住吉大社

大阪府

嫡男の日神・表筒男の尊神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連天照大神のひまごという事から付いた名である。二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。

三男の月神・底筒男の尊神功皇后と夫婦になった。
地上での名は物部の保連藤大臣。高良大菩薩
藤大臣と呼ぶのは、干珠満珠を借りた時の仮の名前。

「高良玉垂神秘書」

宮地嶽神社の主祭神阿倍丞相とし三韓征伐の軍功により祀られた。

「筑前国続風土記拾遺」

この二つの記載から物部の保連 藤大臣 高良大菩薩=阿倍丞相であることが導かれます。

安部晴明

そしてこの神社のある付近を阿倍野といい安部晴明をはじめ古来より阿部氏の発祥の地域のようです。

鳥居横の経塚跡には難波宮跡をはじめ多くの古墳があったと記載があります。

参道

住吉大社の象徴として名高い反橋(太鼓橋)は慶長年間に淀君が奉納したものであると云われています。

狛犬は陶器
手水舎の水は兎


実は兎にも大きな意味がありますが、また別の機会にご説明します。

まず門の上にあるのは宮地嶽神社の神紋ですが左右とも三階松に見えます。

由緒

住吉大社
延喜式名神大社 神階正一位 二十二社 摂津国一之宮 旧官幣大社

鎮座の由緒
住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。

境内

住吉大社は四宮からなり作りは住吉造りと云われる造りです。

第一本宮 底筒男命(そこつつおのみこと)
別名は安曇磯良 阿部丞相 藤大臣 物部連保 開化天皇

第二本宮 中筒男命(なかつつおのみこと)
別名は中臣鳥賊使主(なかとみのいかつおみ) 崇神天皇(第二候補)

第三本宮 表筒男命(うわつつおのみこと)
別名は武内宿禰 成務天皇

第四本宮(姫神宮) 神功皇后
高良玉垂神秘書では仲哀天皇 阿部丞相妻

神紋は二つ左三つ巴と花菱
安曇磯良を祀る高良大社の神紋は
一番左の木瓜の中の花菱が開化天皇の神紋になります。

住吉大社に伝わる伝承には神功皇后と住吉三神との密事が記されているという
また「高良玉垂神秘書」
「三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。」と記されており神功皇后と底筒男との関係も合致しています。

摂社

志賀神社

祭神
底津小童命(そこわたつみのみこと)中津小童命(なかわたつみのみこと)表津小童命(うわわたつみのみこと)

船玉神社
祭神 天鳥船命(あまのといふねのみこと) 猿田彦神(さるたひこのかみ)

今主社 祭神国助霊神(クニスケノミタマノカミ) 津守家48代の神主、文永弘安の役に外敵降伏の祈請著しく霊妙奇瑞格別の方にて正安二年奉斎す。

大海神社(だいかいじんじゃ)
祭神 豊玉彦 豊玉姫摂社の中では一番社格が高い神社で本宮より早く造営された社で社殿前には玉ノ井があり山幸が海神から授かった塩満玉が沈められているそうです。豊玉姫は「海幸 山幸」で有名ですが別名は伊勢の下宮 豊受大神で父の豊玉彦の別名は大和多津美 八大竜王 八咫烏と様々あり賀茂一族の祖であると共に安曇磯良にとっても頂点に立つ神なのです。

干潮 満潮

これでこの一族はほとんど揃ったことになります。

大神宮 伊勢神宮遥拝所
松に八葉の鏡 伊都国の高祖神社 産宮神社と同じです。

招魂社 諸霊社

楠珺社 祭神 宇迦御霊命

誕生石

五所御前
別名を高天原といい住吉大神が降臨したと伝わる場所であるそうです。

誕生石 北条政子に殺されるはずだった島津氏の祖先が頼朝の末裔であることを伝えるものだそうです。

分析

地名の阿部野からも判るようにここは阿部氏の移住地であり、福岡の那珂川にある現人神社の伝承にあるとおり摂津の住吉大社はやはり住吉の和魂を祭ってあるようです。

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