もと地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神が籠石を築いて結界(区を定め出入りを禁ずること)の地としたため山上にもどれず、ここに至ったという伝説が、高良大社の古縁起に見えている。高良山の別名を「高牟礼山」と称するのもこの神に因むものである。
高良大社麓高樹神社伝承
高良大社の麓に鎮座する高樹神社の伝承に伝わる高良玉垂命とはいったい何者であろうか?
高良玉垂命の出自
彦波瀲武鵜草葺不合尊は住吉大明神のことである。その御子住吉五神といは二人は女子 三人は男子 二人の女子の名前は表津少童命 中津少童命といった。男子の名は長男大祝先祖の名は表筒男 次男神武天皇の名は中筒男 三男高良大菩薩の名は底筒男と言った。
高良玉垂宮神秘書 第一条 地神

そこには 彦波瀲武鵜草葺不合尊こと住吉大明神の御子 表筒男は長男大祝先祖 次男中筒男は神武天皇 底筒男こそが高良玉垂命であると記されています。
高良玉垂命の名前の由来
干珠満珠を龍宮にて賜ったのち、玉を龍宮から高良へ持って行き、神代(くましろ)に納められたともいう、故に神代(くましろ)を神の代と書く。また、神辺(くまべ)を神のほとりと書くなり。その玉を神代に納められた。また、河上に在るとも云う。干珠は白い玉、満珠は青い玉なり。長さ五寸ほどなり。頭は太く、尾は細いと云う。それ故に高良を玉垂宮と云う。
高良玉垂宮神秘書 第五〇九条 干珠 珠満
この書によると干珠満珠を高良の神代に納められたことにより高良を玉垂と呼ぶようになったとあります。
高良玉垂命の家族
男月神ノ垂迹底筒男ノ尊 皇后と夫婦となり 嫡男の垂迹表筒男は皇后の御妹 豊姫と夫婦となった。
高良玉垂宮神秘書 第一条 地神
1斯礼賀志ノ命神(しれがし)弥勒さ光天皇千万人に勝つ 2朝日豊盛ノ命神(あさひとよさかり)普賢名無ま皇天皇一日の難を逃れる 3暮日豊盛ノ命神(くれひとよさかり)薬師くまる天皇一切作物虫食い逃れる 4渕志ノ命神(ふちし)文殊南無とくたつ天皇生類眷属難産逃れる 5谿上ノ命神(たにがみ)釈迦南無らし天皇半死の難を逃れる 6那男美ノ命神(なおみ)観世音たつつかつ天皇丑午(ぎゅうば)碧玲の難を逃れる 7坂本ノ命神(さかもと)阿弥陀南無しんしょう天皇ふくひょうの難を逃れる 8安志奇ノ命神(あしき)地蔵南無たくしょうしん天皇わう難を逃れる 9安楽応宝秘ノ命神(あらおほび)大日南無一天ほうしんふかとく今生後生の助け 斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子で嫡子、那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子である。
高良玉垂宮神秘書 第一六〇条 九躰皇子
これによると表筒男の妻が佐賀の与興比売神社の豊姫で表筒男は神功皇后と夫婦になったと記されています。
更に斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命の三子は神功皇后の子であり 那男美命、坂本命は妃国片姫(崇神天皇の娘)の子であると記されています。
表筒男 底筒男
高良大菩薩皇宮におられる時、大井は月神でいるあいだ位は太政大臣正一位であり、藤大臣は異国征伐の時、干珠 満珠を竜宮に借りた時の名前である。高良山に御帰りになってより神正一位と定められた。四〇代天武天皇癸酉二月八日御神託により大井束帯を大祝に譲り大祝大明神正一位を高良大明神第一位を引き替えて鳥居に玉垂宮とうった。大祝へ譲った鳥居には大祝大明神正一位とをうった。代々井ノ文にもそのように書かれている。大祝大明神物部安何正一位、大祝家がつきてからは隠居したというが、その書はましきなり。皇代六十代醍醐天皇の時、大祝大明神物部安何正一位と書くなり。
高良玉垂宮神秘書 第三五〇条 藤大臣
藤大臣 高良山に遷向の時、神立友ひやうくを豊前 国神籠郷を納め置かれる時 大祝日往子ノ尊 検視にてはし祀る所を神山(鏡山)と名付けた。
高良玉垂宮神秘書 第三一三条 藤大臣、日往子
玉島川で 神功皇后 高良 鮎を釣る時 表筒男尊がいる所 鏡山という。
ここでは表筒男は鏡山 底筒男は藤大臣と名乗ったことが記されています。
三韓征伐
異国征伐の時船を造られた神功皇后 阿弥陀如来の変化である間 六十八忠背の引く判を起こし近隣苦海の主将を救い 四十八艘の船を操作された 御手長 天神七代 地神五代でと定めた 共に五色である。これは五仏を指す。舳先の五色は五躰尊不動を表す 中の船梁は金の大日 舳先の船梁は大日である。以上船梁は六本である。三軒柱は九箱 船の名は竜頭景色(りゅうげけしき)と名付けた。
高良玉垂宮神秘書 第二一三条りゅうげけしき
「高良玉垂神宮秘書」には三韓征伐の際の神功皇后の舟の構造や船の名前も記載がありました。
日本書紀との比較
これを「日本書紀」に記されている人物に比定すると表筒男が武内宿禰 中筒男が中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)底筒男が藤大臣のことと想像されます。
高良廟
高良玉垂命の墓と伝わるのが福岡県久留米市三潴町高三潴138にある高良御廟塚です。ここの石碑には開基年号知らずと記載されていますが、出土品から弥生時代のものと推定されるそうです。
隣接する月讀神社からは「高良玉垂宮神秘書」にある月神 底筒男の呼び名が連想されます。
最後に
大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連でもあり、表筒男と同体である
高良玉垂宮神秘書 第五五〇条 大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連
最後に「高良玉垂宮神秘書」には藤大臣は表筒男 底筒男と同体であると記しています。
このことは更に 宮神秘書 や他の書を解読する必要がありそうです。
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