鏡山神社(鏡山稲荷神社)

末盧国

「日本三大悲恋伝説」「羽衣(はごろも)伝説」「浦島伝説」そして唐津の「松浦佐用姫伝説」といわれます。
その「松浦佐用姫伝説」の舞台となった神社をご紹介します。

鏡山は古代七面山と呼ばれ多くの伝説が残っていますが、不思議な祭り方をした神社です。

参道

まず一の鳥居は鏡山神社

鏡山白玉稲荷大明神

鏡山稲荷大明神

手水舎

『まつらがた さよひめのこが ひれふりし やまの なのみや ききつつおらむ』  山上憶良

扁額は鏡山神社

右左には狐

拝殿

扁額は阿蘇系の額に鏡山稲荷神社

屋根には鶴と左三つ巴

鶴は物部氏 左三つ巴は安曇磯良 稲荷の神紋ではありません。

由緒

祭神
息長足比売命(=神功皇后)
鏡山御食津大神・保食神・天神地祇

鏡山神社は皇紀860年(西暦200年)、第14代仲哀天皇妃である神功皇后が三韓征伐の時に鏡山に登り戦勝祈願したことにより創建されたと伝えられているがのちに鏡山御食津大神と保食神も祀るようになり「鏡山稲荷神社」と称されるようになった。

これは多分逆でしょうね!
理由は後で説明します。

境内

『源氏物語』玉鬘ゆかりの地 玉葛窟古墳・玉鬘古墳

http://kakitutei.web.fc2.com/yukari/karatu/kagami7.html

諏訪前命に関する由緒
百済から誓来という鷹使いが大和朝廷に鷹を献上するため渡来すると、朝廷からは大矢田連の娘である諏訪姫がこの鷹を受け取るため浜崎まで遣わされ、鷹狩の技術を学ぶこととなった。2人は恋愛関係となったが誓来は帰国することとなり、その際に行われた鷹狩で鷹がマムシに絞め殺されてしまった。これを嘆き諏訪姫は自害したため、これを悼み諏訪姫は諏訪神社に祀られることとなった。

史跡

佐用姫神社
以前は無かったきがします。


渡榎瓊可久岩(とにかくいわ)

鏡山山頂にある鏡山神社由緒によると、神功皇后韓半島出兵のおり、この山に登り「とにかく岩」に寳鏡幣帛を立て、天神地祇を祭り、戦勝を祈願したとある。

松浦佐用姫 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/松浦佐用姫

『行く船を 振り留みかね 如何ばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫』  山上憶良

摂社

この山には多くの史跡が残されています。
本殿の脇につづく鳥居をたどってみましょう。

磐座に多くの石像が祭られていますが、平安以降と考えられます。

磐座の中に白玉稲荷が祭られています。

白玉とは隕鉄という方もいらっしゃいますが、個人的には「はくぎょく」とは「璞玉渾金」こんきんはくぎょく つまり「渾」と「璞」はどちらも掘り出されたままの状態の鉱石 その当時伽耶で作られていた鉄のインゴットのことと考えています

荒熊稲荷

伏見稲荷

御山嶽大明神

古代の祭祀場はほとんどが磐座で磐座の中の社が先に祭られていたと考えるのが自然です。

この中の鏡山神社の正式名称鏡山白玉稲荷(保食神)か御山嶽大明神(御食津大神)が元の神であり それに子孫である神功皇后を乗せたと考えられます。

系図

御食津大神:御食の名前を持つ神と言えば 加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)で 『先代旧事本紀』「神代本紀」には「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあります。

保食神:宇賀之御霊 別名 大目姫(うずめひめ) 辛国息長大姫 大気津比売神(おおげつひめ) 名前の通り息長足帯姫(神功皇后)の祖先であり皆さんご存じの名前は天細女命(あめのうずめ) 伊勢の外宮 豊受大神のことになります。

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