嵐のCMですっかり有名なった神社ですが祭神と埋葬者が通説とは少し違うようです。
参道
参道の石段は遠く海までつづく参道です。
境内
直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄です。
由緒
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
祭神
神功皇后 勝村大神 勝頼大神
神紋
三階松
御由緒
ご創建は、約1600年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。
古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。
以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。
奥の宮八宮
一番社 七福神社
祭神 恵比寿(えびす) ・大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋(ほてい)
二番社 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神
三番社 不動神社
宮地嶽古墳
宮地獄古墳(みやじだけこふん)は、宮地獄大塚ともいい、福岡県福津市に所在する古墳時代終末期の円墳である。「津屋崎古墳群」の一つとして国の史跡に指定されている。
概要
本古墳は、6世紀の築造と推定され、宮地嶽神社境内にある。墳丘形状は大型の円墳で、直径は34メートル、横穴式石室の長さが約22メートルもある。今日内部をみることの出来るもののうち最大規模で、文字通りの巨石墳である。この種の埋葬施設で最大のものは奈良県橿原市にある巨大古墳見瀬丸山古墳で、約28メートルである。巨石墳として有名な奈良県明日香村の石舞台古墳でさえ約20メートルである。
この古墳の入口には、ガラス製の骨壺を収めた青銅製の骨蔵器も追納されており、被葬者は、宗像一族の首長墓である。ところで、『日本書紀』天武天皇二年(673)正月条で帝紀を記している中に「次に胸形君徳善が女尼子娘を納して、高市皇子命を生しませり」とあって、この古墳に埋葬されているのは徳善であるとの説が有力である。
埋葬施設
長さ約22メートルの横穴式石室で、終末期古墳の特徴の一つである。
副葬品 九州国立博物館所蔵
金銅製馬具類、金銅荘頭椎大刀(かぶつちのたち)、長方形緑瑠璃板(ガラス板)などの出土品が一括して国宝に指定されている(宮地嶽神社所有、九州国立博物館に寄託)。終末期古墳として最も豪華な副葬品である。
ガラス板について輸入品とする説などがある。つまり、航海術に長けた宗像勢力が、独自に朝鮮半島やシナ大陸との交渉をする中で、入手したと推測される。畿内では類例が知られていない。
四番社・万地蔵尊
五番社・恋の宮
六番社・三宝荒神
七番社・水神社
八番社・薬師神社
龍神の娘 豊玉姫のことでしょう。
豊玉姫とくれば事代主(少彦名)のこととおもいます。
分析
この祭神の勝村大神と勝頼大神ですが 神功皇后に従っていた勇将に、藤高麻呂と藤助麻呂という人がいて、新羅で大功をたて、帰還後、この土地を領して開発殖産をしたという。そこで土地の人々は、両将を祖神と仰いで、藤高麻呂を勝村大神、藤助麻呂を勝頼大神として崇め、神功皇后の神霊とあわせて当社を創建したという。
宮地嶽神社は 宗像氏の神社と思われていますが、古文書や古い縁起によるとこの宮地嶽神社の祭神は、「阿部丞相(宮地嶽大明神)、藤高麿(勝村大明神)藤助麿(勝頼大明神)」となっているようです。
筑前國續風土記拾遺によると「中殿に阿部亟相、左右は藤高麿、藤助麿。此三神は神功皇后の韓国言伏給ひし時、功有し神也といふ。勝村、勝頼両神は三韓征伐で常に先頭を承はり、勝鬨を挙げられたりと祀る。」とあり筑紫の君が埋葬者であることが想像されます。元々宗像氏と安曇氏は仲があまりよくないことも理由の一つになります。
ここには古代倭の宮廷舞を伝える筑紫舞という舞があります。
筑紫舞
筑紫舞(つくしまい)は、宮廷舞であり見せる相手は筑紫の君であり筑紫傀儡子(つくしくぐつ)と呼ばれる人々によって伝承されてきたとされる伝統芸能。跳躍や回転を取り入れた、独特の足づかいを大きな特徴とした舞である。
歴史
その起源は古く、『続日本紀』天平3年(731年)の記事にその名を見ることができる。以来、神舞、傀儡舞など、何種類かに分類される二百以上の舞が、すべて口伝によって伝承されてきたと云われる。(ただし、木に記号なども刻んでいたらしい)
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