錦浜
この浜の名前の由来は、「神功皇后が三韓出兵の時に、この浜で錦の衣を干した」という言い伝えに由来しています。
その錦浜に面してひっそりと神社が建っています。
境内
龍のような狛犬のような石像と鷹と三猿
由緒
志自岐神社
祭神
十城別王 武加比古王 日本武尊 帯彦天皇 稲依王 稚武王 稚武彦王
この神社の伝承が印通寺の語源にもなっています。
昔、神功皇后が、三韓征伐のために壱岐に寄ったとき、十城別王命(ときわけのみこ)を伴っていました。
しかし、十城別王命(ときわけのみこ)は、戦争が怖くなり、途中で引きかえしました。
神功皇后は、その命令に違反している、と言って、責め、怒り、弓箭(ゆみや)を執り、背中をめがけて投げたら、あやまたず王を射通しました。
これ以後、この地を射通し「イトヲシ」といい、これが訛って、「印通寺」となった、という事です。
ここはその十城別王を祀ったといわれる場所です。
拝殿
本殿の神紋は三五の桐 神功皇后の紋です。
末社
稲荷神社
淡島神社
補足
十城別王が従軍したとの伝承が、長崎の平戸地方に残されている。
対馬にも十城別王を祀る神社があり、帰還したとの伝承もあることから、新羅に行くことは行ったのだろう。征討軍の勢いに押されて新羅が倭王の要求を受け入れたために、実戦などはほとんどなかったと思われるが、凱旋後、十城別王は平戸の地に残り、夷敵侵入の監視に当たっていたそうで、ここで生涯を終えたと言われている。現在、平戸にある志々伎神社(しじきじんじゃ)には十城別王が祭神として祀られていて、陵もあるそうだ。
真意のほどは不明ですが・・・
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