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神の履歴書

以下の系図は、百嶋由一郎先生の系図を元に私なりの解釈を加えたものになります。

百嶋系図改1

百嶋系図改1

倭人の系統

白族

中国雲南省大理ペー族自治州を中心に住むチベット系民族。2000年の統計では人口1,858,063人。内、約124万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派のペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。雲南省以外では、貴州省畢節地区、四川省西昌市、湖南省桑植県、ミャンマー北部などにも分布している。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、ペー語を、漢字を借用したり、漢字の構成方法を応用して作った漢字風の文字を組み合わせて記述したり、借用語として多くの漢語をペー語に取り入れている。

白川伯王(天御中主 国常立尊)

古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家である。皇室の祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元。 菊理姫 大幡主はこの系統であり 奴国王家はこの家系と考えられます。

刺国大神

『古事記』では刺国大神、栗鹿神社の書物『栗鹿大明神縁起』では佐斯久斯布刀比売(さしくしふとひめ)と表記される。

昔脱解(素戔嗚尊)

倭国の倭国の東北一千里のところにある多婆那国で、その王が女人国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。王は王妃に向かって、人でありながら卵を生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。しかし王妃は卵を捨てることに忍びず、卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。やがて箱は金官国に流れ着いたが、その国の人々は怪しんで箱を引き上げようとはしなかった。箱はさらに流れて、辰韓の阿珍浦(慶尚北道慶州市)の浜辺に打ち上げられた。そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。このとき、新羅の赫居世居西干の39年(紀元前19年)であったという。老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。長じて、第2代南解次次雄5年(8年)に南解次次雄の娘を娶り、10年には大輔の位について軍事・国政を委任された。南解次次雄が死去したときに儒理尼師今に王位を譲られかけたが、「賢者は歯の数が多い」という当時の風説を元に餅を噛んで歯型の数を比べ、儒理尼師今に王位を継がせた。儒理尼師今が57年10月に死去したときには、王(儒理尼師今)の遺命に従って脱解が王位についた。

金首露(月読命)

首露王は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。妃はサータヴァーハナ朝の王女と伝わる許黄玉。ただし、首露王についての記述は金官加羅国滅亡の500年ほど後に書かれた駕洛国記が本となっているため史実か判断が難しい。月讀命 大三島はこの系統と考えられます。

呉太白 姫(紀)氏(天照大神)

太伯(たいはく)・虞仲(ぐちゅう)は、中国周王朝の古公亶父の子で兄弟。后稷を始祖とすることから、姓は周宗家と同じ(き)。紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物。二人とも季歴の兄、文王の伯父に当たる。 太伯は長男で、呉(句呉)の祖とされる人物。泰伯とも。
中国では早くから、日本は太伯の末裔だとする説があり、たとえば『翰苑』巻30にある『魏略』逸文や『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝などには、倭について「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とある。卑弥呼は大率であるこの家系と大伽耶の間に生まれたようである。

許氏(高木大神)

許氏の淵源は遠く駕洛国首露王妃許黄玉に遡る。許皇后は本来インドの阿踰陀国の王女だったが、船に乗って今の慶南鎮海市運動沖合に至り、首露王の妻になったという。

許黄玉は息子10人を生み、長男登は金海金氏となり、二人の息子は許氏を賜姓し、残りの七人の息子は仏家に帰依して、河東七仏(慶南河東に七仏寺がある)となった。つまり金海金氏は父姓、許氏は母姓をそれぞれ受け継いだため、現在でも相婚を避ける。

許氏は駕洛国が新羅に敗れて、各地方に散らばった。その中の陽川許氏の始祖である許宣文は今のソウル市陽川区である孔岩村に腰を据え定住して、農業を営み、高麗の太祖が後百済の甄萱を征伐する時軍糧を補給した功労で孔岩村を食邑とする下賜を受けて村主になったという伝説がある。

高麗中期に王室の外戚で勢力をふるった李子淵李資謙など仁川李氏も元々は許氏だったが、高麗時代に邵城伯(邵城は現在の仁川)であった許謙が、唐に使臣に行き、皇帝から姓を下賜され、李氏となった。つまり金海金氏から許氏が、許氏から仁川李氏が輩出されたということで、これら3姓は駕洛宗親会を中心に血族としての紐帯を緊密に結んでいる。

許氏は朝鮮時代文科及第者122人、相臣6人を輩出した。

以下の種族のデーターを踏まえた上で「記紀」に記された神から欠史と云われる天皇を導き出すことができるようです。

欠史十代

初期の天皇は二系統あります。一つは山幸を頂点とする物部系(多分 阿部氏) もう一つは海幸 天忍穂耳を頂点とする阿蘇系(中臣氏)となります。

第一代 神武天皇

父は鸕鶿草葺不合尊 母は玉依姫と記される 別称は磐余彦帝、若御毛沼命、豊御毛沼命、始馭天下之天皇 諱は彦火々出見 この諱は祖父である山幸とおなじですが、実は諱が同じだけではなく同一人物である可能性が高いようです。

「記紀」に記された系図は、元となる「高良玉垂宮神秘書」等に記された系図自体が偽造されたものであることが宮神秘書を読むことから読み取れます。

本当の神武天皇の生まれは伊都国に多くの伝承が残っており「東に美しい国がある。」と助言した塩土翁(大幡主)は同時代の山幸にも助言を与えているようです。

五十猛の名前で白石に上陸した後、飯塚の笠置山に降臨した饒速日(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)の軌跡と神武天皇の軌跡がピタリと重なっていることからも、時間 場所 境遇 が同じ彦火々出見 五十猛 饒速日が同一人物であるという回答が導き出されます。

第二代 綏靖天皇

第二代 綏靖天皇 父は神武天皇 母は吾平(あいらつ)姫 別称は神沼河耳命と記されていますが、実は吾平姫の後夫で建磐龍(手研耳(たぎしみみ) 阿蘇神社) 日子八井耳(天児屋根 天忍穂耳 草壁吉見)の父に当たるようです。

第三代 安寧天皇

第三代 安寧天皇 父は綏靖天皇 和風諡号は磯城津彦玉手看天皇(紀)師木津日子玉手見命(記)とあり百嶋先生の資料から導き出された回答が玉手見命=浦島太郎=大幡主 つまり彦火々出見の父と解釈されています。

第四代 懿徳天皇

和風諡号 大日本彦耜友天皇(紀)大倭日子鉏友命(記)本当の父は神武天皇 母は吾平姫である。つまり饒速日命からつづく本流の倭王の家系である。

第五代 孝昭天皇

父は懿徳天皇 母は阿蘇の多氏の娘 天豊津媛 諱を観松彦香殖稲天皇(紀)御真津日子訶恵志泥命(記)と記されています、本当の父は綏靖天皇 母は吾平姫 天児屋根 天忍穂耳の別名であると考えられる。つまり吾平姫を後妻にした分家の血統といえる。

第六代 孝安天皇

父は孝昭天皇 母は世襲足媛 諱は日本足彦国押人天皇(紀)大倭帯日子国押人命(記)と記されるが孝昭天皇(天児屋根 天忍穂耳)の息子である。もしかしたら大山咋の別名の可能性も否定できません。

第七代 孝霊天皇

父は孝昭天皇 母は押媛と記される 諱を大日本根子彦太瓊天皇(紀)大倭根子日子賦斗邇命(記)本当の父は懿徳天皇 ここで気づいた方もいらしゃるとおもいますが、倭の字を名前に持つのが神武天皇の系統 それ以外は耳の字を持つか、一族に耳の名を持つものが阿蘇の系統になります。本流の倭王

第八代 孝元天皇

父は孝霊天皇 母は細媛 諱を大日本根子彦国牽天皇(紀)大倭根子日子国玖琉命(記)大彦の父と記される。仮説として大彦(長脛彦 阿部氏)の父とすれば、八重事代主の別名の可能性もある。

第九代 開化天皇

父は孝元天皇 母は欝色雄命 諱は稚日本根子彦大日日天皇(紀)若倭根子日子大毘毘命(記)「高良玉垂宮神秘書」に記される藤大臣 阿部保蓮 底筒男のことである。(四世紀後半)

第十代 崇神天皇

父は開化天皇 母は伊香色謎命 諱は御間城尊 別称は御肇國天皇・御眞木入日子印恵命・所知初國御眞木天皇・美萬貴天皇と記されていますが、「高良玉垂宮神秘書」に記される中筒男 「記紀」に記される神武天皇 別名 中臣 烏賊津 賀茂別雷のことである。もしかしたら応仁天皇の実父である可能性も否定できない。阿蘇の多氏 中臣氏の祖である。(四世紀後半)

第十一代 垂仁天皇

父は崇神天皇 母は御間城姫(みまきひめ)諱 活目尊 和風諡号 活目入彦五十狭茅天皇 中臣鳥賊津の弟 倭国造 椎根津彦のことである。継体天皇の祖先である可能性が高い。

第十二代 景行天皇

父は垂仁天皇 母は播磨稲日大郎姫 諱 大足彦尊 和風諡号 大足彦忍代別天皇 本当の父は天児屋根 母 瀛津世襲(おきつよそ)(四世紀前半)大山咋(大物主)と同時代の人物である。

第十三代 成務天皇

父は景行天皇 母は八坂入媛命 和風諡号 稚足彦天皇 武内宿禰と同年同月同日生まれ同一人物であると考えられる。時代は開化天皇 崇神天皇と同時代の人物と考えられる。

第十四代 仲哀天皇

父は日本武尊 母は両道入姫命 和風諡号 足仲彦天皇 時代は武内宿禰 開化天皇 崇神天皇と同時代の人物と考えられる。

第十五代 応神天皇

父は仲哀天皇 母は神功皇后 和風諡号 誉田天皇 誉田捌天皇となっているが本当の父は崇神天皇 母は神功皇后? 和風諡号の通り分家の天皇と考えられる。

第十六代 仁徳天皇 

父は応神天皇 母は仲姫命 和風諡号 大鷦鷯天皇 本当の父は開化天皇 母は神功皇后 九躰皇子の斯礼賀志ノ命のことと考えられる。応神天皇と同時代の人物と考えられる。

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