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白髭神社

滋賀県

 伝承を辿ると対馬に渡った彦火々出見は豊玉姫と別れた後、須佐之男命の娘 香原神社の祭神 辛国息長大姫太目命こと天細女と共に帰国しの笠置山で饒速日として降臨後 対馬で覚えた赤米の栽培を広めながら巡行し九州を離れます。

その九州最後の地と伝わるのが北九州市小倉南にある白髭神社です。

白鬚神社(北九州市)

参道

参道脇には猿田彦大神の石塔が

手水舎

由緒

白鬚神社(シラヒゲジンジャ)
祭神 猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ) 天鈿女命(アメノウズメノミコト) 天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 太玉命(フトダマノミコト) 太田命(オオタノミコト)
当神社に祀られる猿田彦大神は、分かれ道に「庚申塚」などとしても祀られ古くから道案内の神として民間信仰の対象とされてきました。猿田彦大神は日本神話に出現される重要な神様で天孫邇邇藝命(ニニギノミコト)を高天原より日向国高千穂の峰に導かれた神様です。お役目を無事に終えられた後、猿田彦大神は天鈿女命と共にご自分たちが安まる宮殿を天鳥船(アメノトリフネ)に乗り、捜し求め「この丘は朝日の直射す、夕日の日照らす丘なり」と現在神社の建つ丘に暫くご休息になりました。大神達はその後、伊勢の五十鈴の川上に鎮まりましたが、里人は大神達が立ち寄られたこの丘を神聖な地と崇め、天児屋根命、太玉命を合わせ祀って白鬚大神と称え、社殿を造り産土神(ウブスナノカミ)としました。昭和61年に蜷田自治会の共有財産を基金にして社殿、末社、手水舎、社務所全てがご改築され現在も朝日、夕日の照らす丘に蜷田・若園の氏子・崇敬者の方々により大切に守り継がれています。
白鬚神社のご神徳 
交通安全の神 導きの神
病気平癒の神 長寿の神
菅原道真公が太宰府に下向される途中、当社に参詣され御身の守護を祈願されており、古い時代より「導きの神」「交通安全の神」としてのご利益はもとより、小倉藩主小笠原候のご信仰が厚く、ご寄進ご代拝があり特に流行り病「痘瘡」が軽くて済むように「病気平癒の神」としてのご利益が顕著で、月づきに祈祷が行われ、お守り、お札を城内に納めたと言う古記録が残されています。また、白鬚と呼ばれるごとく延命長寿を祈願されるようになりました。

拝殿 本殿

拝殿

千木は外削ぎ 神紋は左三つ巴です。

八坂神社
境内社

白髭神社(志賀)

ここが猿田彦大神の最後の地であるかどうかは不明ですが、白髭神社の本宮とされるのが滋賀県琵琶湖脇の白髭神社です。

白髭神社の水中鳥居
白髭神社は琵琶湖湖畔の国道沿いに鎮座します。
手水舎

謡曲「白鬚」と白鬚神社

謡曲「白鬚」と白鬚神社
 謡曲「白鬚」は、白鬚明神の縁起を語って祝言を述べる曲である。
 勅使が近江国の白髭の社に参詣すると明神の神霊か漁翁の姿で現れ白鬚明神の縁起を詳しく語り、比叡山が仏法修行の清浄地として、外道魔物を入れない地となった縁起を語る。やがて明神は真の姿を現して楽を奏し、天女も竜神も現れて御代を祝うというのがその粗筋である。白鬚神社はまた比良明神ともいう。近江最古の大社で、現在の本殿は慶長八年(1603)に豊臣秀頼、淀君が建立し、後に改築された 拝殿と一体になって特殊な桃山建築の美を見せている。背後に比良の連峰をひかえ、鳰鳥かのどかに浮かび、湖面に立つ朱の大鳥居の影が水にゆれる清楚な美しさは、安芸の厳島を彷彿させる。謡曲史跡保存会

その謡曲では猿田彦命(猿田彦大神)が近江にやって来て白鬚明神(比良神)となり、湖国・近江の守護神となったと解説されています。  祝う龍神と天女とは豊玉彦と豊玉姫を指すと考えられます。

祭神
猿田彦大神
社伝
垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるという(一説に再建)。また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える。滋賀の白髭神社は全国の300の白髭神社の総本宮です。

拝殿 本殿

注連縄は三蛸

神紋は左三つ巴 虹梁には龍

西南を向いています。

外観の彫刻からはわかりませんが、神社の向きは猿の方角です。

境内

歌碑

紫式部
みおの海に 網引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも
芭蕉
四方より 花吹き入て 鳰の湖 

摂社

下宮(豊受大神宮)
内宮
三宮
高良社
天満 稲荷 寿老神 弁財天

分析

 伊都国の彦火々出見は対馬で豊玉姫と結婚 その後須佐之男命の娘 辛国息長大姫太目命を娶り五十猛と名前を変え笠置山で饒速日として降臨します。

その後 別名猿田彦大神として対馬で覚えた赤米の栽培を広めながら各地を回ります。そして北九州を最後の地として天鳥船で畿内に向かいます。同行した太田命は猿田彦大神の子孫と伝わり輿玉命の別名とも云われます。

しかし猿田彦大神の別名 饒速日とは長脛彦の義兄弟とも云われ畿内で悪神とも伝わります。
更に猿田彦大神の別名からその動きを追ってみましょう。

コメント

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