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韓神羅神社

島根県

 島根県 石見地方 五十猛町港町に異彩を放つ神社が存在します。

五十猛町

韓神新羅神社

新羅神社扁額

拝殿

拝殿
注連縄
神紋

注連縄は出雲大社と同じ太目 神紋は出雲大社 と同じ 亀甲に剣花菱

本殿

千木

千木は縦削ぎ

摂社

船玉神社

由緒

韓神新羅神社由緒書

祭神 須佐之男命  配祀神 大屋津姫、抓津姫命
 五十猛町大浦の泊り山にあり、通称「大浦神社」とか「明神さん」と呼んでいます。祭神は素戔嗚尊です。素戔嗚尊は、新羅から五十猛神、大屋津姫、抓津姫の3人の御子神とともに、大浦の神島に上陸され、泊り山にしばしおとどまりになったという神話が伝えられています。       ~以下略~

五十猛神社

五十猛神社 画像はお借りしました。
神別坂 画像はお借りしました。

社伝によると、須佐之男命が五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命と朝鮮半島からの帰途、この地に上陸、五十猛命はここに残って木種を播き殖産につとめ、湊の宮山に祀られたという。また須佐之男命は大浦に留まって韓神新羅神社に祀られ、湊の近くの坂(神別れ坂)で須佐之男命と分かれた姫神二柱はそれぞれ造林や機織などの業をひろめ、大屋津姫命は大屋の大屋津姫命神社に、抓津姫命は川合の物部神社の境外社漢女(からめ)神社に祀られたという。

「日本の神々―神社と聖地 第七巻 山陰」171P

分析

佐賀白石伝承

  • 社伝に曰く、鎮座大神は天地剖判の時、天降りまして、国家を造立し給ひし天神及び五十猛命の神霊にして、五十猛神がこの山に樹木の種をまいて繁茂させ、「木の山」と呼ばれた云う。    稲佐神社由緒
  • 社伝によれば、五十猛命がカラ国から樹木の種を持って来て杵島山に播種し、杉、樟などの発芽を見てから紀伊の熊野に行った。 やがて全山が緑に覆われて木の島と呼ぶようになった。そこで五十猛命の徳を称えるため神社を創建し、妹の抓津姫命を合祀したという。   妻山神社由緒

向家の伝承

  • 紀元前三世紀秦国から徐福(スサノオ)の集団が石見国の五十猛に上陸した。一年後にホヒと息子の武夷鳥(タケヒナドリ)が上陸し、美保の崎で釣りをしている事代主の所に諸手船に乗って使者として現れ事代主を粟島の猪目洞窟に幽閉し死んだと記されている。     向家 口伝

五十猛町の風習

正月のカリヤ 画像はお借りしました

五十猛町では、カリヤを二、三ヵ所つくる。二本の大竹を中心として小竹・ワラ・コモなどをよせ集めて正月十一日につくり、十四日まで昼夜、部落の人々が中で火をたいて餅をやき、十五日早朝にこれを焼きはらう。大正の頃までは適摩郡仁摩町でもこのようなカリヤをつくったが、現在は五十猛町にのみ行われている

『山陰の民俗と原始信仰』1965年6月刊

このグロに似たものは、大陸にもあり、素戔嗚が家の作り方を教えた名残ともいわれています。

推論

 佐賀の白石に上陸した五十猛は、新羅に行った後 素戔嗚 大屋津姫 抓津姫命と共に石見の五十猛町近辺に上陸したと考えられます。

その後 冨家と争いがあったと想像されますが(2~3世紀頃)、新羅の風習が出雲地区に伝わっていないことからも素戔嗚が出雲に上陸したと想像することが考えられません。

 

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