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高良玉垂宮神秘書 訳文

  1. 第一条 天神 地神
    1. 天神七代
    2. 地神五代
  2. 第二条 下宮
  3. 第三条 三韓
  4. 第四条 聖母大井
  5. 第五条 龍神の女
  6. 第六条 安曇磯良
  7. 第七条 皇后の妹
  8. 第八条 異国征伐の衣
  9. 第九条 八幡大井
  10. 第十条 麛坂皇子と忍熊皇子
  11. 第十一条 犬の面
  12. 第十二条 出航
  13. 第十三条 八幡大菩薩
  14. 第十四条 平野大明神
  15. 第十五条 祭神 神功皇后
  16. 第十六条  御祭礼
  17. 第十七条  榊二本
  18. 第十八条  句役
  19. 第十九条  当山四方を固め 、神代武勢丸より始まる
  20. 第二十条 大祝一二〇日の精進
  21. 第二十一条 三所大明神は大祝家が整える 
  22. 第二十二条 覆面の巾
  23. 第二十三条  大祝精進は如何しきなり
  24. 第二十四条 一の大工 ニの大工 三の大工
  25. 第二十五条  二十日の精進
  26. 第二十六条  総の神人
  27. 第二十七条  曳下ろし
  28. 第二十八条  小祭
  29. 第二十九条  祭りの準備
  30. 第三十条  在国司
  31. 第三十一条  草野は上宮の留守職、在国司は鎮祭勝司の留守職
  32. 第三十二条  大祝の役
  33. 第三十三条  大宮司
  34. 第三十四条 座主
  35. 第三十五条 神人
  36. 第三十六条 神馬
  37. 第三十七条 住吉の神馬
  38. 第三十八条 八幡の神馬
  39. 第三十九条 大井の神馬
  40. 第四十条 高良の鎧
  41. 第四十一条  神人は頭人よりいたさる
  42. 第四十二条  七十五人三種の神人
  43. 第四十三条 七十五人の神弓持ち
  44. 第四十四条 花盛りの神人
  45. 第四十五条 鉾持ち
  46. 第四十六条 七十五人 鳶の尾の神人
  47. 第四十七条
  48. 第四十八条
  49. 第四十九条
  50. 第五十条
  51. 第七七条 白鳳二年、嫡男の保義は社職惣官となる
  52. 第一二九条 神籠石
  53. 第一四二条 彦権現
  54. 第一四三条 高良山
  55. 第一四十四条
  56. 第一四十五条
  57. 第一五三条 宇佐八幡宮
  58. 第一五四条 玉垂大菩薩
  59. 第 一五五条 住吉大明神
  60. 第一五六条 善神王
  61. 第一五九条 神功皇后の父母
  62. 第一六〇条 九躰皇子
  63. 第一六四条 高良大明神の御廟は本躰所にある
  64. 第一六六条 大宮司
  65. 第一六九条 本躰所は大祝が司る
  66. 第一七六条 大宮司は座主より以後
  67. 第一七七条 廻堂で出家
  68. 第一八〇条 大菩薩は仁王経の講義で出家した
  69. 第一八二条 高良内
  70. 第一八三条 五姓
  71. 第一八四条 安曇氏
  72. 第一八五条 前田氏
  73. 第一八六条 草壁氏
  74. 第一八七条 草賀部氏
  75. 第一八八条 大祝
  76. 第一八九条 物部を背く一
  77. 第二〇〇条 物部を背二
  78. 第二〇八条 託宣は白鳳十三年 
  79. 第二一二条 香原岳
  80. 第二一三条 神功皇后は阿弥陀の変化
  81. 第二一四条 高良の火
  82. 第二一五条 麓の火
  83. 第二三一条 大宮司は座主の始まり
  84. 第二三六条 白鳳十三年に御発心、二十二年に寺社始まる
  85. 第二三七条 大善寺
  86. 第二三九条 ホウクハンを内裏へ申さず
  87. 第二四一条 表筒男尊
  88. 第二八一条 九州の宗廟の司を譲る
  89. 第三〇九条 桐の紋
  90. 第三一〇条 三つ巴
  91. 第三一一条 門光の紋
  92. 第三一二条  藤大臣、日往子
  93. 第三一三条 表筒男は鏡山
  94. 第三一四条  すみあき
  95. 第三二八条 大井神馬の爪跡
  96. 第三三一条 高良神秘のこと
  97. 第三四二条 高良の宮
  98. 第三五〇条 藤大臣
  99. 第三四四条 高良神楽
  100. 第三五五条  九躰皇子
  101. 第五〇九条 干珠 珠満
  102. 第五一〇条 犬の面
  103. 第五一一条 高良山四方の固め
  104. 第五三三条 大善寺
  105. 第五三六条 早津崎
  106. 第五三七条 高良山の様体
  107. 第五三五条 高良を大善寺へ
  108. 第五四二条 神代
  109. 第五四五条 八人神官
  110. 第五四六条 十二人乙名
  111. 第五五〇条 大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連
  112. 第五五一条 末文 保房への三日間の託宣

第一条 天神 地神

天神七代

 第一 国常立尊 男神 第二 国狭槌尊 男神 第三 豊斟淳尊 男神 第四 泥土瓊尊 男神 婆土瓊尊 陰神 第五 大戸道尊 男神 大戸間辺尊 陰神 第六 両足尊 男神 惶根尊 陰神 第七 伊弉諾尊 男神 伊弉冉尊 陰神


  伊弉諾尊 伊弉冉尊 この二神天の浮橋で、その下の国が無いので天の逆矛を差し下ろし探ると、海原より引き上げた。矛の滴りが固まり嶋になった。その嶋にが降り、夫婦で八嶋を次に草木を 次に主の物 一女三男  大日玉尊 月弓 尊 蛭子尊  素戔嗚尊 その後淡路の国に宮と造り御隠れになった。

四代より六代までは定まったが 伊弉諾尊 伊弉冉尊 天橋立で見つめあって見る時 鶺鴒を見て歌を詠まれた。「世の中にいなうせ鳥がいなければ、恋路に迷わぬ者」その後歌に「法をとくつはめもあるにいした きわれにはかなき路を教え」とおしゃった。

その後一女三男をお産みになった。一女とは 天照大神  月弓宮は伊勢の国にありという、蛭子は西宮の恵比寿である。素戔嗚尊は出雲の国大社 天照大神と素戔嗚尊は仲が悪くいろぶつかることがあった。 天のフチという馬を追いその馬に銀のひおちの下に突き立て その皮を剥ぎ天照大神がいないとき置いていった。それより外で火を焚くときは日神のそれへ火の先を包むようになった。

 天照大神 西天竺より出生ともいう、また異説では、千八人の女西天竺より来る。人間を生む、倭国の倭の字はこれによって千八人の女と書く。

 アマテラス大神その素戔嗚尊屁を持て余して天の岩戸に籠った。日の神が籠ったので日本は暗闇となった。その時五人の神楽 八人の女性 笛を吹き鼓を打ち拍子を揃えて神楽をはじめた。面白いかと思い扉を少し開いた。人影が見えたので常陸の国の戸隠明神が扉を開いた。その時よりその顔が白く見えたので「面白い」と書くようになった。

天岩戸の後(中略)素戔嗚尊は樋の川の奥へ入った。その川の川上より箸が一対流れてきた、人が在ると思い、川伝いに入ると。片原に在家が見えてきた。立ち寄って見てみると、夫婦と姫一人が見えた。泣き悲しんでいるので。スサノヲ尊は尋ねてみた。「何事か?」答えは。「この浦は三年に一度、この川に「いけにえ」があり。今年はわが姫に当たりました、男の肌に触れない女を「いけにえ」に供えなければなりません。」という。スサノヲ尊は訳を聞いて。「ここに至って、そういうことであるならば、悪龍を退治すべし。」と言った、翁は答えた。「お願いします。」と喜んだ、翁夫婦の名を足名椎(あしなつち) 手名椎という。姫の名を稲田姫云った。スサノヲ尊その意を得て、まず、「ヤハシリ酒」という毒酒を作って、舟一艘に積み、上の社に段を構え、姫の形に人形を作り置いた。

 風水龍王、人形の形が酒に映って、酒の下に人があると思い、毒酒を飲み干す。もとより、かくのごとくせんがための企みであれば、川岸に酔い臥した。スサノヲ尊、これをご見てトツカの剣を抜き、散々に切り。八の尾をことごとく切った。その中の一つに切れない尾があり、見ると氷のごとくになる剣あり。取りてみると、後の天照大神の三種のうちの宝剣である。この剣は近江国の伊吹山で失った。(中略)

 スサノヲ尊、宝剣をもって、もとの斎所にもどられ、神たち集まり、この宝剣を天照大神に贈呈され、たいそう喜ばれた。その時、スサノヲ尊と天照大神仲直りした。(中略)この宝剣は風水龍王の八つの尾の中の尾にあり。剣のあるところから煙立ちて叢雲のごとくに在るにより、叢雲の剣と名付けられた。

 そのお礼として出雲の国 一国を素戔嗚尊に贈った、十月一日 日本の神達が集まり大社に集うことより日本ではその月を神無月という。しかし高良大菩薩は呼ばれないので築後では神有月という。

 その後、草木に火をつけ国土を焼かんせしを伝え聞き、この剣をもって草をなぎ払いたまう。この時より草薙の剣と申すなり。

地神五代

 第一 天照大神 第二 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 第三 天津彦々瓊杵尊 第四 彦火々出見尊 第四 彦波瀲武鵜草葺不合尊
天照大神の御子は、四人いる。三人は天照大神より四代まで継がれた。 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の御弟は 天津彦々瓊杵尊 此御弟は彦火々出見尊 此御弟を彦ソソリノ尊(火酢芹尊)という。このソソリノ尊は神代を継がずに海の遠くへ行った。

 ある時、彦火々出見尊が弟彦ソソリノ尊に釣針を借りて、兄の彦火々海原に出て、釣り針を海に入れた。アカメクチがこの釣針を食切る。御弟彦ソソリノ尊の持ち伝えの釣針なので、兄の彦火々出見尊、呆然と呆れていると塩土の翁と云うものが現れた。「吾皇子御徳を忘れず。今現れ来た。」その御礼をするため、ナメシカゴ(目無籠)と云うものに、彦火々出見尊を連れ奉り海中に招き入れると、ほどなく竜宮界に着いた。

 これまでの事を次第に竜王に云うと、「この世界に三年逗留すれば、その間に願いをかなえる。」言い、彦火々出見尊「そのとおりにいたします。」と答えた。

 竜王「諸々の魚寄せ集めよ」とアカメクチに伝えれば、しきりに寄せ集められ、諸々やってきたアカメクチのその中に、頬腫れて異なる口を開けてみれば、釣針見つかり、その釣針を密かに取り、竜宮へ納めた。竜宮の娘と彦火々出見尊へ渡し。その釣針を取り出し、彦火々出見尊へ渡すと。その釣針を受け取り、夫婦共に竜宮を出で、海上にほどなく上陸し、彼釣針を御弟彦ソソリノ尊へ返した。

 竜王の娘と彦火々出見尊は夫婦となり、やがて豊玉姫は妊婦となり臨月となった。産所を造ってほしいといわれ、鵜羽をもって葺いた。葺き合せている最中に出産給し。これにより、この御子の御名を彦波瀲武鵜草葺不合尊と呼んだ。豊玉姫とお避けるうちは百日をまんしてよりご覧あれ、とお避けれともまじか子九十九日にあたるとき、彦火々尊、ものの隙間よりご覧するに、豊玉姫は大蛇となって、七又の角の上に その御子を置き、したをもって子降っていたのを彦火々出見尊が覗きみたことにより豊玉姫は御子を捨て海中に帰っていった。

 嘆き悲しむ彦火々出見尊のところに豊玉姫の妹 玉依姫が竜宮よりあらわれ御子を養育した、御子を玉依姫と甥の彦波瀲武鵜草葺不合尊はやがて夫婦になった。

 彦波瀲武鵜草葺不合尊は住吉大明神のことである。その御子住吉五神といは二人は女子 三人は男子 二人の女子の名前は表津少童命 中津少童命といった。男子の名は長男大祝先祖の名は表筒男 次男神武天皇の名は中筒男 三男高良大菩薩の名は底筒男と言った。

 皇代十五代神功皇后のとき、イルキ 日本に渡る、その時筑前四王寺の峰に上り虚空を祈った。~中略~明星天子の垂迹住吉明神表筒男七旬老翁と現れ、その御子嫡男日神垂迹表筒男、二人現れた 三男月神ノ垂迹底筒男~中略~三韓をせめ従えた 男月神ノ垂迹底筒男ノ尊 皇后と夫婦となり 嫡男の垂迹表筒男は皇后の御妹 豊姫と夫婦となった。男月神ノ垂迹底筒男 物部(阿部)保蓮という。別名 藤大臣 四人の皇子は仲哀天皇の皇子である、五人は藤大臣の子 合わせて九躰皇子という。妹豊姫は肥前国で河上明神となった。

 皇代十七代仁徳天皇の時、神功皇后崩御された、高良明神、豊姫、玄孫大臣 その御子大祝日往子尊 武内大臣 皇宮を共に出、武内大臣は因幡国に立ち残り、炉辺に靴を脱ぎ棄て、御衣を木の枝に掛け山の奥に入給う隠れるとこを知らすなり、残り四人は皇宮よりはるばる行き豊姫 玄孫大臣は肥前国に留まりて豊姫は河上大明神となった。

 九月十三日 大祝日往子尊はその山に還り 皇宮で三種の神器を振り分けた 勾玉は高良大明神が預かった。宝剣は神功皇后 鏡は玄孫大臣が預かった。大祝は職の名で本名は鏡山という。 

 皇代四十代天武天皇の時 大祝道麻呂男子美理麻呂に御宣託があり斗藪(雑念をはらって心を一つに集めること。)し密かに来て 意見がありました。「天下の万法は ついに仏海にする 当社の明神は一人としましょう仁王経文をもって御法心有 大祝へ大明神は譲り 大井御垂迹なので束帯とつかれ高良大明神を引き換えに高良大井と名乗るように」とおっしゃった。

 異国征伐の時、干珠 満珠で国土を治め、又皇宮で勾玉を持たせていただいた間 御鳥居玉垂宮とありました。大祝鳥居には大明神正一位といいました。大祝家は今までに比類なき家である。高良大井御記文にも五姓を定めること神部物部を比せんが為なり天代七代 地神五代より大祝家の系図は定まった。

第二条 下宮

 第一五天武天皇四十代 即位二年に託宣により下宮は創建である。

第三条 三韓

 異国の三韓とは新羅 高句麗 百済国のことである。

第四条 聖母大井

 神功皇后は玉水をもって 退治し 文永には火をもって退治 弘安には大風を吹かせた。水 火 風の三つで神功皇后は聖母大井となった。

第五条 龍神の女

 水神の女 龍神の女は二人 龍神の女は厳島大明神 水神の女は宗像大明神

第六条 安曇磯良

 安曇磯良は筑前国では志賀 常陸の国では鹿島 大和の国では春日明神という。

第七条 皇后の妹

 皇后の妹は二人 一人は宝満大井 もう一人は河上大明神 豊姫

第八条 異国征伐の衣

 異国退治の時 九千は大安寺に、衣は宇佐の弥勒寺に納めた。三八〇〇〇の兵を含むと兵庫国にある。

第九条 八幡大井

 皇后帰朝の後 十日 仲哀九年十二月十四日 筑前 宇美でお産し第十六代応神天皇が生まれ八幡大井となった。

第十条 麛坂皇子と忍熊皇子

 麛坂皇子と忍熊皇子兄弟を 武内宿禰が討った。

第十一条 犬の面

  大井が百済を召具する降人百済氏に、犬の面を着せ、犬の姿を作って、三韓の皇子は日本の犬となって、本朝の御門守り給いて祀るよし毎年正月15日に是を勤める。犬の舞、今も絶えず、年中行事60余箇度のその一なり。百済の降人百済氏が犬の面をつけて、正月十五日に犬の舞を玉垂宮でおこなう。また、門の守りとなっている。犬の舞の行事は今も高良大社で続いているという。これは四世紀末から五世紀初頭にかけて、百済王族が人質となっていることを示している。

第十二条 出航

 皇后は舟に志賀海神社の前より乗った。

第十三条 八幡大菩薩

 八幡大菩薩 他の国よりは我国 他人よりは我 宣託有ること天平宝勝年中のことである。

第十四条 平野大明神

 仁徳天皇 今は平野大明神といわれ 宇佐の宮では南桜の上に宣託あり。

第十五条 祭神 神功皇后

 神功皇后十三より 仲哀天皇より先に祭られた。

第十六条  御祭礼


 上代には、天下より勅使にて御祭礼なり、その後 国を家人に遣わされてから、四頭へ仰せ付けられた。国司を一人申し下る 健啖(料理をたいらげる)して御礼執り行うこと

第十七条  榊二本


 十月十二日 上宮に寺社同心に話合い 同大年の夜 九州のうちにおいてはいつも榊二本 両頭人の門に刺すこと 半国筒受け取り両頭人して、九州切りせん断して整え 総祭り整え島津への宣下である。

第十八条  句役


 四頭より 田まい 人へつ 舟は櫓楷の及ぶまで 馬は蹄のかようまで 整え制札を頭人に渡し つしつしにたてらるなり。
九州平均の句役なり 制札の書様のこと

第十九条  当山四方を固め 、神代武勢丸より始まる


 在徳田新譜の地頭 人棟東駒至西浮船津留迄所仕如件 一銭一瞬きりである 御祭礼(異筆書入)の時 当山四方を固め、神代武勢丸より始まった。

第二十条 大祝一二〇日の精進

 大祝一二〇日の精進は六月十一日より あさのかま百二十で一日一つ 精進物は百石百貫 (朝廷より勅使来る時は千石千貫 公房より 五百石五百貫 大友 菊池より行う)七日ごとに うきは一重 片平一つ 百二十日の間は銭賽せある。朝五百 昼五百 夕五百 以上賽銭は百八十貫 これを賽銭という。 飯 汁 菜菜の食い残しを七尺穴を掘り納める。

第二十一条 三所大明神は大祝家が整える 

 三所大明神は大祝家が整える 三子まで家督を継ぐ人である。くれぐれも他家を入れてはならない 昇進の時 市で野第菜を焚きとらすこと。

第二十二条 覆面の巾

大菩薩 覆面の巾 一疋 手袋の巾二疋 前垂れの錦一段 大井の子 錦三段 御神輿の前に巻く錦九段 これを御輿という。

第二十三条  大祝精進は如何しきなり


 大菩薩いたき奉るによりて大祝精進は如何しきなり、精進物も世に諮りいたさる。

第二十四条 一の大工 ニの大工 三の大工


 右の坊の墳は一の大工、右の坊の墳は二の大工がもつ 右 左でない坊は三の大工が受持つ

第二十五条  二十日の精進


八人の神官へは十石十貫づつである これは二十日の精進である 御輿の役の神人づつに分けられる。

第二十六条  総の神人


総の神人した者 銭千貫 大祝受取り神人一人づつに分けられる。

第二十七条  曳下ろし


 九月九日 ひき下ろしである。大祝は、しかとちん祭下辻では、大井の御仮と共に、大井と同じである。

第二十八条  小祭


 九月九日に小祭でも瓶子三句 用い鏡三重 十石十貫づつ三職へさっしょう頭よりせらるる。その外の寺社の衆は食堂で一日座り その日 社頭で書き始め、その日 鎮祭下辻には茅葺きの仮殿を八尺間五間につくり寺社の番屋をつくる。

第二十九条  祭りの準備


 九月九日より十月十日まで祭りの準備とする。

第三十条  在国司


 在国司は、鎮祭下辻の浮殿に十日の酉の刻より、幸行有まで番をする。天下より六十六ヶ国へ六十六人の国司を一年に一つ派遣する 在宅するので在国司という 御祭礼の検断役である。

第三十一条  草野は上宮の留守職、在国司は鎮祭勝司の留守職

 草野は上宮の留守職、在国司は鎮祭勝司の留守職である。在国司 草野は両留守職、遷宮の時も新所御社は在国司 古い御社は草野である

第三十二条  大祝の役


 宮の政所より、三所明神 御輿を整へて八人神官に渡す。
以上大井の御上の儀式は大祝の役である。

対馬の館 貫具足のことも異国征伐の例を学んでいる。

 四足の町は少弐名代である。笠懸ノ町は大友名代 馬場町は菊池名代である。
御幸町は島津名代 辻固町は当国国衆 岩井の町は上かう五木衆 賀輪町は下社右内衆である。
この六町半の所へ一箇所神守屋として七家をつくること三の大工が行う。
大井の総大工であるゆえ作り替えること
幸行有時之次第ゆえ

第三十三条  大宮司


 大宮司 先に立ち 八丈測っておく

第三十四条 座主

 座主たるべし 八丈測っておく

第三十五条 神人


 神人立ち その次第である。

第三十六条 神馬


 神馬、三疋控え 三丈おく

第三十七条 住吉の神馬


 住吉の神馬 鹿毛 三丈

第三十八条 八幡の神馬


 八幡の神馬 芦毛 三丈

第三十九条 大井の神馬


 大井の神馬 栗毛縁

第四十条 高良の鎧

住吉の御鎧 白糸 八幡の御鎧 黒糸 大井の御鎧 緋色 兜三 箱は御鎧の先に刺させ 御鎧は板にえをつけて据えて持つべし 三丈つつ置くべし。

第四十一条  神人は頭人よりいたさる


 七十五人白杖持ち 七尺五寸桑の一年立ち、日本の総妙を扶桑を思う故である。その神人は頭人よりいたさる。織絵本紙に裃を着るべし、これは仮の神人二十日精進なり。

第四十二条  七十五人三種の神人


  七十五人の神弓持ち鏑矢を腰に負う 桑の木で竹を打った弓である。三潴座よりして出、支度は より烏帽子に裃である。三丈おいて

第四十三条 七十五人の神弓持ち

 七十五人の神弓持ち鏑矢を腰に負う 桑の木で竹を打った弓である。三潴座よりして出、支度は より烏帽子に裃である。三丈おいて

第四十四条 花盛りの神人

 「花盛りの神人七十五人、しきひの葉を持つ、三池郡よりより三丈おいて」

第四十五条 鉾持ち

七十五人 鉾持ち、柄 七尺五寸、身 一尺三寸、これは九人こたうなり 白い垂れに白袴なり。三丈おいて

第四十六条 七十五人 鳶の尾の神人

 七十五人 とひのおの神人 被り物を丸く板で作り 周りにとひのおをさす また竹で柄を七尺五寸にこしらえ 先に風車のような板をこしらえ、鳶の尾 鷹の尾を刺すべし 白ひた白袴である。これは百堂初めとして、府中の間の座の衆である。三丈おいて

第四十七条


七十五人 榊葉の神人 草野山で榊を切り 山本で七十五本を揃える時 その妙選を山本君と名付け その神人は、やがて山本より出る 榊葉のこしらえは長さ七尺五寸榊葉をつくる 三丈おいて烏帽子裃

第四十八条


七十五人 日出笠の神人 日出笠の作法 ヒノキを持って開く葦の笠のようにまわりにひけおく ひけ笠ともいい 手にわたおく その神人は瀬高より「両部別当に白貼り烏帽子たるべし」三丈おいて

第四十九条


七十五人 白弊の神人 弊串長さ七尺五寸
その神人は両西泉より致す 一方の西泉より神人三十七人 また一方の西泉より三十八人 以上七十五人 三丈おいて

第五十条


本家 両家の座頭 手に鶸を持ち 地神の経読み通る、人数は定まらず三丈おいて
その神人は祓いの衆 天格 座頭に至るまで大祝にお供する。上宮に上り 社はいについて大祝をさえ申すに いつくうき有りましき 白丈持ち寄り座頭に至るまでは一人づつひとならいひとならい行く 座主 大宮司衆は□□□□座主も 三百六十坊の衆を手をつける。

第七七条 白鳳二年、嫡男の保義は社職惣官となる

 十月十日丑の刻に御輿に移し、十三日丑の刻に内殿のように移された 本躰所より御供をはり 酉の刻に登り丑の刻までは 礼殿に座り 大祝は左に座主は右に座った。大祝の手の物は大祝座の下に控え 座主の下に大宮司 その下に座主の手の物 七ハンサイのととのえである。大祝座にある酒を大祝座入れ座主大宮司の座にある酒を大祝座より入れる形である。在国司の座は直酌の間 中座である。在国司にある飯 酒も大祝 座主 大宮司の座より入れる、十日の夜 移した三職の時の座も同じである。これを酉の刻より登り座の様は共に同じである。御遷宮共に同じである。

第一二九条 神籠石

 神籠石は、八葉の石畳みをつきはじめて、又、つき納めることにより、しばらく神達がとどまることから神籠石と書いてカゴと読む。

第一四二条 彦権現


彦権現は異国人で敵神なり 大菩薩 仁徳天皇の時 高良山に登る道 皇宮を出 船に乗り 先に大善寺へ行き 船を乗り換え 古い船は乗り捨てた 船のカウラを取り 大善寺大菩薩と改めた 山側を御船山 寺側を大善寺と名付けた 高良大菩薩は新しい船に乗り酒見にあがり異国追伐を任せ 風浪九十九社に寄り 船に乗り黒崎にあがり往玉ふへき方を見ると山があり 私の往壁所と仰った。御旗三流をかけると旗を上宮の上に立てた 風になびく旗先をやがて旗崎と名付けた またいつせでは三流れともいう 裏のかためにまかせ登ると瀬高一高良へ馬を控え 山の景色を見て一高良と名付けた。その後遠くに人が見え異類が攻めくると思いミサキ鳥をつかわすと、ほどなく行ってその人に行った。高良が言うには人形なのでひとかたと名づけた。彦権現 異国にいる間 彦権現とは仮のこと それより諸国彦権現をツオモイハラとした。高良の彦権現はモツハラの手先神で 一七代仁徳天皇 九月十三日にその山に帰った。

第一四三条 高良山

 大菩薩がこの山に御遷幸されて住厭に登られて「善い高山だ、よしここに住もう」と書きつけたので高良山と名付けた。

第一四十四条

高良スミアキには三年いて 四方に八葉の石畳を一夜にかまえ、スミアキであると言い 今の所に居座った。

第一四十五条

仁徳十八代履中天皇の時、初めて仮社を造られた。その後 十六代武烈天皇の時、また社を作り替えられた。これも仮社である。三十七代孝徳天皇の時、仮社から余ノ国へ宮を建てる時 高良を如何めさるゆえ異国征伐の大将軍の印とした。

第一五三条 宇佐八幡宮

 左宮 宇佐八幡宮

第一五四条 玉垂大菩薩

中宮 玉垂大菩薩

第 一五五条 住吉大明神

右宮 住吉大明神

第一五六条 善神王

善神王 左本地 或は両部大日 右本地 或は不動毘沙門

第一五九条 神功皇后の父母

神功皇后 国長神 古父 古母 乙宮 妙見 両妙見 本地七仏の薬師也

第一六〇条 九躰皇子

 1斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒さ光天皇千万人に勝つ 2朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢名無ま皇天皇一日の難を逃れる 3暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)薬師くまる天皇一切作物虫食い逃れる 4渕志ノ命神(ふちし)文殊南無とくたつ天皇生類眷属難産逃れる 5谿上ノ命神(たにがみ)釈迦南無らし天皇半死の難を逃れる 6那男美ノ命神(なおみ)観世音たつつかつ天皇丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる 7坂本ノ命神(さかもと)阿弥陀南無しんしょう天皇ふくひょうの難を逃れる 8安志奇ノ命神(あしき)地蔵南無たくしょうしん天皇わう難を逃れる 9安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)大日南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け 斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の妻)の子である。

第一六四条 高良大明神の御廟は本躰所にある

 本躰所は高良大明神の在所のことである。本躰所とは元の代の所と書く。

第一六六条 大宮司

 大宮司は下記の役によって印輪を司った。

第一六九条 本躰所は大祝が司る

 本躰所は大祝が司る所である。

第一七六条 大宮司は座主より以後

大宮司は座主より以後始まる 大祝は高良神 御遷行以来の家 当社法 座主より大祝 当宮のこと大祝が決める。

第一七七条 廻堂で出家

 高良大井皇宮 その山に御遷行の時 遠路を巡り今ここに治まり。これによって初めて社参する人は その堂を巡る そこに大菩薩発心を学びその堂を造り 中ノ塔は大井御堂である。

第一八〇条 大菩薩は仁王経の講義で出家した

 正月十五日 高良大井密かに夜来て仁王堂で御法心を持ち大菩薩に意見を学んだ。八ヶ寺次第のこと 「弥勒寺安在地有り 先三味堂真諦院に有り 宝塔院 正覚寺栗林ノ内有り 又北谷に有りともいう 観音寺 勢至堂 その二寺は三井寺有り 本地院」七堂の次第

第一八二条 高良内

 大善薩その山を結界の地となしクハンシヨウ申す所である。その時高良内を外へはり結界の地とし八葉の石畳をつかせた。その時大善薩御法心あって御詫宣に任せ、高良山に三百六十余坊建てた。三百六十余は三百六十余ヶ日をかけ三百六十余の内十五坊を高良内に建て座主の屋敷とした。その時から高良内と名付けられた。

第一八三条 五姓

 一、丹波氏 大宮司職 

第一八四条 安曇氏

 一、安曇氏 小祝職 

第一八五条 前田氏

 一、前田氏 下宮御倉出納職 

第一八六条 草壁氏

 一、草壁氏 御貢鰚贄人職 

第一八七条 草賀部氏

 一、草賀部氏 八人神官職の氏なり 、そのうち小磐職だけは安曇氏である。

第一八八条 大祝

高良大善薩氏 物部同姓大祝職也 大善大祝 神代 大祝家の出と伝わる 座主 大宮司と同じと伝わる。系図よると八人神官もなし 田尻 小祝 外湯 所司代 印塚 両福成 稲員 保連の御子の子孫である。

第一八九条 物部を背く一

物部を背いて神秘を公にすると滅亡する。

第二〇〇条 物部を背二

大井御誓文 物部を背き 三所三井の神秘を他姓へ知ることあらば当山は滅ぶ

第二〇八条 託宣は白鳳十三年 

託宣は白鳳十三年 天武天皇即位二年酉癸二月八日の御発心である。

第二一二条 香原岳

豊前国に一嶺二嶺あり。異国より異類攻めくれば三峯へ 高良三所大菩薩八日あって異類だいちあり誓いあり。またその三峯へ異国征伐の時、高良登り異類の様を観たことから高良峰と名付けられた。彦権現は仮のことで高良峰をあらいくつすべき並びの山より樋をかけて表せる間 彦嶺三百余丁 白河原にその水を持って洗い尽くす。

今ではそれにより樋嶺といわれている。仲哀天皇崩御 香原垂迹(菩薩の事)とどまることから香原岳ともいう。

第二一三条 神功皇后は阿弥陀の変化

  異国征伐の時船を造られた神功皇后 阿弥陀如来の変化である間 六十八忠背の引く判を起こし近隣苦海の主将を救い 四十八艘の船を操作された 御手長 天神七代 地神五代でと定めた 共に五色である。これは五仏を指す。舳先の五色は五躰尊不動を表す 中の船梁は金の大日 舳先の船梁は大日である。以上船梁は六本である。三軒柱は九箱 船の名は竜頭景色(りゅうげけしき)と名付けた。

第二一四条 高良の火

 当山の一火は、大井神事の玉を 異敵攻めさせる時 皇宮に至るまで預かった。また干珠 満珠を龍宮に借り異国を平らげた この三つの玉の力 高良山一火と照らし 上宮御殿より八寺を巡り 鷲尾から瓦礫場を渡り 八葉を巡り元のように上宮御殿に祭る もしこの火消えることがあれば当山は滅ぶ 二十三日からは必ず気をつけるべし

第二一五条 麓の火

麓の一火の場所は大祝居屋敷より 南の丘よりまず直ぐには馬場の堀に下宮 本躰所を巡り阿志岐 不開を巡り朝妻を渡り 矢取の前を行き瓦礫場にあがり元のように丘へとまわり、このいわれは大臣異国を攻める時 皇宮に至るまで内司所を預かっていた子 日住子命へ譲れば当山までも推進あれば今に大祝職のに伝わっている。この鏡 霊力表れて麓の一火となり衰退至るゆえに視線 人の目にかかることもある。火の丘というのは大祝職 日住子の尊の火のことで 三所の一火は金剛界 麓の一火は胎蔵界 火体 水体を表す 神火のことである。

第二三一条 大宮司は座主の始まり

 大宮司は座主の始まり三代目に大祝祖始より始まる家である。大祝家より座しへ続き座主より来ることもある。

第二三六条 白鳳十三年に御発心、二十二年に寺社始まる

 白鳳十三年に御発心あり白鳳二十年 大祝職より当山に寺社を始めた 上宮に四百八十人 下宮に四百八十人 三井郡に二百四十人合わせて千二百は両部をひうせり さて大宮司職三代過ぎて 大祝職より婿をとり その孫に下築後の社人をゆずったが神ノ所は譲らなかった。そのうち大善寺 酒見 黒崎の三ヵ所司祭があるので譲られた。上築後の社人 大善寺 酒見 黒崎社人共に 大祝職へ神心 社職を禁ずる。

第二三七条 大善寺

 大善寺を造ること高良山寺社始まってより、その月に大井という言葉に大きな良い寺の意味なので大善寺と名前を付けた。

 九月三日に滞船し上陸し五日建立あり宮をを改め、宮のカウラを捨てたので、宮さんというそうです。七日の午後より遷都を行い酒見を行い、波風の神を治め天の二十八 地の三十六 二十五有り合わせて九十九尊をおさめた。後にはホウロウコウケンと云われた。九十九尊を九十九社というようになった。さて酒見と名を付けたのは老人は酒を飲むので酒見と名をつけた。

四日の拘留あって十日のとりの終わりより宮に召され月も入れば黒崎になる。その名前は黒崎と名付けた。三日に始まって築後のさしつを召し良い居住地を定め、九月十三日にこの山に帰ってきた。黒崎より高良山の地の月は似ているところがある。

第二三九条 ホウクハンを内裏へ申さず

ホウクハンを内裏へ申さず ホウクハンを内裏へ申し付かること世に優れたことである。大井皇后津神あってから内裏へ申し末代までも仕えることを皇室庁と定めはたくしにつくこと天下の掟これにしくことまれである。

第二四一条 表筒男尊

表筒男尊 玄孫大臣の異国に向う時 御紋は黒龍で五巻である いりこ 脚 面 剣までありありと隠し 龍宮の孫である為である。母方である。兄弟が無いの大井の御紋 大祝職の紋 黒龍を大井の紋とすることもある。大井 大祝同体の意味である。門光を五箇所書き龍を描くように描く。

第二八一条 九州の宗廟の司を譲る

高良 九州のこと 天平勝宝元年牛巳 宇佐八幡宮建立により高良 九州の宗廟の司を譲った。

第三〇九条 桐の紋

住吉の紋に桐の等を召さること、うとの岩屋にてウガヤフキアエズノミコトを産む時、産屋に桐の葉を敷き産屋の羽子板も桐の木 桐の葉を取った場所を桐嶋と名ずけた。これによって異国を攻める時も桐の旗を記しとして攻めた。住吉とはひこなぎさたけ(ウガヤフキアエズ)のことである。

第三一〇条 三つ巴

八幡の御紋 神功皇后異国追伐の時 八幡を孕み石により皇后の船の前の水の巻目を見て御紋にされた巴紋である。

第三一一条 門光の紋

高良の木瓜紋 神功皇后 神功皇后筑前国四王寺寺嶺において大鈴を榊の枝にたてかけ七日間異国の大赦祈った時 東の空に白雲現われ 四方に開き 光を放ち四王寺に下った 四方に開いた白雲は四天王である。中に四本の鉾を打ち変えたのは四天王の鉾である。これをとって木瓜と名付けた異国征伐の時 高良の御文とはこれのことである。四方に光を放つので門光といった。

第三一二条  藤大臣、日往子

  玉島川で 藤大臣、日往子 三一三条 玉島川で 神功皇后 高良 鮎を釣る時 表筒男尊がいる所 鏡山という。

玉島川で 神功皇后 高良 鮎を釣る時 表筒男尊がいる所 鏡山という。

第三一三条 表筒男は鏡山

 藤大臣 高良山に御遷行の時 神立御供の百を豊前 国神籠郷におさめ置く 大祝日ノ尊 検視でいる処を鏡山

という。

第三一四条  すみあき

阿志岐皇子 降奉天にいた。高良 すみあきにいた。すみあきとは 今の上宮のこと 皇子もやがて下りた。大祝 両宮の遷宮を取りなし 大祝もやがて耳垂より今の所に住んだ。束帯を付いた場所である。

第三二八条 大井神馬の爪跡

 神籠石の上に、大井神馬の爪跡の形がある。これは高牟礼に宿を借りる時、上宮より高牟礼に降る時の道で大井 神馬の蹄の形を付け これを記にして今の高牟礼の目印とした。出し抜いて八葉の石畳を四方につけば四方八方のほかに今も変わらず高牟礼いる。

第三三一条 高良神秘のこと

 高良神秘のこと二本と二ヵ所である。

第三四二条 高良の宮

高良の宮は八尺間 五間である。中の三間は 三所大井がいます。両端の二間には 一間二十四躰 四十八体の皇子である。異国征伐の時 四十八そうの船に高良四十八人と戦い それを忘れず四十八躰の皇子という。

第三五〇条 藤大臣

高良大菩薩皇宮におられる時、大井は月神でいるあいだ位は太政大臣正一位であり、藤大臣は異国征伐の時、干珠 満珠を竜宮に借りた時の名前である。高良山に御帰りになってより神正一位と定められた。四〇代天武天皇癸酉二月八日御神託により大井束帯を大祝に譲り大祝大明神正一位を高良大明神第一位を引き替えて鳥居に玉垂宮とうった。大祝へ譲った鳥居には大祝大明神正一位とをうった。代々井ノ文にもそのように書かれている。大祝大明神物部安何正一位、大祝家がつきてからは隠居したというが、その書はましきなり。皇代六十代醍醐天皇の時、大祝大明神物部安何正一位と書くなり。

第三四四条 高良神楽

 高良神楽は異国征伐の次第である。毎日おこたらず 住吉 高良 諏訪 熱田 三嶋 五人の神楽男の子を使い 皇后 河上 宝満は女の子を使う

第三五五条  九躰皇子

始めは九躰皇子 阿志岐山の上にいた。四十八代称徳天皇景雲二年申戌年に下りた。最初の所は降奉天と名付けられた。阿志岐の山号を九形山といい寺を蓮寺と言う。

第五〇九条 干珠 珠満

 干珠満珠を龍宮にて賜ったのち、玉を龍宮から高良へ持って行き、神代(くましろ)に納められたともいう、故に神代(くましろ)を神の代と書く。また、神辺(くまべ)を神のほとりと書くなり。その玉を神代に納められた。また、河上に在るとも云う。干珠は白い玉、満珠は青い玉なり。長さ五寸ほどなり。頭は太く、尾は細いと云う。それ故に高良を玉垂宮と云う。    

第五一〇条 犬の面

 高良大菩薩が百済を召具する降人百済氏に、犬の面を着せ、犬の姿を作って、三韓の皇子は日本の犬となって、本朝の御門守り給いて祀るよし毎年正月15日に是を勤める。犬の舞、今も絶えず、年中行事60余箇度のその一なり。百済の降人百済氏が犬の面をつけて、正月十五日に犬の舞を玉垂宮でおこなう。また、門の守りとなっている。犬の舞の行事は今も高良大社で続いているという。これは四世紀末から五世紀初頭にかけて、百済王族が人質となっていることを示している。

第五一一条 高良山四方の固め

  高良山四方の固めの左室を炭焼におさめた。

第五三三条 大善寺

大善寺のこと高良大井 たいとう あれなれ河と云う所より 御皇子と共に、筑前宇美に着いた。それから皇后と共に京都に上った。皇后の崩御ののち仁徳天皇十七代に大善寺の前の川に着いた。はじめて着いた所なのでたいとうおうこして川の名前をとってそこを有成川と名付けた。船を捨て置き この川の端にある黒崎に舟を造り酒見に上がり ホウロウコウケンを始めた。九十九社の最初の定め、大井 高良へ先行して造った。又 酒見より黒崎に御皇子を召し寄せ高良山の徳を先行した。乗り捨てた船を納めた所を黒崎大明神とあがめた。黒い木で造った船なので黒崎と名付けた。

第五三六条 早津崎

この船のその他の言い方は早津崎という。そこは焼納めるところなり 五月七日に下船され御輿を据えた所である。

第五三七条 高良山の様体

高良勧請は長久元年(1040年) 高良山の様体を写した。

第五三五条 高良を大善寺へ

高良山へ仏法始まって、高良を大善寺へ移転しうるなり、その舟のカウラを取って御神体とするがゆえに山側を御船山という。

第五四二条 神代

大菩薩高良に御戦功の時スミアキに旗を振って旗の先に来たところを旗崎という 旗の先に来て旗の様子を見て神代のように取って高良山の様態を神代より整えたともいう。一説には干珠 満珠のある所と定めたので神代と名付けた。神代と書いて「かみのよ」と読む。

第五四五条 八人神官

 八人神官は十二人の乙名である。大祝のうちその司を受ける役である。 八人神官とは田尻 小祝 外ノ湯 所司代 印塚 両福である。 稲員これは神輿役である。

第五四六条 十二人乙名

 十二人乙名は小野 栗林 厨 弓削 野中 枝光 高野 久留米 本司 大隈 国府 上津荒木

第五五〇条 大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連

 大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連でもあり、表筒男と同体である

第五五一条 末文 保房への三日間の託宣

 御祭礼 天地開け始まり閉めるまで 末世未来あるべきまでも語る間 大祝職神津麿尊保房しんもつつあるべきまでも、あるいは憤死までも取り集め書きつけた。老人の言葉に大祝職へ問答したためにカタカナに、問うておさめた。言葉を頂くのに袖を控え「如何なるケシンである。」とある。仁徳十七代九月十三日この山に遷行したものである。かき消すようにいわれ九月十一日より十三日のことである。高良のお言葉を「高良記」という。この書 他に渡ることあれば奈落に落ち見なくなること疑い無し。 御礼祭時の勅使このことこのこと天下に申さなければ御判いたします。この半紙長さ三尺三寸 三十二点 横一寸は皇位と一妙を秘す。

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