鏡神社

末盧国

『源氏物語』玉鬘の巻で肥後の豪族大夫監が玉鬘に宛てた歌に「松浦なる鏡の神」と詠まれている鏡の神とは

由緒

祭神
一の宮息長足姫命(神功皇后)
二の宮大宰少貳藤原広嗣朝臣

由 緒
 一の宮,神功皇后三韓征伐の御時,松浦郡に至り,七面山(今鏡山)山頂に於て宝鏡を捧げて天神地祇を祭り,異国降伏を祈らせ給いしが,その後,宝鏡霊光を発す。よって,御凱旋の際,その宝鏡を採り,自らに生霊をこめて,この社に鎮り給う。
 二の宮,廣嗣朝臣僧玄昉等の奸人を除かんとして,兵を挙げしが,事成らずして松浦郡に薨ず。その後霊威しばしば顕れ災害頻りに起るをもって,肥前の国主吉備真備勅を請うて,鏡並びに無夘(※「怨」の上)寺(今浜玉街大村神社)両所に廟を建立し,公の霊をば祭れり。時に天平勝宝二年,この宮創立の肇めなり。境内八町四方輪奐の美を極め,従って官庶の崇敬浅からず。史跡歌書等に載せられたるは少なからず。
 中世草野大宮司と称し,武威を近郷に張り,所謂,草野氏をなせり。草野氏滅亡と共に,社運衰退したりといえども,唐津藩主,初代寺澤氏以来,歴代祈願社として尊崇せり。惜しむらくは明和七年一の宮炎上し,宝物旧記灰燼に帰し,詳細を知る由もなし。

由緒記より

境内

案内図

手水舎は二つありそれぞれ虎のような狛犬に護られています。

安産・長寿の水
三韓征伐の帰途、神功皇后は当地で陣痛に襲われたが、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産んだという。
神功皇后がお産みになった応神天皇はご長命を保たれました。これにより、清水を安産・長寿の霊水として語り継がれている。

案内板より

拝殿

「鏡神社々記」には、一時は「社の境内は八丁四方なり、宮殿、七堂伽藍(しちどうがらん)、惣廻廊(そうかいろう)、釈迦堂(しゃかどう)、毘沙門堂(びしゃもんどう)、不動愛染明王(ふどうあいぜんみょうおう)、其他末社(そのたまっしゃ)数多し、鐘楼門(しょうろうもん)、山門、二王門、一二三の華表(鳥居)、御供殿・・・」「鏡神社々記」には、一時は「社の境内は八丁四方なり、宮殿、七堂伽藍(しちどうがらん)、惣廻廊(そうかいろう)、釈迦堂(しゃかどう)、毘沙門堂(びしゃもんどう)、不動愛染明王(ふどうあいぜんみょうおう)、其他末社(そのたまっしゃ)数多し、鐘楼門(しょうろうもん)、山門、二王門、一二三の華表(鳥居)、御供殿・・・」とあったそうです。

松浦国参考古図(慶長肥前国絵図 佐賀県立名護屋城博物館蔵)

一の宮息
祭神 息長足姫命(神功皇后)
神紋は左三つ巴 安曇磯良のものです。

二の宮
大宰少貳藤原広嗣朝臣
神紋は藤原だけに藤です。

余談ですが一般に藤原広嗣は逆臣のように記載されていますが、唐津では忠臣として祭られています。

藤原広嗣

https://www.city.karatsu.lg.jp/bunka/tanbo/rekishi/fujiwara.html

末社

立神祠
体の痛みをとってくれるとあります

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