輿止日女神社

佐賀県

佐賀は大陸と本土を結ぶ拠点であることから多くの神話が残っていることでも有名です。

又佐賀の名前の由来は日本武尊が「この国は栄の国(さかのくに)と言った「肥前風土紀」の記述にゆらいすると伝えられます。(所説有)

佐賀式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社である神社が佐賀大和の川上峡に存在します。

境内

樹齢1450年の楠

肥前鳥居

手水舎

由緒

與止日女命神社略記
御祭神 與止日女命 (よどひめのみこと)
與止日女命は「八幡宗廟之叔母、神功皇后之妹」にます尊い神様であります。
また一説に豊玉姫命(竜宮城の乙姫様で、神武天皇の御祖母にます)とも伝えられています。

由緒
『鎌倉時代に入っては、院宣並びに関東御教書を賜ひ、肥前一箇国平均の課役により
社殿の造替遷宮を営むを例とし、後醍醐天皇元亨二年には後宇多院の院宣並びに
幕府の御教書を賜って、本殿以下の造替を行ひ、8月29日を以て遷御の儀を執行しました。
以下略

由緒を見たところでは豊玉姫が神功皇后の妹のように書かれていますが、『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)には、「與止姫神」のまたの名を「豊姫」「淀姫」というとある。また、同書佐嘉郡条には「世田姫」の説話が載り、同一神と見られている。
佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち当社を含めた6社が嘉瀬川流域にある。

佐嘉の郡
(前略)郡の西に川あり。名を佐嘉川といふ。年魚あり。其の源は郡の北の山より出て、南に流れて海に入る。此の川上に荒ぶる神ありて、往来の人、半ばを生かし、半ばを殺しき。ここに、縣主等の祖大荒田占問ひき。時に、土蜘蛛、大山田女・狭山田女といふものあり。二の女子云ひしく、「下田の村の土を取りて、人形・馬形を作りて、此の神を祭祀らば、必ず應和ぎなむ」といひき。大荒田、即ち其の辭の随に、此の神を祭るに、神、此の祭りをうけて、逐に應和ぎき。ここに、大荒田いひしく「此の婦は、如是、實に賢女(さかしめ)なり。故、賢女を以ちて、國の名と為むと欲ふ」といひき。因りて賢女の郡といひき。今、佐嘉の郡と謂ふは、訛れるなり。又、此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。海の神・・・鰐魚を謂ふ・・・年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従う。或は、人、其の魚を畏めば殃なく、或は、人、捕り食へば死ぬることもあり。凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。(『風土記』日本古典文学大系2より)

風土記に曰く、人皇卅代欽明天皇の廿五年、甲申のとし、冬一一月朔日、甲子のひ、肥前の國佐嘉の郡、與止姫の神、鎮座あり。一の名は豊姫、一の名は淀姫なり。
(『風土記』日本古典文学大系2より)
とあり以下のことより

1). 世田姫は與止姫、淀姫と同一人物であること。
2). 九州王朝始源の人物であること。
3). 甕依姫(卑弥呼)の説話と類似した現われ方をすること。
4). 海神を従えた人物であること。
などが上げられる。

結果として
1). 『肥前国風土記』の分析により、世田姫は九州王朝始源の人物であり、「風土記逸文」では與止姫として記されている。また、説話自体が甕依姫(卑弥呼)記事と酷似しており、卑弥呼との関係がうかがえる。
2). 與止姫を祭った神社縁起に九州年号が現われ、六世紀には九州王朝が自らの祭神とした形跡があること。
3). 神功皇后の「干珠満珠型三韓征伐」説話に登場し、同説話では中心的人物として活躍している。そして、そのことが卑弥呼・壹與と同時代の人物であることを示唆している。
4). 「干珠満珠型三韓征伐」説話に現われる二つの珠の色が青と白であり、『魏志倭人伝』に伝える壹與の貢献品、白珠と青大句珠に対応していること。
5). 名前にそれぞれ「與」の字を持っていること。
などから壹與のことではないかと言う説があるそうです。

この話だけ見るとまるで神功皇后が卑弥呼であり興止日女が壹與(イヨ トヨ)のように書かれていますが、これは安曇磯良達が作った創作話であることは明確です。

実際の興止日女は日本武尊の熊襲征伐に出てくる川上タケルとはこの川上峡での話で興止日女はその川上タケルの妹であり後に武内宿禰の妻となり応神天皇の母となった人物のことです。

系図

山幸と豊玉姫の息子が鸕鶿草葺不合尊であり糸島の産宮に伝承がある奈留田姫の間に川上タケルと興止日女が生まれ、日本武尊の熊襲征伐後 武内宿禰の妻となったと考えられます。
神功皇后の妹と記されるのは、神功皇后が格上の安曇磯良の妻となった為 妹と記されていると考えられます。

本来神武天皇の母は玉依姫ですね。

拝殿

狛犬

神紋の冥加は鍋島藩のものです。

天井絵

千木は縦削ぎ元は男神であった可能性があります。
日本武尊か川上タケルかもしれません。

日本武尊巡りし時、楠の茂り栄たるえを観まして、勅りたまえし「この国は栄の国(さかのくに)と謂うべし。」「肥前風土紀」

末社

コメント

タイトルとURLをコピーしました