に古くから祀られ、辻の神また道祖神ともいわれ道案内と交通安全を守って下さる神様です。
~以下略~ 案内版より

やはり案内版は見るものです。金毘羅様の別名は大物主と判りました。

神門

不思議なことに本殿の左の同じ高さに山神様です。

祭神は大山積とありますが、山神と書いてあります。瓊瓊杵尊の時説明しましたが山神は伽耶韓国では、祭神と上もしくは同じ位置に祭ります。すると饒速日の祖先も伽耶韓国であった可能性があります。

境内

牛と鶴

物部氏の象徴的なシンボルです。

拝殿

神紋は太陽のような紋です。

本殿

千木は平削ぎです。通常であれば女神です。

由緒

天照神社(てんしょうじんじゃ)
所在地 福岡県鞍手郡宮田町大字磯光字儀長
祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 八幡大神 春日大神 応神天皇 天児屋根命
 犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する天照神社は、古代から中世に栄えた粥田壮の壮社として古くから人々の信仰を集めた神社として知られています。
 天照神社の由来は、貝原益軒著の「鞍手磯光神社縁起」によれば、饒速日尊が垂仁天皇十六年に宮田町に聳える笠置山頂(四二五メートル)に降臨し、同七十七年に笠置山山頂に奉祀したことに始まります。その後、千石穂掛谷 明野(脇野)と移り、縁慶元年(一三〇八)年に白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、西国探題惣政所朝の造営により、現在地に移されました。
例祭のうち、四月の春季大祭は、往時の百手祭にちなんで五穀豊穣を願い、七月に行われる夏祓祭(御獅子様)、祇園祭、夏越祭(輪越祭)は疫病から人々を守り、豊作の平穏無事の為悪霊を祓うものです。また一二月三日の恵比須祭も大変な賑わいをみせます。
 隔年行われる御神幸祭では、鶴田の日吉神社まで優雅な高張提灯行列があり、厳粛な祭の中に幻想的な世界を見ることができます。
 境内には、古墳の枕付き石棺を転用したと言われる梵字板碑(不動石)や貝島大野浦炭鉱の山神社を合祀した大之浦神社があるほか、一八六一年(萬延二年)現在の遠賀鞍手両郡御仕組合焚石元が奉納した石燈など、石炭採掘創成期の活気と賑わいを彷彿とさせてくれます。
平成八年三月                         案内板より

笠置山

神社内の案内に「先代旧事記」についていの小冊子があり

饒速日のが三十二人の将軍と五人の部の長、五人の造の長、二十五人の職能集団の長、船長、舵取り、船子長を伴って天の岩船に乗り、九州から機内に東遷したと伝わっており「初期ヤマト王権」の大王になったのが纏向の近くと記載されていました。

境内社

イボ神様とあります。

天満神社・西海神社・住吉神社

須賀神社・鹿島神社・諏訪神社・恵比須神社

祭神は阿蘇の神々が多いようです。住吉は息子の鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の別名です。西海神社は事代主 天照大神 豊受大神ですので伊勢神宮のことと考えていいとおもいます。

須佐之男命は舅ですが、問題なのは天児屋根命です。
この神と饒速日はどうも切っても切れない縁があるようです。この神社のことを調べるには、最初に熊本から調べなければなりません。

日若神社

馬見神社と天照神社に隣接して物部氏の部落跡と言われる神社があります。

日若神社
祭神 伊邪那岐命 須佐之男命 闇御神
例祭 十月十三日
創立年月日 正応元年(千二百八十七年)
由緒
神功皇后御征討の帰途、是の所を通られて霊水の立派なることに感激されて、皇子と共に息災延命を祈願し、契りされし霊場である。又付近の神池神森と共に是の所は誠にただならぬところであると申されて、祖の地と、多田山と称し現在の多田の、名称の起源と云われている。     ~以下略略~

「福岡県神社誌」には初めて伊邪那岐命が現れたのは神武天皇の時であったと記載されていて

天皇が中州に向かおうとして日向の国から豊の国に行く時、珍彦を得て案内人とした。
天皇は宇佐島から陸路で田河の吾勝野にお出ましになり、兄弟山の中峰で天祖を祀った時に馬見の物部の末裔の駒主に出会った。天皇の行幸を聞いて、遠くよりお迎えにきたのである。
天皇のは大変喜んで、駒主が献上した駿馬にまたがって筑紫に行幸された。そしてその家に行って皇祖を馬見山の上に祀られた。
その北麓を廻って日尾山で伊邪那岐命が昇天するのに霊水を紹介したという話のようです。

詳しくはひもろぎ逍遥さんのブログをご覧ください。

日若神社(2)古事記の空白を埋める記事が現れた

ひもろぎ逍遥ブログより


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