三女神

福岡県

 三女神は天照大神と素戔嗚の「うけい」によって生まれ「九州から半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」とのことからそれぞれの地で祀られるようになったと云われる神です。

ではその最初の降臨地をと伝わる場所をご紹介します。

六嶽神社

参道

印象としては森の中にある静かな社といった印象を受けます。

手水舎
狛犬

由緒

六嶽神社由来
紀元前七百年ノコロ皇女三神霊山六嶽崎門峰ニ御降臨アリ此地ヲ上宮ト定メ室木ノ里ニ下宮ヲ建立シ安産交通安全ノ守護神トシテ鎮守ノ社トス
御祭神 田心姫之神・湍津姫之神・市杵島姫之神   案内版より

六嶽上宮としていて、由緒は宗像三女神が影向(ようごう)(神が一時姿を現すこと)された霊地である。

成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。

これがこの神社の始まりで、昔は堂々とした社殿だったが、享禄年間に燃えて、社殿が無くなってしまったので、御神体を下宮に移してその後、社殿が再び作られる事は無く、今わずかに石殿が一宇あるだけである。

『福岡県神社誌』

拝殿 本殿

鶴の彫刻
拝殿
千木は外削ぎ
本殿前の灯篭の上には鷹

外観から判ることは、千木の外削ぎから本当の祭神は大己貴 物部の象徴 鶴 阿蘇氏の象徴 鷹が配置されていることで、両氏にとって共通の聖地としたことが判ります。

摂社

境内社
境内社
須賀神社

分析1

神のうけいから人が誕生するわけが無く、三女神も元々は個別の神でした。本来降臨地も別々で本名も別に持っていました。

道中の中瀛宮(なかつみや)の田心姫は、筑紫水沼君が祭る神、筑後国御井郡河北庄止誉比咩神社、今の赤司八幡神社これなり。

遠瀛宮(おきつみや)の市杵嶋姫は、筑紫胸肩君が祭る神、筑前国宗像郡宗像神社これなり。

海濱宮(へつみや)の湍津姫(鴨玉依姫)は葦原中国の宇佐嶋に降居され、豊前国宇佐郡の宇佐宮八幡比咩神社これなり。

止誉比咩神社本跡縁記

と記されており田心姫の別名は豊玉姫 彦火々出見に嫁ぎ一子 鸕鶿草葺不合尊を設けた後 大己貴に嫁ぎ下照姫を生みました。

また市杵嶋姫は別名須勢理毘売命 天忍穂耳との間に大山咋を設けた後 大己貴を婿に向かえました。

湍津姫は別名玉依姫大己貴の息子大山咋(後の大物主)に嫁ぎ賀茂別雷をもうけました。

つまりここは元々別の場所に降臨した三女神を一か所にまとめた場所と判断できます。

於婆宮

大己貴の妻三女神の内 田心姫市杵島姫命です。では湍津姫が次代の大山咋(後の大物主)の妻に加わったかを伝える神社があります。

一の鳥居

境内

手水舎

北九州にあるこじんまりした神社ですが

狛犬

拝殿

拝殿
本殿

特に外観から得られる情報はありません。

由緒

於婆宮 御由緒
 従来、蒲生村虹山(巣山)の峯に多紀理比売命(於婆姑比留売神)多岐都比売命・市杵島比売命の三女神(宗像三女神)が天降り「我、永く此地を守らん」と告げた。そこで里人」は紫の池の辺りに多紀理比売命を祀り 虹山の山頂に(蒲生宮)多岐都比売命 紫の池の北に市杵島比売命を祀った。(以上、企救郡誌より一部抜粋)
 爾来、村の産土神として蒲生村はもとより近郷の人々から篤い崇敬を受け、代々にわたり氏子たちが緫ろに護持し、祭を継承してきた。境内には、享和年間(1801~04)に建立された鳥居や天保年間(1830~44)に建立された猿田彦大神、弘化年間(1844~48)に建立された石灯篭が大切に祀られている。
主祭神(宗像三女神と同じ神様)
息長帯媛命(神功皇后) 品陀和気命(応神天皇)多紀理比売命
相殿
経津主神 建御雷之神男命 大山津見神 事代主神 高淤加美神 闇淤加美神 水波之神 市杵島姫命
以下略 案内版より

摂社

先ほどの相殿の神々ですが経津主神と建御雷之神男命は同一神であると記されています。

では紫の池の辺りに多岐都比売命を祀っているという(蒲生宮)を訪ねてみましょう。

蒲生八幡宮

境内

手水舎
龍吐水

神社の知識

鳥居について
賽銭について
神社の本殿の無期と神棚の祀り方について

こちらの神主様はよっぽど礼儀を重んずるのか 説明したいのか?

拝殿

拝殿

相変わらず外観から判る情報はありません。

由緒

案内版

祭神

応神天皇 神功皇后 宗像三女神 大山祇 細川幽斎 細川忠興 由緒についてはほぼ於婆宮と一緒ですが、また神功皇后と応神天皇を被せて八幡宮としてあります。

摂社

幸彦社
規範稲荷

分析2

 少なくとも三女神は宗像から小倉に移動しており多岐津媛(玉依姫)を加えたことは判ります。於婆とは老女のことをいい 於婆宮の伝承からも、もしかしたら田心姫(豊玉姫)の終焉の地は於婆宮のある紫の池の畔であった可能性も否定できません。

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