
毎年十月二十二日に宮地嶽神社で開かれる筑紫舞は、芸能の祖と言われる阿曇磯良が筑紫の君の前で最初に舞ったと伝わり口伝により現在まで続いています。では、安曇磯良が披露した筑紫の君とは、どのような人物であろうか?
住吉三神
皇代十五代神功皇后のとき、イルキ 日本に渡る、その時筑前四王寺の峰に上り虚空を祈った。~中略~明星天子の垂迹住吉明神表筒男七旬老翁と現れ、その御子嫡男日神垂迹表筒男、二人現れた 三男月神ノ垂迹底筒男~中略~三韓をせめ従えた 男月神ノ垂迹底筒男ノ尊 皇后と夫婦となり 嫡男の垂迹表筒男は皇后の御妹 豊姫と夫婦となった。男月神ノ垂迹底筒男 物部(阿部)保蓮という。別名 藤大臣
高良玉垂宮神秘書 第一条
高良玉垂宮神秘書 第一条 には 男月神ノ垂迹底筒男ノ尊 皇后と夫婦となり男月神ノ垂迹底筒男 物部(阿部)保蓮という。別名 藤大臣 と記されています。
住吉とは明星天子垂迹のことで その子 表筒男尊 日神垂迹底筒男 月神垂迹の三神は三光によって虚空に住んだ、仁皇十五代神功皇后の時、異国から異類が来て四王寺嶺に皇后が天に祈ると、次男中筒男尊がその地にとどまり神武天皇と名乗った。
高良玉垂宮神秘書 第四四〇条 底筒男
大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連でもあり、表筒男と同体である
高良玉垂宮神秘書 第五五〇条 大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連
高良玉垂宮神秘書には、一条では、 「男月神ノ垂迹底筒男ノ尊 皇后と夫婦となり 嫡男の垂迹表筒男は皇后の御妹 豊姫と夫婦となった。 」と記しながら 第五五〇条では「大菩薩は藤大臣であり底筒男であり物部保連でもあり、表筒男と同体である 。」
ここに高良玉垂宮神秘書にある嘘があり、筑紫の君が高良玉垂命と同体であるかのように記しています。
筑紫君
記録にある筑紫君とは、「日本書紀」では「磐井」、「古事記」では「竺紫君石井(ちくしのきみ いわい)」、『筑後国風土記』逸文では「筑紫君磐井」「日本書紀」では「筑紫君葛子(つくしのきみ くずこ)」と記されその後の記載には「日本書紀」の「天智記」と「持統記」に筑紫 薩夜麻(つくし の さちやま)の名前がみられるのみである。
金川文書
しかし近年鞍手の熱田神社に伝わる金川文書には以下のように記されていました。
金川家の先祖は筑紫国造 鞍橋君と記されています。鞍橋君は「本初期欽明天皇紀」に記載される英雄で鞍手郡の名前の元となった弓の名人と記されていますが、この文書には「磐井は孝元天皇の長子である 大彦命の血を引く筑紫国造とされており 鞍橋君は葛子の弟である。」
熱田神社 金川文書
つまり筑紫 磐井は孝元天皇の長子の血筋であり 大彦命の血を引く筑紫国造であると記されています。ここでいう大彦命とは四道将軍の第一皇子で阿部臣(阿部氏)を始めとする諸氏族の祖である人物のことであると考えられます。
こうやの宮
みやま市のこうやの宮には百済より倭王に贈られたと伝わる七支刀を持った異国人の人形と胸に住吉の紋 五七の桐を付けた倭王の人形が保管されています。
筑紫君の正体
住吉の扉の内には、謹迦を描くこと、扉の面には松に鶴を描いて、下に野づちを描き、翔淵の神馬を描くこと、石の扉には灵鷲山の姿を描く
第四五五条 住吉の扉の内
以下のことを総括すると
- 高良玉垂宮神秘書 第一条 月神垂迹底筒男は神功皇后の夫である。
- 高良玉垂宮前秘書 第四四〇条 住吉のことである。
- 高良玉垂宮前秘書 第五五〇条 藤大臣 阿部保蓮である。
- 金川文書 孝元天皇の第一皇子 大彦命 阿部臣の祖である。
- 住吉の社には松を描く(宮地嶽神社の神紋)

以上のことから導き出される答えは初代筑紫君は底筒男 別名 住吉大明神であり開化天皇 阿部大臣 阿部丞相 呼名は阿部保蓮であるという答えが導き出されます。
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