月讀神社
壱岐には古代より多くの古墳が点在し倭と倭国を往復するうえでも対馬と同様重要な地点にあったことは間違いありません。
壱岐には倭国でも発見されていない一世紀の鉄の溶鉱炉跡が発見されており日本古代史を知る上でも重要な資料を持っています。
その壱岐には日本最古と言われる神社が存在します。
由緒
祭神
(右)月読命 読むというのは月齢を数える事であり、日を数えることは暦(太陰暦)である。したがって月読と、稲作、潮の満ち引きとは大変深い係がある。
(中)月夜見命 月夜というのは単につきのことである。月は夜出るわけであるから月夜といった。見は心霊を表す。従ってこの見は月を神格化した。
(左)月弓命 三日月は弓の形をしている。そこから月読が月弓に音が変化するのに伴って漢字も弓が当てられた。
月讀神社縁起
顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那に使いにでる。
その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉納せよ、そうすればよい事があろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた朝廷は壱岐の県主の押見宿禰に命じて壱岐の月読神社から分霊させ京都に祀らせた。 舒明天皇二年壱岐の公乙等を筑紫の伊都に遣わし神石を求め、一つを京都の月読神社に納める。この石はその昔、神功皇后が月神の教えによりお産を延ばされたことで「月延べ石」と名づけられた。その石は今伊都の鎮懐石八幡宮と壱岐の月読神社にあると言われている。 文武天皇大宝元年初めて行幸あり、神石をご覧になられ、壱岐古麻呂に命じて弊帛を奉納し神税を古麻呂に支払う。 宝亀33年、暴風雨で木や家が倒れた。これを占うと月読神の祟りであった、そこで忌部正美が奏じ、神島の大中臣清麻呂を山城・壱岐・伊勢にある月読神社に遣わして神の怒りを鎮めた。 國分郷古木村清月の社在り、延宝4年(1692年)6月朔日建立拝殿の内に石の御殿あり、拝殿は西北西向きで茅葺梁行2間、桁行2間半である。境内は、東西25間余り、南北31間余り、周囲1町17間余り、山中参道16間。祀管榊原主藤原正益、定祭9月23日云々。 式内大社の例により、神階を進められる。
霊元天皇延宝4年6月朔日、松浦肥前守従伍位下源朝臣鎮保、石祀及び木鏡を寄進。(木鏡の銘)には「奉ル備24座ノ内月読神社御正體木鏡1面」とあり。
拝殿
古事記によれば、イザナギの命が黄泉の国から帰られた時、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において、禊祓いされ左目を洗われた時に天照大神、右目を洗われた時に月読命、鼻を洗われた時にスサノオがお生まれになった。
この3柱の神を三貴神と呼び他の大神とは別格と記されている。
この神功皇后が、のちの応神天皇を腹に宿して朝鮮へ出征しました。
そのときが、ちょうど産月でしたが、その際、皇后は、自ら祭主になって祈念し、「事が終えて帰ってからこの地で産むまで産月を延べて欲しい」と願いました。
すると、月神が現れて、神石を示し、「この石で皇后のお腹をなでて心を鎮めると良い」、と言われたので、神石を袂(たもと)に挟んで出産を遅らせた、といいます。
この石は京都の月讀神社の他に糸島の鎮懐石神社にもあるそうです。
月読神社の御祭神「月読命」の子孫押見宿禰は壱岐氏(壱岐県主)の遠祖である。下の鳥居から西方面(湯之本方面)約500mの所にある国片主神社(拝殿が壱岐氏の居館跡と言われている)、がある。
男嶽神社
月讀神社より古い神社があると月讀神社の宮司様におききした神社をご紹介しましょう。
月讀神社から少し東に向かうと男女ダムが見えてきます。その男嶽にあるのがこの神社になります。
狛犬ならぬ駒猿です。よっぽど酒好きらしく徳利と杯を持っています。
拝殿
神紋ははじめてみます。 縛った銀杏のようです。
では本殿に回ってみましょう。
凄まじい数の猿です! 猿といえば猿田彦神と日吉神社の大山咋が頭に浮かびます。
みな手に盃か徳利を持っていますので酒の神といわれる松尾神社別名 大山咋を表していると考えられますが現在は、導きの神である猿田彦命(サルタヒコノミコト)が御祭神として御鎮座しているそうです。
由緒
御祭神
天比登都柱 月読命 猿田彦命
壱岐の歴史は古事記でもあります国産み神話より始まる。
男嶽神社は、最初の神様「天比登都柱」(アメノヒトツバシラ)や「月読命」(ツクヨミノミコト)の降臨の地として文献には記されており、もとの月読宮とされている。
壱岐は5番目にできた島で「天比登都柱」は、島が産まれた時の神様である。現在は、導きの神である「猿田彦命」(サルタヒコノミコト)が御祭神として御鎮座しており、「天比登都柱」「月読命」を導いてこられたことから「猿田彦命」をお祀りしている。
天比登都柱は伊邪那岐と伊邪那美が国生みで生んだ壱岐の別名です。
月讀の最初の降臨地であることからここが最初の月讀宮であったそうです。
するとここが本当の神社発祥の地ということになるようです。
御神体
この石の前では磁石が効かないそうです。
系図
こちらの神社の宮司様は天児屋根の78代目だそうです。するとやはり猿は一族の大山咋のような気がします。
百嶋神社学系図より抜粋 天忍穂耳が天児屋根の別名です。
女嶽神社
男嶽神社と対をなすのが女嶽神社です。
こちらの拝殿は男嶽神社に比べるとかなり小さいですね!
本殿
女嶽神社ですが千木は縦削ぎ(男神)?神紋は月紋です。
由緒
祭神
天鈿女命
由緒は特に無いようです。
こちらの祭神は猿田彦の妻 天細女(アメノウズメ)ですがこれは猿田彦同様後付けの神であったと想像できます。もしかすると月紋ですのでこちらが本当の月讀宮であったかもしれません。
また猿田彦は太陽神ですので月神と考えてもいいかもしれません。
末社
御神体
こちらの御神体は通称「巣食石」(すくひいし)男嶽神社の御神体同様磁石が狂います。
巣喰うの意味
1 巣を作ってすむ。「軒にツバメが―・う」
2 よくない人間が集まって住む。「暴力団の―・う町」
3 悪い考えや病気などが宿る。「妄想が―・う」「病魔が―・う」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B7%A3%E3%81%8F%E3%81%86/
月讀命は大山祇命の別名ですので倭の伽耶韓国 金首露の鉄の民族です。
鉄と磁石は反応しますので、ここで鉄を試したのかもしれませんね。
どちらも古代の磐座を御神体としていますが、両方お参りする方がいいでしょうね。
系図
分析
一応名目上月讀神社が日本で初めての神道の神社となっていますが、宮司様のお話では男女神社は月讀神社より更に古く元の月讀神社はこちらであったようです。
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