出雲から海岸線に沿って走って行くと大国主の神話にまつわる神社が見えてきます。
白兎神社
参道
ここで白兎は傷口を洗い身を清めたと伝わります。
拝殿
由緒書
祭神は白兎神 保食神 豊玉比売を合祀
本殿
分析
神社資料
- 「因幡の白兎」とは「古事記」には「此稲羽之素兎者也、於今者謂兎神也」と記されている古社である。
- 神紋は亀甲に剣花菱である。
- 本殿には菊座石の上に立っている。
神話起源
白兎一族は航海を業としており、日本海沿岸をおびやかしていた[わに]と呼ばれていた賊(海賊?)と淤岐の島の付近で戦ったのです。
最後の一戦で負傷して苦しんでいる白兎の一族が大穴牟遅命(大国主命)に助けられ、後に大穴牟遅命と協力して[わに]を討伐してこの地を治め、大穴牟遅命には八上比売を嫁とらせたという話のようです。
そのこともあって、縁故の深い此の山に宮居を定め、後世までも白兎神として崇敬されるようになったようです。(兎神社の宮司さんからいただいた冊子より。)
大正9年11月発行鳥取新報記事にも同様な記事が記されているようです。
推論1
私が聞いた話では、この話は「白村江の戦い」の宗像氏の記録であると伝わります。
「白村江の戦い」では「安曇軍」と「宗像軍」が主流でした。 配役は「大国主」が「天武天皇」 「安曇軍」が「鰐」 「宗像軍」が「素兎」になります。
「安曇軍」は百済奪還の為、中型挺で白村江にゲリラ戦に出ますが、唐の大型挺に待ち伏せされ大打撃を受けます。これにより斉明天皇 中大兄皇子は敗走 後から出撃した「宗像軍」はほとんど無傷で帰還しました。
さしずめ八上比は高市皇子の母 宗像徳善でしょうか?
この話が「稲羽之素兎」の元になったと伝わります。
この話が真実なら、宗形氏がこの土地に移り住みこの神社の創建に関わったと考えられます。
推論2
神社の神紋は亀甲に剣花菱この十字剣を持つものは、金山彦→素戔嗚→玉依姫です。
玉依姫は八上比売(豊玉姫 田心姫)の妹です。これは大国主と田心姫の橋渡しをした玉依姫の話とも受け取れると考えられます。
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