神話を旅する

天之日鉾(須佐之男命)之巻

赤留姫を追って来た新羅の王子 天日鉾が伊都国の雷山で砦を築いたと伝わる場所
八股遠呂智の正体とは? そしてその場所とは?
天日鉾はここで赤留比売と結ばれ二人の間には市杵島姫命生まれた。

瓊瓊杵尊之巻

瓊瓊杵尊は伊都国のくしふる峰をめざした。
神武東征の最大の功労者は瓊瓊杵尊の別名かも知れません。

彦火々出見(五十猛 饒速日 猿田彦)之巻

 天照大神の御子は四人おりました。三人は天照大神より四代まで継いだそうです。 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の御弟は 天津彦々瓊杵尊 此御弟は彦火々出見尊 此御弟は彦ソソリノ尊いう名前でした ソソリノ尊は神代を継がずに海の遠く向かったといいます。
ある時 彦火々出見尊がソソリノ尊に釣針を借りて海原に出ました。するとアカメクチがその針に掛かり釣針を持って行ってしまいました。
御弟彦ソソリノ尊の持ち伝えの釣針なので兄の彦火々出見尊、呆然している所に塩土の翁が現れた。「吾皇子にて御身の御徳を忘れず。今現れ来たりなり。」ナメシカゴ(目無籠)と云うものに、彦火々出見尊を連れ奉り海中に招き入れると、ほどなく竜宮界に着来ました。
彦火々出見尊は竜宮界に着くとしばらく隠れてくらしたそうです。彦火々出見尊は玉ノ井で竜宮の娘 豊玉姫と玉ノ井で出会いました。やがて豊玉姫と彦火々出見尊は夫婦となり、豊玉姫は妊婦となり臨月となったそうです。

彦波瀲武鵜草葺不合尊(住吉大神 事代主 恵比須)之巻

産所を造り、鵜羽をもって葺いたそうです。葺き合せている最中に出産したそうで、この御子の御名を彦波瀲武鵜草葺不合尊と名付けられたそうです。その子は六人の乳母に育てられたということです。
大きくなった鸕鶿草葺不合尊の名前は住吉大神といいその上陸地がここであると伝わります。
上陸した鸕鶿草葺不合尊(住吉大神)の息子の誕生地とつたわる地
大己貴神社の地を譲った鸕鶿草葺不合尊(住吉大神 事代主)は、責任を取り新たな土地をみつけます。

大己貴之巻

彦火々出見と別れた豊玉姫は大己貴と再婚し連子の鸕鶿草葺不合尊(住吉大神 事代主)と共に国を造りますが、天照大神にその国を譲るよう迫られます。
大己貴神社の地を追われた大己貴が新たに求めた地が英彦山だったが、天忍穂耳に立ち退きを迫られます。
英彦山の立退きを迫られた大己貴は宗像の許斐山に居を移します。宗像大社の創建にまつわる話です。
大己貴と三女伸は英彦山から宗像の許斐山に移り住んだ
もしかしたら三女神の一人 田心姫終焉の地かもしれません。
大己貴が霊界に隠れた後、跡を継いだ大山咋が造った国とは

住吉三神之巻

やがて時は過ぎ 鸕鶿草葺不合尊(住吉大神 事代主)と玉依姫との間に生まれた底筒男(阿部保蓮)が住んだ安曇族の島には漢委之国王の金印が発見された。
宗像三女伸 田心姫の降臨地 水沼氏発祥の地 応神天皇の本当の生誕地と伝わる。
更に時は過ぎ 底筒男(阿部保蓮)は高樹の神から高良山を譲られました。
神宮皇后の三韓征伐の為 住吉参神(表筒男 中筒男 底筒男)が集結します。
住吉三神の藤大臣 開化天皇の皇居を護る為設置された警固所 博多の警固神社は鴻臚館の警固から始まった。
三韓征伐の跡 住吉三神が移り住んだ河内の地

神功皇后之巻

仲哀天皇と神功皇后の筑紫での宮と伝わる。

三韓討伐前に魚を釣って占ったと伝わる場所 ここから鮎という字が生まれたと伝わる。

仁徳天皇之巻

応神天皇と仁徳天皇は親子と伝わりますが、実際は別系統の天皇で夭折した応神天皇の後継者として仁徳天皇が九州から招かれました。
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