契山 大興禅寺

佐賀県

この山には契りの物語が残っています。

山門

境内社




本堂の左この古木の左に向かうと鳥居が建っています。

熊野神社(大興善寺境内社)

熊野神社

由緒

「契り山伝説」
この基山と荒穂神社にまつわる伝説である。
五十猛がある日、基山の「霊霊石」に腰をおろして四方を眺めていた。すると小川で一人のきれいな娘が洗濯しているのが目にとまった。そこでさっそく結婚することになり、基山の西にそびえる山の頂で夫婦の契りを結んだ。そのために人々は、その山のことを「契り山」と言うようになったと言う。 契山は基山よりやや高く、西2kmにある。基山町の民話にはこの娘は園部谷サコの「さこの姫」であると言う。基山の頂上からは南と東が見渡せる。園部は南の方角である。

御祭神: 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

熊野神社

宝満神社(基山)

木花開耶姫命神社

小松村産神竜蔵権現記録

爰に千切山龍蔵権現の御鎮座の由来を考えるに、基肄山縁起曰
人皇三十七代孝徳天皇御宇大化年中に、火国鬼門の山頂に地神
三代の天孫荒穂大明神を奉遷向、相殿に木花開耶姫命
(コノハナサクヤヒメノミコト)を安置し奉る、則荒穂大明神の御后にて
わたらせ給ふ、又当山を千切山と名付は御后木花開耶姫命
安置し奉るによりちきり山といふにや、又基肄山より峰続きかの山の
分山といふ説あり、ことに基肄山は火国鬼門鎮護の一山にして
荒穂大明神、木花開耶姫命相殿大神以上八神にして二宮三宮
摂所末社九十四神安置し奉る

それ当社龍蔵権現と申奉るは天神大山祈(ヲゝヤマズミ)神の女(ムスメ)
木花開耶姫命又は賎(浅)間大明神と奉崇敬、爰に瓊ゝ杵尊、
木花開耶姫命共に筑紫日向の高千穂の峰にいたり給ふ、
此尊より上二代の太神は天上に留り座けり、下三代の太神ハ
西州の宮におはしまして一百七十八万二千四百有余歳の世代治め給ふ、

皇孫降臨の始国津神事勝(コトカツ)国勝にあひ給ひ大宮所を求め給ふ、
則三神の男神を生まし多くの年序をへさせ給ふとそきこへし、
地神五代までハ神の道直しておさますしておさまり、
教すして教そなわり、
君臣父子夫婦兄弟朋友師弟賓主の七品も正しく
ましますとかや、
地神の末より人の心乱にして、
真をうたかひ邪なるを信として元(ハジメ)をわすれ、
末をみたる是より始て、神の道神の教という事あり、
然に時の社士村民等当山辰巳一宮に御神幸行をなし奉る、
祭礼の儀式厳重なりと云う、
行宮所跡に今あり其道筋に十宮の神を祭る
身曾貴九柱(ミソギコゝノハシラ)の神なり、或弁財天幸神を祭、
夫より山の半にして社家町という所あり、今ハさけまつとかや云り、
誠に古は四時の祭礼を執行し万神を奉斎事年久し、
又いつの頃か御社神宝等も悉く破却して、
其後千切の足下小松村に奉還向、則其所の氏神と奉仰、
九月九日祭礼を執行す、
今山頂に残りものとてハ
社地の囲石ずへの跡計りなり、

正直言って瓊瓊杵尊と五十猛は別人格ですが、何故か佐賀ではこの二人を同一人物と見せたがっていることは明確です。するとここの祭神の木花開耶姫命も契山伝説のさこの姫のことと考えられます。

理由は瓊瓊杵尊と木花開耶姫命の話は別な地に残っており その証拠となるものが存在するからなのです。

大興善寺

奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。

春にはつつじ 秋には紅葉が多くの人を楽しませてくれます。

五十猛が何処に向かっているのかは 古事記に登場する神の名前。イザナギイザナミが正式な手順で作った島の4番目に作ったのが筑紫島(=九州)で、この筑紫島には4つの顔がありました。その4っつのうちの一つが白日別(シラヒワケ)で、筑紫国の神です。                                    この記載に関係します。

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