雷神社

福岡県

瓊瓊杵尊が目指した「くしふる」とは朝鮮半島 金海伽耶(伽耶韓国)では「亀旨(クジ)峰」を表し「ふる」とは「村」のことを発音する。つまり「くしふる」は「亀旨村」を指すことばと考えられています。「駕洛国記」による駕洛=加羅の始祖・首露王降誕の伝説では、加羅地方は九人の首長が支配していたが、亀旨クシ)・・加羅の王都金海の北東にある亀山の西端の峰・・「天の命のよってこの土地の国王になるため自分は降りてきた。」とゆう伝承に従い瓊瓊杵尊も「くしふる峰」を目指したと考えられます。

伊都国の「くしふる峰」は三か所あり、山幸 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祭る高祖山 神武天皇の伝承の残る可也山 そして天日鉾の伝承と瓊瓊杵尊を祭る雷山があります。

境内には1000年を超える杉が神社の目印になります。

境内

注連縄は前垂れ締めです。

一の鳥居は明神鳥居

手水舎

由緒

祭神
水火雷電神(瓊瓊杵尊) 彦火火出見尊 香椎大神 住吉大神 応神天皇
由緒
社記によれば、第6代孝行安天皇より第11代垂仁天皇の御代まで、異国からの襲来が何度もあり、当社の神が大雷火となり異属を降伏させたという。
垂仁天皇がこの御遺徳を畏こんで社伝を建立、敵国降伏の神として尊崇したと伝える。
また「雷山千如寺縁起」によれば、神功皇后が三韓征伐の時、武内宿禰に命じて宝剣・宝鏡を供えて、雷山の「火水雷電神」に伏敵祈願を行ったとも伝える。
古来、女人の参拝を許さななかったとあります。
以下略

狛犬

拝殿

拝殿

本殿

本殿

千木は外削ぎです。

境内社

境内社として、天満宮があり、菅原道真の他、事解男尊、大己貴賓命、迦具土命

山の神です。

伽耶韓国の金官伽耶の金首露も大伽耶の伊珍阿鼓も母親は、伽耶山の神、正見母主です。
彼女は伽耶山の山神でした。そして天ノ神夷眦訶との間に生まれたのが金官伽耶の金首露と大伽耶の伊珍阿豉で山神は始祖より上位に置かれます。

道を挟んで川側には磐座と白蛇石と書かれた石碑がありますが、これも何か意味があるのかもしれません。

上宮

「雷山」は別名「曽増岐山」古来、山全体が雷神の鎮座する霊山と考えられ、故に「雷山」の名を持つという。

やはり瓊瓊杵尊は岐の神のようです。

中殿 瓊瓊杵尊 左殿 神世七代 右殿 地神五神

このうち地神五代(天照大神 天忍穂耳尊 瓊瓊杵尊 火折尊 鸕鶿草葺不合尊)が伊都国では重要な位置をしめます。

少なくとも天日鉾と瓊瓊杵尊にとっては雷山は重要な拠点であったことは間違えないようです。また古代名が曽増岐山であるのなら瓊瓊杵尊が先にこの山に来ていた可能性は否定できません。

やはり「魏志倭人伝」でいうことのヒコのニキとは、瓊瓊杵尊の可能性が高いようです。

下宮

古来佐賀と福岡の境にあり、嘗ては380もの僧房があった密教道場であったそうです。

雷山千如寺

「雷山千如寺縁起」には、風伯雨師の雷電神が一夜のうちに山を削り岩を砕き、大伽藍を造顕したという「雷音寺」の創建を伝える。次に、神功皇后が渡航遠征に当たって、雷山の主神「水火雷電神へ伏敵祈願したことが語られ」、当社が異属降伏に霊験あったことを伝える。そして、法持聖清賀という僧が怡土七ヶ寺」の第一の「霊鷲寺」を建立したことや雷山の雨請いの霊験が語られる。~中略~
その神宮寺は聖武天皇の勅願を伝え、清賀上人が開山となって建立した寺せあり、後に「千如寺」と呼ばれた。

境内の樹齢400年の楓は圧巻です。

くしふる峰から降りた瓊瓊杵尊は、伊都国のヒコつまり官として国を統治したようですが、その後 倭国大乱を機に伊都国から離れ大山祇命のいる鹿児島に向かったようです。

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