下宮
案内板によるとと有明海から上陸しこちらの金立山で不老不死の研究を行っていたようです。
拝殿
由緒
拝殿
御祭神:保食神(穀物の神)、罔象売女命(水の神)、秦の徐福
祭礼日:3月15日・春季大祭、11月3日・秋季大祭
境内社:甲羅弁財天、猿田彦大神
由緒:この神社の祭神は、金立山頂にある本社上宮と同じで保食神、罔象売女命、秦の徐福の三神である。昔、勅使並びに一般参詣者の便宜をはかって建てられた社で境内には、徐福が不老不死の薬草を授かったという甲羅弁才天をまつる堂がある。
神社所有の絹本淡彩金立神社縁起図(佐賀県立博物館展示)には、金立神社上宮の景観、下宮、徐福が浮盃江(諸富町)に上陸の様子が彩色鮮やかに描かれ金立神社の祭神にまつわる絵画としてその価値は高く評価されている。
本淡彩金立神社縁起図(佐賀県立博物館展示)
甲羅弁財天
では上宮へ
上宮
狛犬
通称御影の社といいます。
磐座
奥の院
甲羅弁財天の由来によるとここで天女に不老不死の妙薬(フロフキ)現在のカンアオイを貰ったそうです。
まとめ
1,徐福の来日した年代が、『海東諸国記』の孝霊天皇の頃という記述が偽物とされる『宮下文書』の記述と符合することが不思議なところです。
2,創建時期は古くて不明ですが、「日本三代実録」に、金立神は「清和天皇の貞観2年(861)3月、正六位上から従五位下に昇叙、光孝天皇の元慶8年(884)12月従五位下から従五位上に昇叙」の記録があります。
貞観2年(861)にすでに正六位上の叙位を受けていたのですから、金立神社の創建は更に遡るものと思われます。
3,吉野ヶ里遺跡には 多くの中国系の人骨が 発見されており 徐福の一族が 係っていることは明らかなこことです
麓の金立公園には徐福に関する資料が展示されています。
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