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本宮八幡宮

壱岐島
猿石
黒崎砲台

聖母神社から猿石を廻り黒崎砲台を見た後に向かった神社は

境内

長い参道です。

非常にシンプルな狛犬です。

由緒

本宮八幡宮
御祭神
西殿 八幡大神
中殿 住吉大神
東殿 聖母大神(神功皇后)
『壱岐国神名記』に「本宮村八幡宮三所、大、改以前式内、桓武天皇延暦年中一国一社八幡宮建立是也」、『壱岐国神 社帳』に「久栄八幡宮本社、古来勧請年数不知、有宝殿拝殿、定祭八月十五日、神主吉野内記」、『壱岐国神社考』に 聖母縁起を引用して「本宮八幡宮、中住吉大明神、左誉田尊、右息長帯姫尊也、神功皇后三韓退治ノ時、住吉大明神 出現アリテ神力ヲ添へ給フ故当社住吉大明神ヲ兵主神社ト号ス」、『寛政十一年巳未正月改壱岐国中人別帳』に「社領 高弐石 八幡宮 祠宮十八神道 本宮村 吉野大殿 年四十才」、『壱岐国惣図打添』に「同村(注・本宮村)宗社 八 幡宮 国中七社之内 祭日八月十五日 祭神 八幡大神 聖母大神 住吉大神 桓武天皇草創 神宝 鎮懐石 俗ニ オハサミ石ト云 二、碇石二、高杯 唐金 三口、寛永二十年以来社領二石 毎年祭日御名代御社参 八幡大神御誕 生古跡 産屋 湯手掛松 柄杓江 箱嶋 廻石 飛礫石」、『壱岐名勝図誌』に「八幡宮 在本宮山(中略)社領二石 寄附状四通 寛永廿年正月十一日 鎮信朝臣、元禄九年正月廿六日 任朝臣、享保七年四月一日 篤信朝臣、寛延二 年十一月十八日 誠信朝臣(中略)当社ハ豊前国宇佐郡八幡を勧請す、故に当所を本宮と名つく或云、桓武天皇の御 宇、異国降伏の為一国一社を建立す(後略)、『壱岐嶋式社沿革考』に「兵主神社の旧記悉本宮村とあり、又縁起の文 に依る時は本宮村の宗社八幡宮が式内の兵主神社たる炳焉、延宝以前八幡宮を式内とし且古今御崇敬七社の其一なれ ば小縁の社にあらず」、また同書には『兵主神社縁起』をひいて「大日本豊秋津洲西海道蓬莱伊岐国萬代之伊岐郡風早 郷本宮村兵主神社戌亥向(中略)中昔神功皇后、応神天皇為相殿奉称八幡宮」とある。『壱岐国神社書上』に「社伝旧 記に云、壱岐郷風早郷本宮邑兵主神社是也、所祭三筒男大神也、中昔神功皇后、応神夫皇を相殿に祀りて八幡宮と称 し奉る、然るに延宝四年式社改の時、川北村日吉山王社を以て兵主神社とせり」、『壱岐神社明細帖』に「長崎県第三 十大区四小区壱岐国壱岐郡本宮村 八幡神社 全島七社ノ其一ニ座テ旧平戸藩代直参ノ崇敬ノ社ナリ、但式外、有氏 子二百五十九戸、本殿桁一丈五尺九寸 梁一丈七寸、祝詞殿 桁六尺八寸 梁六尺六寸、拝殿 桁三丈一尺六寸 梁一 丈八尺六寸、但神輿殿御饌殿共、祭神 中殿 住吉大神 東殿比咩大神 西殿八幡大神 石体三座、勧請年月不詳 社 殿(ママ)旧記云、当社ハ往古ヨリ全国式内大七社ノ其一ナルヲ延宝四年式社改ノ時ヨリ式外ノ社ニナリ侍ルト云二、又云桓 武天皇御宇延暦年中為異国降伏一国一社八幡宮建立是也ト云フ、社地竪通百二十六間 横平均四十一間二合五勺 総 計五千百九十七坪半 反別壱町七反三畝七歩半 内弐千三百八十坪 七反九畝拾歩現境内 同二千八百拾七坪半 九 反三畝廿七歩半上地 但無税、造営民費、旧藩代白銀七枚寄附、旧社領現米七斗四合、式内一社手長比責神社、摂社 二社山肌神社岳山神社、末社二社浦海神社神通神社」とある。  当社は、兵主(つわものぬし)神社として創立されたが、後年、八幡神を合祀したことから兵主の名を失い八幡宮 と名乗ったようである。平戸藩政時代、祭日の藩主代参をはじめ社領二石の寄進などと藩主の信仰の厚い名社であっ た。-『勝本町史』-

要約すると三韓征伐の時住吉大神が出現したことから兵主神社と云ったが宇佐八幡宮を勧請して本宮八幡宮になったとあります。

八幡宮艮靣
○古老伝去、神功皇后新羅国より帰りますとき、誉田天皇を壱岐にあられます。故時人、其産所を名付けて宇布夜(うぶや)といふ。爾柄杓江を杓て産湯とし給。故に其所を名付て御盥(みたらい)といふ。○壱岐廻云、みたらい塩の指引きあり。勝本より八月は来りて江きりをして鰡(ナヨシ)をとるよし。亦大便し給故、其所を筥島といふ。○一云、本宮八幡宮は則誕生の地と申し伝ふ。御鰡・柄杓・産舎の松なとあり。ミたらひハ海入りてたらひのことし。柄杓ハ岩なり。柄杓ハ岩なり、柄杓に似て柄もあり。また皇后の御舟をつなぎ給石柱、海中にあり。俗呼び産の柱といふ。
○秀正伝、神功皇后、御舟を壱岐につなかせ給ひし時、既に今いふ産舎の松の下に産殿を構立給ひしかと、延て筑紫の蚊田あれまし給ならん。又その御松をつなける碇及び御裳にまつへる石ハ、本宮八幡宮にありといふ。今按に挟石ハ内殿にあり。碇石ハ社前にあり。されとも築前風記及万葉集五にハ、筑前国怡土郡深江の子負原にあるとしるへし。
案内板より

更に応神天皇は壱岐の松の下で誕生してそこが産屋で船を繋いだ石は糸島の鎮石八幡宮にあると書かれています。

本当なら「記紀」に記されている宇美で誕生したと伝わる応神天皇は別人ということになるようです。

拝殿

拝殿

やはり神紋は左三つ巴です。

その他

屋根は右三つ巴と月紋です。
元は月讀か海神を祭っていた可能性も否定できません。

末社 若宮 鳥居神社

ここはステゴドン象化石化石が産出された場所でもあるそうです。

ステゴドン象 画像はお借りしました

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