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馬見神社

福岡県

どうも基山辺りから五十猛の名前が瓊瓊杵尊の名前に変わってきています。

天拝山荒穂神社

由緒
「筑前続風土紀」には、荒穂神社は、現在佐賀県山養基郡基山町山町宮浦にある荒穂明神を招いたもので、一説には瓊瓊杵尊を祭神するが、本来は五十猛のであるとされている。また宮裏荒穂明神神が一夜のうちに馬上空を飛んで、この岩間に鎮座したとも言われています。     天拝山荒穂神社由緒書きより

更に嘉麻市の荒穂神社では

荒穂神社(嘉麻市大隈町牛隈)
祭神
瓊瓊杵尊・別雷神・手力雄命
由緒
上宮の創立は不詳であるが、3千年前と言われる。馬見山頂987mの頂上近く御神所岩の巨岩あり、ここに鎮 座。瓊瓊杵尊は比類なき神徳をもって尊崇される。中古仏法隆盛の頃、約1300年前、鎮西八郎為朝 現在の 神社(下宮)建立。神木寺も建つ。黒田藩となり嘉穂郡の総社として、代々尊崇あり。2月、8月、5昼夜の五穀豊    作の祈願祭を行う。大正12年、県社に列す。  (宮司:江藤貞利氏)・往古、馬見大明神を勧請す。 明和4年。村民が石鳥居建立の時、荒穂神社と改名す ・日尺山に鎮座し「稲穂大明神」と称すも、明和4年、現在地に移し「荒穂神社」と改名す。

もはや五十猛なのか瓊瓊杵尊のことなのか判別が出来ない状態になっています。ではもう一つのくしふる峰 馬見神社に行ってみましょう。

参道

一の鳥居
猿田彦大神
岡象神
境内社

由緒

馬見神社由緒
一、祭神
伊弉諾尊
天津彦火瓊瓊杵尊
木花咲哉姫命(大山津見の女 日本一の美人神)
ニ、祭日 一月一月  元旦祭 六月三〇日 大祓
     四月十八日  神事 十月二十九日 御供日祭           
三、由緒
一。上宮の創立は不詳であるが、三千年前といわれる。馬見山頂(九八七m)の頂上近く御神所岩の巨岩あり、ここに鎮座。瓊瓊杵尊は天孫降臨の御神で、日本民族の祖。比類なき神徳をもって尊崇される。
 。中古仏法隆盛の頃、約一三〇〇年前、椿西八郎為朝現在の神社(下宮)建立。また神木寺も建つ。
 。天正前後、武家政治となり、秋月藩主秋月種実公、毎年参拝せられ尊崇を集めた。
~以下略~                宮司江藤貞利氏  宮司江藤貞利氏 
。福岡県神社誌によれば
神武天皇御東征の時にここに参拝せられ御新馬の足が白い馬で(足白)で馬見の地名が起こったとも言われる
 。境内2500坪。
郡内最高の景勝地にあり、又馬見キャンプ村、又リンゴと梨の産地として、その美味は県下に知られて有名である。
              平成八年春   縄田小観 記

「筑前国続風土紀付録」
馬見大明神
産土神である。御祭神は天津彦瓊瓊杵尊であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相殿に祭っている。馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、馬見大明神ともいう。

『筑前国続風土記附録』
馬見大明神社
産土神である。御祭神は天津彦火火出見尊・瓊瓊杵尊命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からないという。馬見大明神ともいう。

更に『筑前名所図会』では
馬見大明神
古宮は馬見山上にあり。御神域という大岩の辺に石の祠あり。
今の社は山下にあり。
白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。この神、葦毛の馬を忌むという。
この里に飼うを忌むのみならず、他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。

これに貝原益軒の「筑前国風土紀」の「五十猛なるべし、瓊瓊杵尊とは俗の付会せる説なるべし。」により江戸時代には五十猛が瓊瓊杵尊に置き換わったようです。

境内

手水鉢
拝殿

神紋は左三つ巴 安曇磯良の紋です。

本殿

本殿

それもそのはず、この神社は近くに饒速日の降臨地の伝承を持つ神社で、一説には宇摩志麻治の名前の由来も生誕地の「麗しい馬見」とも言われています。

分析

宇摩志麻治の母は長脛彦の妹、つまり須佐之男命の娘婿ということになります。
つまり五十猛と饒速日は同一人物であるという結論になります。

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